— まずは、Fusicの創業者および代表である納富さんご自身のご経験や価値観に焦点を当て、Fusicの輪郭を浮き彫りにしたいと思います。本日はどうぞよろしくお願いします。まずは、納富さんの生い立ちから起業に至った経緯をお話しいただいてもよろしいですか?

「将来は社長」という夢をもった幼少期

僕は1978年に福岡市で生まれて、福岡市東区から住民票を一度も移したことがない、素晴らしくドメスティックな人間なんです(笑)。幼少期、父親は九州大学で教授の助手をしていたのですが、当然ながら「助手」の父には上役である「教授」がいて、なんとなく「教授って偉いんだな」という思いがありました。
 そんな思いもあり、周囲の友人が「サッカー選手」とか書いている中で、小学校6年生の時に僕が書いた将来の夢は、「大学教授になりたい」でした(笑)。

— それはまたシブい夢ですね(笑)。

 「どうやら教授は偉いらしい」と思ったんですよね。中学生の時には、周囲に社長の息子という友人が結構いたので、「どうやら社長も偉いらしい」という印象を持ちました。「じゃあ社長になろう」と思いましたね。父親が先生なので、自分は社長が良いなと。

大学進学とインターネットとの出会い

高校は地元のトップ校に進学しました。僕は宇宙が好きで、「宇宙の端っこどうなっているんだろう」とか、そういうことを研究する人になりたいなって。で、そういうこと(宇宙の研究)をやろうと思うと、東大の理学部くらいしかないんですよね。学校の先生には、「君は理学部には向かないよ」とか、「役に立つかわからない研究をやるのは、モチベーション湧かないでしょ」とか言われました。先生は僕の性格をよくわかっていたと思うんです。

それで、「将来何しようかな」と思った時に、テレビで筑紫哲也さんが「これからはインターネットの時代です」と言っていたんです。そういうことなら電気情報工学科にいこうかなと。将来インターネットの仕事に就くことまでは考えていなかったんですけど、汎用性があるし、今思うとラッキーな選択だったと思います。そんな背景から、九州大学に入学して、電気情報工学科に入りました。

大学院、就活、そして起業の道へ

大学を卒業した後は大学院に進学しました。大学後の進路を決めるタイミングで、あまり勉強していないのもあって大学で何かを学んだ感じがしなかったのと(笑)、もう少し就職するのを先延ばしにしたいと思って。さすがに院の進学の時にはかなり勉強しました。

大学院の頃に感じていたのは、「日本の社会って小学校からずっと成績で順位とか価値をつけられるな」ということでした。将来社長になるという目標はあったのですが、ここで一度自分の市場価値を試してみたいと考え、就職活動してみようと思い立ちました。周囲の友人はみんな学校推薦枠での就職だったんですが、自分はいわゆる一般枠での就職活動をしてみたわけです。

そしたら、就職活動ではすこぶる優秀だったんですよ。外資コンサルとか大手IT企業とか内定バンバンもらって。学校での成績はそれほどよくないのに、提出している成績は特に重視されずに。「あっ、社会に求められているのは、勉強ができる・できないも重要だけど、そうではないところも結構重要なんだな」と。この経験は僕の中で結構な自信になったんですよね。自分がちゃんと世の中に認められるんだなと気づくことができて。

その結果、大学院卒業後に就職するのか、起業するのかという2つの選択肢がありました。就職して3年くらい死ぬほど働いてからスピンアウトして起業するという選択肢もありましたが、最終的には起業という選択肢を選びました。

就職せずに「起業」を選択した4つの理由

起業の道を選んだ理由はいくつかあるんですけど、1つ目の理由は、就職活動をする中で出会う社会人の方々が「なんだか普通だな」と感じたことです。もし内定をいただいた会社で期限付きで働いたとしても、「普通の社会人」にしかなれないのは嫌だった。外資のコンサルもそうなんですけど、あまりかっこいいと思わなかったんですよね。

— うーむ、分かります。僕も就活のときに大企業に対して同じような印象を抱きました。

2つ目の理由は、大学院時代に感じた違和感です。九大の大学院では、「とりあえず大企業に行きなさい」みたいなアドバイスをする人が多かったんですが、なんかそれも嫌で。自分の家族は「好きにしなさい」というスタンスだったんですが、周りの大人は「とりあえず大企業に入ってそこから(その後どうするかを)考えなさい」と。

— うちの親も「とりあえず大企業派」でした(笑)

彼らの言葉の意味するところは、「大企業に行ったら安定するだろうから、そうしなさい」ってことだったと思うんですよね。でも、僕が就職活動をしていた2001年頃は、色んな大企業が潰れたりしていましたよね。それで強く感じたんです。「自分の会社が潰れたことを新聞で知るのは、なんという悲劇だ」と。前の晩まで死ぬ気で働いていた会社に翌日出社したら「終わり」って書いてあるって、とんでもない結末だなと思って。そんな会社に行きたくないと。だから、「大企業だから安定」という発言には違和感があって、「大企業だから」というのは自分の中に判断基準としてなかったんですよ。

3つ目の理由は、One of themになりたくなかったこと。例えば、内定をもらった大手IT企業ともなると、当時は同期が700人もいたんですよ。入社したらその先に何万人っていう社員がいる。同期の「内定者の会」とかに行くと東大だの慶應だの賢い人たちがたくさんいる。「もし仮に自分が入社を断っても、この会社は回っていくんだろうな」と思うと、「自分がここにいる意味あるのかな」って思ったんです。これが、3つ目の理由です。

4つ目の理由は、シンプルだけど大切なことです。学生のころ、よくバックパッカーをして海外を放浪していたんです。インドで死にそうになったこともありました(笑)。世界の発展途上国を回っていると、その辺の道端に死にそうな人がゴロゴロいる。最貧国といわれるバングラデシュでは、乳飲み子を抱えてお金を求めている人がたくさんいる。彼らは日々「生きるか死ぬか」の世界にいるわけで。だけど、僕が生きている日本は、交通事故や病気を除けば「生命リスク」はほぼゼロだなと。そう思うと、「最低限の生命・生活が保障されている国でチャレンジしない」というのはなんという保守的な考えなんだろうと。もう、やるしかないですよね(笑)。

そんな経緯から、大学院2年の夏に起業の意思決定をして、内定をもらった会社に辞退の旨の連絡をしました。それから「じゃあ何の分野で起業するのか」とかも含めて、起業して色々苦労もあったんですが、起業にいたった経緯だとこんな話ですね。

第2部(起業、創業時のエピソード)に続く

会社情報

所在地福岡市中央区天神4-1-7 第3明星ビル6F
設立年月2003年10月
従業員数107名
関連業界システム開発
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