第1部 の経緯で起業を決意した納富社長。その後の経緯を伺った。)

ITで起業した理由:「将来、歴史に残る仕事がしたい」

「何の分野で起業するのか」を考えていく中で、最終的にはITを選びました。ITを選んだ一つ目の理由は、「自分にはITしかない、食っていくためにはそれしかない」と思ったからです。大学でも専攻してきましたし。

— ITは起業に向いているという意味でも、大学で良い分野を選択されましたよね。

そうですね。本当に筑紫哲也さんには感謝しかありません(笑)。

2つ目はレバレッジが効くことです。例えば、チャーハンをどれだけ頑張って作っても、1日に作れるのは100人分かもしれない。だけど、ITはそれ以上の影響力が出せるじゃないですか。なので、ITはビジネスとしてすごくレバレッジが効くと思ったんですよね。

3つ目は、ITが今まさに激動期の渦中であるということ。これは最近よく思うんですが、当時から既に始まっていたものの、今の西暦2000年から20x0年っていうのは「IT革命」だと思っていて、100年後とか200年後の歴史の教科書に、この歴史が載ると思うんですよね。農業革命とか産業革命とかに匹敵するレベルのことが起こっている。「そんな時代にチャーハン作っている場合じゃないな」っていうのもありましたね(笑)。

— なるほど(笑)。

人類の400万年ぐらいの歴史の中で、シンギュラリティと言われる「コンピューターが人間の脳を超える」時代になるわけですよ。その先がハッピーか否かはわからないですけど、結構わくわくする時代だなと思っていて。なので起業の領域をITに決めました。

— シンギュラリティなどにワクワクする気持ちは、小さい頃に抱いていた宇宙に対する「好奇心」に共通するものがありますか?

それはあると思います。まだ見ぬものに対する好奇心っていうのは結構あるタイプだと思いますね。昔から、NHKスペシャルとかの宇宙の特集はめちゃくちゃ好きだったんですよ。相対性理論の本とか、小学校中学校とかの頃からよくわからないながらに結構読んでいましたね。

— 小中学校の頃に相対性理論の本ですか(笑)。

重さや時間が変わるとか、面白がって読んでいた気がします。未だにNewtonとか年間購読してますよ。シンギュラリティなどの最先端の分野の、わからないものが解明されていく感じっていうのは、幼いころから感じてきた宇宙に対するワクワク感に通じているかもしれないですね。

創業者2名で必死に働いた数年間

— では、起業された後の具体的なエピソードについて聞いていきたいと思います。いろいろ苦労などもあったかと思いますが。

そんなに苦労はしていないんですよね。苦労と感じていないだけなのかもしれないですけど。ただ、めちゃくちゃ働いていましたね。1年で数えるほどしか休んでいませんでした。最初の2、3年は、土日も普通に働いていましたね。「大企業に行った方がいいよ」というアドバイスをする人も散々いて、「くそー」って思っていたので(笑)。

— 卒業してから起業されたんですか?

事業自体は在学中からすでに始めていましたね。会社にしたのは卒業後ですが。僕の大学の仲良いメンバー15人みんな、有名な大手メーカーに就職していったんですよ。それに負けたくない、あいつらより稼いでやるという思いもありましたね(笑)。創業は、今の副社長の浜崎と2人でしました。2人で本当によく働いていましたね。

— 最初はどういうビジネスを始めたんですか?

専攻が電子情報工学で、プログラミングができるだろうと周囲から思われていたので、ちょっとしたシステムとかを受注して作っていましたね。とはいえ、学生のときに何もやってなかったので、そこからプログラミングの勉強を始めたんですけど(笑)。

— ちなみに、初受注はどういう案件でしたか?

なんだったかなー。確か、何千枚とあるアンケートの集計業務を簡略化するシステムの開発ですかね。Excelにタイピングしていたのをシステム化しようと。スキャンというわけではないんですが、簡単にするというシステムです。納品して20万円くらいもらえた気がしますね。

— クライアントはどういった企業だったんですか?

いざ起業するとなったら、周囲の大人が応援してくれて、経営者や企業を紹介してくれたんですよね。初受注もそういった紹介からでした。

「社員4人で広いオフィスを借りる」事業拡大の決意

— 最初、2人で創業されたわけですけど、2人だけで働いていた期間ってどれくらいですか?

最初の3年くらいですね。母校の九州大学からもプロジェクトを任せていただいて、仕事として受けていました。まだまだアルバイトみたいな感じでしたけど。その九大の仕事もやりつつ、別で受注した仕事もやりつつだったので、本当に忙しく働いていました。その間は2人きりでしたね。
九大の仕事は3年間続けたんですけど、それを続けていても会社の将来性が拓けていく感じがしなかったので、3年で終わらせてもらうことにしました。
その後、4年目から徐々に人を採用し始めましたね。それまでは自宅が仕事場だったんですけど、家賃が20数万くらいのオフィスも借りました。社員数名の会社にしては随分広いオフィスで、「家賃払うの大変だな」と思いつつ。メンバーもそのタイミングで2人増え、4人になりました。

— それだけ広いオフィスを借りるってことは、「会社を拡大して行くぞ」という覚悟を決めて借りたわけですね。3人目、4人目の方はどう行った経緯で採用されたんですか?

1人は大学の後輩ですね。アルバイトとしてずっと働いてくれていました。もう1人は、友人の紹介で入社しました。後輩だったり友人の紹介だったり。当時は採用サイトなんか使う余裕は一切ありませんでした。

— 事業拡大を決断された上で、どのような強みを伸ばしていこうと思われたんですか?

いろんな業種のクライアントと付き合えることは楽しいと思っていたし、「その多様性を伸ばしたい」と思っていましたね。もっと言うと、いろんなクライアントのいろんなビジネスを理解して、最適な課題解決策を提案することに喜びを感じていました。例えば、「コーディング自体が大好きで、システムの仕様書どおりゴリゴリ書いていく」ということではなくて、「設計から全部関わる」ってことは、今も昔もこだわっていますね。「自分たちで定義したものを自分たちで作ること」に意味があるし、それが仕事の醍醐味だと思っています。

「人の信頼」が成長のドライバー

— 当時から現在の規模まで事業拡大されていく過程で、どのようにクライアントを開拓されたのですか?

基本的に飛び込み営業とかではなくて、紹介だったりリピートだったりが多いですね。

— 実績をつくって信頼を勝ち得ていったんですね。一番良いかたちですね。「信頼」という観点で、福岡という街の仕事のやりやすさっていうのはいかがですか?U・Iターン希望者の気になるポイントでもあると思います。

東京での創業経験がないので、比較対象がなくて正しいのかどうかわかりませんが、まず「人物ありき」で仕事をいただいたんだろうなと思います。「わかった、兄ちゃんが頑張るなら任せるわ」みたいな(笑)。
仕事を受けた僕らも「信頼を裏切ってはならない」と死ぬ気で頑張る、みたいな。要は、システム開発って無形資産を作るわけじゃないですか。まだカタチがないものを。「こんなもの作りますよ」と提案はするんですが、どういう機能を作るかも一緒に議論しながら進めていきます。信頼してもらわないことにはできない仕事です。そんな中で、「兄ちゃんが頑張るなら任せるわ」と信頼していただいたからこそ、仕事をもらえたんだろうなと思います。

— 人を見てくれたと。

そうですね、人を見て信頼してくれて仕事を発注してくれていたんだと思います。当時の仕事は。かつ、僕らも全力でそれに応えようとしていました。

第3部(日本を代表する福岡の企業へ)に続く

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