「人」で選ばれ、世界の御花へ。
柳川で親しまれる料亭旅館の新たな挑戦
「御花」は江戸時代以来、柳川藩主・立花家の邸宅でした。400年の時を経て今もゆったりと時間の流れるこの場所で私たちは、宿泊施設や料亭、結婚式場を営んでいます。
「御花」は柳川名物うなぎのせいろ蒸しや川下りが楽しめる柳川市の観光スポットとしても知られ、敷地全体が国の名勝に指定されています。
古くから柳川地域の人々に親しまれ、その要望に応えるかたちで今の「御花」がある。アジアへの玄関口でもある柳川の土地で、その魅力を世界にも知ってもらいたいと思っています。
「御花」には、宿泊施設・料亭・結婚式場としての顔、柳川の観光名所としての顔があります。歴史と文化、情緒を感じられる宿泊施設や式場。
柳川名物のうなぎを使った会席料理を食べられる料亭。川下りの終点に見えてくるのが御花です。
こうした「御花」の魅力に気が付いたのは、婿養子としてやってきて戦後に「料亭旅館 御花」をスタートさせた、当時の当主でした。
有明海でとれたものを使った料理をはじめに提案した時は、「そんなものでお金はとれない」と漁師に笑われたのだそうです。
すでにあるものを、いかに再構築するか。その思想は受け継がれ、現在の「御花」では「100年に一度の大改修」として、建物を残すため、3カ年に及ぶ修復工事が昨年終了しました。
決して楽ではない資金繰りをしてこのタイミングで大改修を行うことに決めたのは、東京オリンピックの開催が決まったことがきっかけでした。
世界中の人に、ここにしかない「御花」の魅力を、古き良き時代の日本の良さを、伝えたい。「世界の御花」として知られたい。そのような思いで事業を進めています。
江戸時代以来、「御花」は柳川藩主立花家の邸宅でした。もともとこの辺りの地域は「御花畠」といわれていたことから、柳川の人々は親しみを込めて邸宅を「御花」と呼ぶようになったといいます。
明治時代に立花家が伯爵家になったころから御花は、「宴会をする場所がほしい」という柳川の人たちに、空いている部屋を貸すようになりました。
のちにこれが、料亭旅館を営むことにつながっていきます。「料亭旅館 御花」としてスタートしたのは、戦後のこと。立花家の人々と近所の人たちにより、見よう見まねで始まりました。
その後も、柳川の人たちの「大人数でうなぎを食べられる場所がない」「結婚式を挙げられる場所がない」といった困りに応えているうちに、御花のサービスは増えていきました。
柳川の地域とともにあり、地域の人たちの要望に応えてきた先に、今の「御花」があります。
「建物ではなく、人で選ばれる御花に。」スタッフによく伝えている言葉です。
「御花」のスタッフの大半は、地元の人間です。そして、お客様に喜んでいただくことを自分の人生の喜びとするような人が多い。
よそから来たお客様が御花スタッフのおもてなしを受けて、「ここの人ってなんだか温かいよね」「歩いているだけで、みんながにこにこしてくれるよね」と思ってくださるとうれしいです。
そして、「日本らしい細やかなおもてなし」「古き良き時代の日本」の良さを感じていただきたい。「人」で選ばれるのが、「世界の御花」だと思っています。
400年の歴史がある「御花」をほめてくださる方が多い一方で、この特別な場所を活かしきらないのはもったいないという言葉もいただきます。
「重要文化財で遊び尽くす」という言い方をしているのですが、さまざまな人に「御花」にお越しいただき、さまざまな形で使っていただくことで、その魅力を活かしていきたいと思っています。
例えば、音楽。以前にあるアーティストのライブを「御花」の大広間でやったことがあるのですが、そのときのスタッフの方が「御花でやるならこのほうがいい」と、座布団を360°ぐるりと並べたことがありました。
私たちが思ってる以上のことを、いろいろな方が発想してくれるのがおもしろいんです。だからいろいろな人に「御花」を「遊び倒して」ほしい。
関わってくださる方に、「あなたたちは何をしたいですか?何ができますか?」と聞いてみて、この場所で起きる化学反応を楽しみたいです。
スタッフ同士で価値観を共有するための土台が、必要だと思っています。例えばお食事の出し方やお料理における「御花らしさ」とはなんだろうと、みんなで考えてみる。
今の「御花」では、それぞれの主観による「こうしたほうが良いのではないか」はあるのですが、共通した価値観に基づいて話す土台がありません。一人ずつ考えるので、ブランディングもずれてきてしまいます。
「お客様に求められている御花とはどのようなものか」を言葉やビジュアルで可視化することで、スタッフの間で同じ価値観を共有したい。
そのために、違う角度からものを見ることを知っている人や、私が「御花」に抱いている夢をスタッフに噛み砕いて伝えられるような、経営と現場をつないでくれる人に来ていただきたいと考えています。
私は以前は東京の会社に勤めていて、仕事も好きでした。
でもある日、「私がいなくなっても会社は潰れないけど、誰かが継がなければ御花は潰れてしまう」と気づいて、こちらに戻って来ました。大変でしょう?と言われることもありますが、楽しいです。
頼んでもさせてもらえないような経験ができますし、それに一度きりの人生、楽しんだ者勝ちじゃないですか。大抵のことはなんとかなると思っているんですよね。
「御花」では、他では絶対にできないような経験値が得られる。それを人生の豊かさと捉える人には、とてもおもしろい環境だと思います。
入社以前にしていたこと
大学卒業後、体育館で事務の仕事をはじめました。その後、職業訓練校でパソコンスキルや経理を学び、久留米にあるホテルに事務職として就職しました。
事務作業のあとに宴会のセッティングなど他の業務もあり、大変さを感じるようになって転職活動を開始。そこで「御花」と出会い、転職を決めました。
入社した理由
転職を考えたとき、ハローワークで偶然見つけたのが「御花」の求人でした。前職と同じようなホテルの仕事でイメージが湧いたこともありますが、実はもう一つ感じたことがあって。
私は広島出身ですが父は福岡出身で、子どもの頃からよく福岡に遊びにきていました。
柳川もよく訪れていて川下りをして遊んだことがありますし、うちにある写真のなかに、「御花」の対月館テラスで2歳くらいの私が父に抱きかかえられているものがあるんです。
それもあって、少し運命的なものを感じながら入社しました。
今、取り組んでいること
前職までのスキルや経験を生かして、御花のバックオフィス業務と同時に「御花」を多くの方に知ってもらうためのイベント企画にも携わっています。
御花の採用面接時に、「御花の大広間や御役間でイベントを企画したい」と、当時の面接担当者に話したことがあります。
そして、2017年に「百年に一度の保存修理」で大広間が生まれ変わりました。その場所を眺めながら、この大切な文化財を100年後の人たちに繋いでいくために、私にも何かできることはないだろうかと。
企画が思いついた瞬間、立花に「大広間で久留米絣のもんぺを展示販売していいですか?」と尋ねました。すると即答で、「いいね!おもしろそうじゃん!」と。
採用面接から気持ちを封印していた5年間はいったい何だったのかと、ちょっと拍子抜けしました(笑)。
また、このイベントが私の御花におけるキャリアの分岐点になったと思います。建物は人が行き交い、楽しい声がする場所でないと朽ちて無くなってしまいます。
これまで立花邸を大切に守り繋いできた人たちに感謝しながら、「遊び倒す」をテーマに色々なことを仕掛けていきたいと思います。
福岡県柳川市新外町1(立花氏庭園内)
非公開
非公開
立花 千月香
1950年1月
83名
観光・宿泊業、結婚式場、レストラン
YOUTURNからのコメント
福岡・柳川から世界に誇る観光産業を目指す!
高尾大輔
YOUTURN 取締役 キャリアコンサルタント
柳川藩主の立花家が代々積み重ねてきた歴史ある『御花』。
国の名勝に指定されていることもあり、国際的な観光地としてその魅力を世界に発信する第十八代当主の立花代表の決意は並々ならぬものを感じます。
柳川という土地を愛し、代表が描くビジョンを言葉や形で表現する。その上で、「人で選ばれる世界の御花」を経営と現場の間に立って、力強く推進していけるプロジェクトマネジメントが求められるでしょう。
代表はもちろん、従業員の皆様は「御花のために」と決意した仲間をとても温かく迎えてくれるはずです。
そして近い将来、御花は福岡のインバウンド産業の中心になる企業だと、私は思います。