日本屈指の転職キャリアコンサルタントが「福岡×移住」に行きついた想い
ごあいさつ
YOUTURNでキャリア・移住コンサルタントとして、みなさんの自己実現をサポートさせて頂きます、高尾 大輔です。
YOUTURNが取り組む「移住×転職」というテーマは、人生の重要なターニングポイントとしてそう簡単に決断できるものではなく、検討に検討を重ねたうえで意思決定していくものであると捉えています。
そのような人生の重要なテーマについてご相談をお受けする立場である以上、私という人間がどのような想いを持ってこの仕事に従事しているかを知って頂くことで少しでも安心してご相談にお越し頂けることにつながれば嬉しく思います。
私の経歴
私は、1977年福岡県糟屋郡志免町に生まれ小・中学校を過ごし、東福岡高校から北海道大学に進学、2001年新卒で大阪の住宅関連の成長企業に入社して、2005年に当時のリクルートエージェント(現在のリクルートキャリア)に転職し転職エージェントとしてのキャリアをスタートしました。
さらに4年後にベンチャー・スタートアップ企業、成長企業への転職支援に特化したプロコミットで8年、合わせて12年間転職エージェントとして経験を積んで参りました。
私がこだわった転職エージェントとしての価値
プロコミットでの8年間は、まだ世の中に知られていないベンチャー・スタートアップ企業と、そこでチャレンジしたいと思っている方々とのご縁をつなぐということに注力してきました。
最近でこそ転職を考えるときにベンチャー・スタートアップへの転職を選択肢に入れる方は増えてきましたが、2009年当時はいまほど盛んではありませんでした。志のある素晴らしいベンチャー・スタートアップがあっても、転職市場にいる求職者に認知されにくいがために自社に応募してくれる人材と出会えない、という構造がありました。
私が転職エージェントとしてこだわってきたのは、
「自分が間に入らないと出会えないご縁を創出する」
という価値です。
まさに当時のベンチャー・スタートアップの採用支援はその価値観を体現するに足る世界でした。転職市場ではほとんど知られていない志と将来性のある企業を、まずは私自身が深く理解をし、その企業の事業発展に貢献しうる経験やスキル、価値観をお持ちの方を見つけてきては、当事者よりも熱心に語り、その企業の存在を知ってもらう。興味を持って頂き直接経営者との面談の場を創り、そこから実際に入社するまで介在していく。
個人の方からすると、当初想定しなかったご提案となる場合も多く、決してすんなりとご理解いただけることばかりではありません。その方の価値観や志向性を深くお聞きすることで私の提案の背景をご理解いただき、興味を持っていただくというとても時間を要する取り組みでもありました。
その結果、企業と個人の方のご縁ができ、ご入社された方がその企業で活躍することで、企業の事業は伸び、大きな資金調達を成功させたり、事業を拡大して新規上場したりしていく姿、個人の方が活き活きと事業に取り組み、大きな成果を出していく姿を見ることが至上の喜びとなっていました。
おこがましい話ですが、「この企業は私がいなければこうはならなかった」と本気で思うことができる、とても意義のある仕事でした。
経済合理性というジレンマ
しかし、人材紹介の成功報酬型のビジネスモデル上、転職実現までに長く時間がかかる傾向にある支援活動に対して優先度が下がってしまうというジレンマが存在するように思います。人材紹介会社として、いわゆる「収益化までに時間のかかる領域の仕事」というのは、相当な志のもとでないとなかなか継続できないという現実もあります。
在籍していたプロコミットという会社には、それを愚直にやり続けるという意思を持った社長やメンバーが集まっていたからこそ追求できたのではないかと思っています。そのおかげで私自身も信念をブラすことなく「自分が間に入らないと出会えないご縁を創出する」という価値観を貫くことができたと感謝しています。
その追求の過程では、ビズリーチ社が主催するヘッドハンターサミットにおいて「ヘッドハンターオブザイヤー」を受賞、リクルートキャリア社が主催するエージェントアワードにおいて「MVA(Most Valuable Agent)」を受賞させて頂き、人材紹介業界のなかでもプロコミットと私自身が追求する価値が認められたことを実感でき、ご相談から意思決定までに時間を要するご支援こそ、自分自身が間に入って価値を出すべき領域だという想いを確信できました。
40歳で迎えた転機
そんな私が2017年12月にプロコミットを退職しました。
「ゆくゆくは福岡に戻りたい」とは思っていたものの、思い切れない自分。
そんななか福岡の実家の精神的支柱であった祖父が他界し、葬儀の際に祖父が残した「自分史」を読む機会を得たことがきっかけとなり、自分自身がこれからどう生きていきたいかに向き合った結果、40歳という節目の年を一つの区切りとして新たなチャレンジをすることを決断しました。
私は高校を卒業して以来、大学は北海道、仕事は東京と、もう20年以上も福岡から離れていました。
祖父や親が健在だったので福岡に帰るよりも自分が東京でチャレンジすることを優先していました。しかし祖父が他界し、親も歳を重ねていく姿を見るうちに、自らの人生においてもう一度大事なことを見直し、人生を再設計しようと思うようになったのです。
「人生の正午」
40歳は「人生の正午」と言われています。
それまでは自分の後ろから日が差し、自分の未来を照らすのですが、40歳を境に自分の前から日が差すことで自分の生きてきた過去が照らされ始めます。日の差す方向が変わることで人生における大事なものの優先順位が見直されるというお話です。まさにその通りでした。
ここで気づいたことは、
「人はいつどこで人生の転機に遭遇するか分からない」
「そのときに自分自身が納得できる選択を堂々と出来たほうが良い」
ということです。
そしてこの転機というものは、決して40歳を境にして迎えるとは限らず、人によっては20代で迎えることも30代で迎えることもあるでしょう。
私自身、自らがキャリアコンサルタントでありながら、決断までには数年単位の長い時間を要しました。
たくさんの人に相談しながら自分自身の解を見つけようとする時間が長くありました。決断のタイミングにだけ相談相手が必要なのではなく、解を見つけていくプロセスにこそ相談相手が必要だと私は実感しています。
納得感のある決断に向けて、伴走者を探しておく
移住・転職をすることを決めてから相談に行くのでは遅い。
そもそも今後の人生をどう生きていくかという段階から伴走してくれるパートナーを見つけておくことが、いざ人生の転機を迎えたときに、自らの価値観に従って活き活きと、堂々と、決断できる状態を創れるのではないかと考えます。
例えばご相談の内容が、「福岡の求人を知りたい」というものだけであれば、世の中にはたくさんの求人サービスがありますので、情報収集には大きな苦労はないかもしれません。しかし、「応募する求人を探す」というのは実は一番最後のステップです。
もっとも大切にしたいのは、そこに至るまでのご思考の整理、感情の整理、主観的な視点を尊重しながらも客観的視点を交えた上でのディスカッションです。そして一般論に終始せず、検討される方向性に対して具体的な成功例や、失敗例を持っている相手だとさらに目的に沿った情報収集が可能になります。
「物価は高いの?安いの?」「住む地域はどこがよい?」「子育て環境って実際どうだろう?」「通勤事情は?」など求人票に記載しきれないことの方が、仕事のやりがいと、生活の質向上を同時に達成するうえで重要だったりします。
また、ご自身だけでは気づいていなかった、検討する上で重要なポイントなども抑えることができれば、さらに検討の質はあがり納得感につながっていきます。
これからの人生の自己実現に向けたディスカッションパートナーをぜひ見つけてください。
次回は、私がみなさんの伴走者として、「福岡へのUIターン」を手がけることにどのような意義を感じているか、をお話します。
日本屈指の転職エージェントが福岡へのUIターン転職支援に見出した「意義」へ