最後は「自分がどうしたいか」。後悔のない移住転職はあの一言がきっかけ

私の移住転職ストーリー
12/19/2023 更新

福岡には縁もゆかりもなかった新潟県出身の関谷さん。大手生命保険系システム企業のマネジャーとして充実した日々を過ごしていましたが、パートナーの福岡単身赴任をきっかけに、Iターン移住転職へと動き出しました。

「YOUTURNとのキャリア面談がなければ、今頃どこでどんな風に働いていただろう」と語る関谷さんに、キャリアを遡ってお話を伺いました。

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「火が吹く現場」に飛び込み、まっすぐ仕事に向き合った

――関谷さんは新潟のご出身で、関東の大学を卒業後、大手生命保険系システム開発企業に入社されています。元よりシステム開発に関心があったのでしょうか。

兄が理学部の数学科を卒業してシステムエンジニアになったこともあり、昔からシステム開発に興味があったんです。大学は情報工学科というシステム系の学科に進学することにしました。


――当時は就職氷河期ということで、やはりご苦労がありましたか。

学生時代に、第二種情報処理、今でいう「基本情報技術者」の資格を取得していました。当時この資格を持っている学生は少なかったおかげか、就職活動は比較的スムーズに進んだほうだったと思います。

システム開発企業は、独立系・メーカー系・ユーザー系の3種類に大きく分けられます。兄が独立系の会社に就職して大変そうだったのを目の当たりにしていたこともあり、私はユーザー系の会社を中心に受けました。いくつか内定をいただき、大手生命保険系システム開発企業に入社したんです。


――入社後は、都市銀行の海外システム開発のプロジェクトに着任されます。配属先は希望が叶えられたのでしょうか。

入社直後に、新人研修の機会があったんです。人材交流のような位置付けで、選抜されたメンバーが大阪へ研修にいくという慣習でした。情報処理の資格を持つメンバーが選ばれ、私も4〜5ヶ月ほど研修を受けました。

都市銀行のシステム開発を担う部署に配属されたのは、研修から戻ってきたあとです。生命保険のシステム開発企業に入社したつもりでいたので、「都市銀行」と聞いて驚きました。当時はまだ右も左もわからないような新人だったので、会社側が適性をみて配属してくれたものかと感じましたね。

都市銀行のつぎは信託銀行と、プログラマーやエンジニアの経験を積んでいきました。銀行系の後に携わった医療系のプロジェクトでは、病院を訪問して看護師さんにヒアリングを繰り返すなど、要件定義も担当するようになりました。


――関谷さんのキャリアにおいてマネジメントの色が強くなってこられたのは、どのようなタイミングでしたか。

2004年頃に関連会社の立ち上げに参画したのですが、これから作っていく会社だったので幅広く色んなことを経験させてもらったんです。その期間に初めてマネジメントにも携わりました。トラブル対応を経ていくうちに、「次はあの現場が火を吹いてるから、関谷がついてくれないか」と、徐々にマネジメント業務が増えていって。


――「社内の助っ人」としてのご経験の中で、一番印象的だったことは何ですか。

特定保健指導管理システム構築プロジェクトの経験です。立ち上げから様々な経験をさせてもらいました。ある時はマネジメント、またある時は開発、システムトラブルが起きると深夜にタクシーで駆けつけることも。サーバーが置いてあるデータセンターの方と電話でやりとりして復旧した後でいったん帰宅し、翌日の朝に障害報告をしたり。大変ではありましたがいい経験になったと思います。

充実のキャリアも迷いなく「移住転職は決定事項」

――どのようなタイミングで、移住や転職を考え始めましたか。

2020年に、それまで同じ会社で働いていた妻が転職しました。福岡に本社を置く企業の東京拠点で、人材開発やキャリアマネジメントを担うポジションでした。2年だけ福岡に来てほしいとのお話があり、「2年なら」と妻が単身赴任で福岡に行ったんです。

2年が経ち、「このまま福岡に残ってほしい」ということになったんですね。じゃあどうしようかと。妻の単身赴任を継続するか、妻がせっかく転職した会社を辞めるか、それとも私が仕事を辞めて福岡に移るか。話し合った結果、いい働き口があれば思い切って私が福岡に行こうと考え、転職活動を始めました。


――その頃お仕事では、思うように活躍できているという手応えもありましたか。

前職の最後の頃、保険金を給付するシステム関連の仕事を手掛けたのですが、とても規模が大きくて。具体的には組織全体で40億円に及ぶ開発規模で、人数は直下の組織メンバーだけで50人ほどいました。さらに協力会社さんが350人近くもいるような広大な組織で、全部を見るなんてとてもできませんでした。

保険金給付は生命保険事業の要ですから、トラブルがあると大問題になります。システム修復やトラブル対応はメンバーが中心となって対応してくれ、上長に相談して助けていただきつつ、マネージャーとして何とか組織という飛行機を墜落させずに飛ばし続けていたつもりです。苦労は多かったのですが、とてもいい経験になりました。


――引き留める声をくぐり抜けて移住転職へ舵を切られたのだと思います。福岡に行くんだという思いが、揺らぐことはありましたか。

人に恵まれていたんです。「関谷は大変だけど頑張っているよね」と各方面から声をかけてもらっていました。特に最後は大きな組織で苦労も多いと皆が分かってくれていたので、なおさら気にかけてもらっていたのだと思います。

色んな方から「もったいない」というお話や、「辞めたらどうするんだ」との声も沢山いただきましたが、移住に関しての迷いはなくて。福岡へ行くことはもう自分の中で「決定事項」との気持ちでした。

当時の記憶がないくらい、悩みに悩んだ決断

――転職活動はどのようなポジションを中心に探していかれましたか。

当初は他社エージェントで探していて、経歴からエンジニアの求人を紹介されることが多かったんです。「出来なくはないな」という気はしていたものの、どうするかなと悩んでいました。すると妻から「YOUTURNに登録してみたら?」とアドバイスをもらって。と言うのも、妻の職場ではYOUTURN経由で転職してきた方が多かったようです。


――弊社からのご提案は、現職の三好不動産も含めてDX系のマネジメントポジションが中心でした。転職活動はいかがでしたか。

色んな経験をしてきた自負はありましたが、自分のスキルが他社でどれほど認められるのかは分からないというのが正直なところでした。私が積み上げてきたキャリアは一つの会社での26年間に過ぎないので。アラフィフでの転職活動でしたし、なかなか難しいだろうと思っていました。

こちら側が選べる立場ではないだろうという思いだったので、熱心に「来てほしい」と言ってくださって、すごく有難かったですね。


――決断の場面で、迷いや葛藤はなかったのでしょうか。

実は最後まで悩み抜きました。不動産業界にはこれまで携わったことがありませんでした。未経験ゆえに、三好不動産のほうがよりチャレンジのしがいを感じたのかもしれません。アラフィフでも、まったく知らない業界に飛び込んでみたい気持ちがあったんです。当時の記憶がないくらい、悩みに悩んで結論を出しました。

受け入れてくれた仲間と共に、全社のシステム開発をリードしたい

――三好不動産ではどのような業務を担われているのでしょうか。

現在、基幹システムをリニューアルしようとしています。長い年月をかけて色んな部署を段階的に構築していく計画で、その一部署目をまさに今進めていて。最初の部署なのでまだまだ未完成な部分もあり、各部署や開発ベンダーの方々とやり取りしながら構築を進めています。

並行して次の部署の要件定義も進めていて。今は最後の追い込みのタイミングでバタバタしておりなかなかひと段落とはいきませんが、充実した日々を送っています。


――長く在籍された東京の大企業から地方企業への移住転職ということで、何かギャップを感じるような場面はありましたか。

ポジティブな面でのギャップとして、社員の結束が強いところですね。コミュニケーションにおいてもそうです。入社して間もない私のことも、すごくウェルカムに受け入れてもらえて。東京と地方の差なのか、企業規模の違いなのか、それとも会社の特性なのかは分かりませんが、私にとってはとてもありがたいことですね。


――今後、三好不動産で取り組んでいきたいことはありますか。

システム周辺のガバナンスやコンプライアンスについて我々の部署がしっかりと把握できるよう、中心となって課題解決に努めたいです。

今はDX推進部に所属しているので、ChatGPTの取り組みや不動産の基幹システム刷新など、システム全般に携わっていきたいですね。ロードマップもとても大規模なスケジュール感になっていて、その間に当然新しい技術も出てくるでしょうから、色々と手を加えながら推進していくことになると思います。今から楽しみですね。


――関谷さんはIターンとのことですが、これまで福岡に何かゆかりがあったのですか。

社員旅行で一度訪れただけで、これまでご縁はまったくなくて。妻が福岡の企業に転職をしなければ、人生であと一度来るかどうかくらいだったんじゃないかなと思います。

引っ越してきてからはまだ行けていないのですが、長崎には妻と何度か行ったことがあるんですよ。コロナ禍で海外旅行に行けなかったので。去年は壱岐、一昨年は五島列島を旅行しました。


――これからはそういう九州の楽しみ方も増えていきそうですね。

そうですね。今年の夏休みもハウステンボスの近くまで行ってドラえもん展を楽しんできました。佐賀県の太良町で竹崎ガニを食べたりマリンスポーツを楽しんだり、最後は嬉野温泉に入って帰ってきました。九州を思い切り満喫しています。

きっかけは人それぞれ。後悔しない、自分の想いに正直に

――YOUTURNを利用された感想をお聞かせください。

高尾さんとのキャリア面談では、1時間ほどの短い時間にもかかわらず「関谷さん、全然エンジニアっぽくないですよね」と言われて。私としては「見抜かれたな」と感じました。その面談で「関谷さんに向いてると思います」と提案いただいた企業の中に、現職の三好不動産がありました。

最初の面談で見抜かれたことが、ずっと引っかかっていたんです。自分でもぼんやり「どうなんだろう」と思いながらも、他社エージェントから紹介されるエンジニア職の選考を受けていました。「うちに来てほしい」と仰っていただけるところもあり前向きに考えていたのですが、どうしても高尾さんの言葉が気になって。

それで、高尾さんに紹介いただいた会社を検討してみようと思ったんです。あの一言が、一度立ち止まって自分を見つめなおすきっかけになりました。YOUTURN以外のエージェントで転職していたなら、果たしていま何をやっていたのだろうかと思うところがありますね。


――最後に、いま移住転職を検討中の方に向けてメッセージをお聞かせください。

最終的なジャッジは、他の誰でもなく「自分がどうしたいか」です。自らの決断であれば、自身の責任の下で動いていく覚悟ができるのではないでしょうか。

私の場合、トリガーになったのは妻の福岡単身赴任です。もちろんそのまま東京に残って働くという選択肢もありました。でも、やっぱり夫婦で一緒にいたいと思い移住転職に踏み切りました。きっかけが何であれ、これは私自身の判断です。

人それぞれにジャッジのポイントがあると思うのですが、最後は自分がどう思うのか。自身の決断で選びとったものであれば、「あの時ああしておけばよかったな……」と後悔し続けるようなことにはならないと感じます。

<執筆後記>

26年間を過ごした大手企業を飛び出し、人生初の転職活動に挑むことになった関谷さん。悩みに悩んだ末の決め手は「三好不動産のほうがチャレンジのしがいを感じた」「アラフィフでも、まったく知らない業界に飛び込んでみたい気持ちがあった」。できる仕事よりも、やりたい仕事を選んだことで、その後の景色は変わってくるのだと思わされます。

日本全国の地方都市の中でも今もっとも勢いのある福岡。企業も人も、短いスパンで目まぐるしい進化を遂げています。いち早く行動を起こした人は、理想の居場所や活躍の場を既に手にしています。

「九州・福岡への移住転職を考えているが、どう動けばよいか分からない」そのような方も、ぜひ一度お話してみませんか。YOUTURNは、ご自身でも具体化ができていない思考整理の段階からお手伝いをしていきます。

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著者 YOUTURN編集部
YOUTURNは、累計100名以上のハイクラス・エクゼクティブ、大都市の最前線で活躍されたビジネスパーソンの九州・福岡への移住転職を支援するエージェントです。地域特化、UIターン転職ならではフル・オーダーメイド転職支援を通じて、今世の中の求人票にはない、あなただけの求人ポジションをつくります。

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