自分たちの手で、福岡の街をもっと面白く。
未来に向けた都市開発にかける思い
創業60年の私たちは、福岡の街と共に成長してきました。土地など何も持っていない状態で開発事業をスタート。「街を面白くしたい」という強い思いを原動力に、私たちだからこそできることを考え、実行してきました。
時代ごとに注力する領域は変化していますが、「福岡の街とシンクロして成長し、より面白くしていくんだ」という考えは、創業当時から変わっていません。
弊社グループでは「福岡の街づくりを担い続ける」ことをビジョンとし、住宅、オフィス、商業施設、ホテルを中心に開発から運営まで一気通貫で行っています。また、これらのアセットを複合させた都市開発にも取組んでいます。
もちろん福岡地所も「コロナ」の影響をうけました。その反省を活かし物流施設や賃貸マンション等、色々なアセットを開発し事業リスクの分散を図る事を考えています。
それに加え、主力のオフィス事業については「コロナ禍でも選ばれるオフィスって何だろう」ということを考え続けています。
その土地ならではのポテンシャルとニーズを引き出し、人の集まる施設を作ることが私たちの役目です。そのためには運営業務も不可欠と考え、グループ会社ではオフィスビルの保守メンテナンスや、商業施設運営もおこなっています。
創業は1961年。最初は保険代理店事業でした。そこから不動産業を始めたのが、創業第一期です。
その後、商業施設のキャナルシティ博多(1996年開業)を作った時期が、第二期に当たります。キャナルシティの成功を皮切りに、大規模商業施設の開発を積極的に手がけるようになりました。
マリノアシティ福岡や木の葉モール橋本、リバーウォーク北九州にパークプレイス大分など、何万平米という商業施設の開発と運営を相次いで実現させています。
今は第三期にあたり、天神や博多駅といった福岡の中心部で、街づくりを面白くリードするような開発を進めています。
一番は「人」ですね。福岡の街について本気で考えたことを、ちゃんと実行できる環境があるので、若手の成長スピードが早いんです。早くから手触り感を持って街づくりにチャレンジすることで、人が育つことが強みだと思います。
採用の際、一番意識して見ているのはコミュニケーション能力です。デベロッパーは、様々な人や会社を集約し、1つのベクトルにまとめていく必要があります。そこに面白がって飛び込める、心の強さがあるかを重視しています。
これからは、福岡を面白くしつつ、我々のビジネスモデルを世界にも発信していきたいと考えています。
コロナ禍でオンラインの交流が増え、海外との距離感はぐっと縮まりました。国内だけでなく、グローバルな都市間競争の中で、福岡が選ばれるにはどうしたらいいかを考えなければいけません。
福岡にベースに置きながらも、世界に向けてどんどん視野を広げていこうと思っています。
幸いなことに、ご依頼いただく案件数がかなり増えており、社員数200人ほどで対応するのに四苦八苦しています。人不足で諦めざるを得ない案件が出るのは本当にもったいないので、人員確保をどうするかが一番の課題です。
福岡地所では、さまざまな業種のバックボーンを持つメンバーが働いています。デベロッパー未経験であっても、何か軸を持っていてコミュニケーションが得意な人であれば、すぐにキャッチアップできると思うので、意欲ある人に来てほしいですね。
私は千葉出身で、縁もゆかりもない福岡に転職してきました。来てみて思うのは、自分に軸があれば、どこでもいい仕事はできるということ。働く場所は関係ないな、と実感しています。
福岡には、よそ者をシャットアウトしないオープンな雰囲気を感じます。私が入社した時も、よそ者だったにも関わらず、すごくいい空気感で迎えてもらえました。新しい環境に飛び込む人を、受け入れてくれる街だと思います。
入社以前にしていたこと
生まれは福岡で、小学校の時に関東に引っ越し、東京の大学に進学しました。新卒で金融機関に就職し、2年ほど資産管理などのバック業務を経験。その後、ロンドンで1年勉強し、帰国後は融資やリスク管理などを担当しました。
金融機関を選んだのは、「市場の血流」と言われる世界で色々勉強したいと思ったからです。7年働き、ある程度キャリアが積めたのと、子ども時代に住んでいた福岡の空気感が自分には合っていると感じたので、移住することにしました。
入社した理由
前職の経験から、金融業界は少しジェネラリスト志向が強いなと感じていました。次は1つのアセットに注力できる業界に行ってみたいと思い、不動産がいいかなと。
未知の業界ではありましたが、面接では丁寧に質問に答えていただきました。福岡地所からの「会社のことをよく知った上で入ってほしい」という気持ちや、人の良い雰囲気が伝わってきたこともあり、入社を決めました。
今、取り組んでいること
今年の2月に入社し、今は企画部にいます。ここは、グループ会社も含めたあるべき姿や戦略を考えていく部署です。
前の会社と比べ人数がそこまで多くないので、「この人はこんな仕事してるんだな」と感じながら働くことができ、意思疎通がしやすいです。会社が不動産事業を「街づくり」として担っているため、福岡を発展させたい思いが根底にあるなと感じることが多いですね。
「福岡をもっと盛り上げたい」という熱意的を持っている人であれば、どこの部署でも活躍できると思います。
入社以前にしていたこと
福岡の大学で工業デザイン系の勉強をしていました。手を動かすデザイン以外に、人を動かすデザインもあるという観点から、街づくりの仕事を知り、興味を持ちました。
最初の就職先は、東京にある商業系のデベロッパー。小売と不動産の両輪で、既存の施設を活性化していく仕事が多かったです。ハードとソフトの両面をでうまく機能させていくのが、デベロッパーの仕事だと学びました。
入社した理由
妻も私も九州出身なので、近くに家族がいない中、東京で子育てしていました。異動で私が通勤に2時間かかるようになり、妻と別々に休みを取るなどしてがんばっていたんですが、この状態が続くのはけっこうきついな、と。
今後を考えると、まわりに助けてくれる人のいる慣れ親しんだ土地の方がいいのではと思い始めました。デベロッパーの仕事は続けていきたかったので、福岡の知り合いにどういった企業があるか、どのような仕事をしているかを聞き、中途採用を募集していた福岡地所に応募しました。
今、取り組んでいること
入社後、まず商業施設の運営にかかわる事務局的な仕事から始め、店舗誘致業務を経て、開発事業部部に異動しました。その後2年間、外部企業に出向し、去年の8月に戻ってまた開発の仕事をしています。
前職は商業施設の開発・運営がメインで、それ以外の事業領域に触れることはありませんでした。福岡地所には商業以外にも様々な事業領域の案件が集まっているので、事業ごとの考え方や自社の立ち位置を踏まえながら戦略を練る必要があります。思考の幅がすごく広がりましたね。
まわりには、自分が何をやるべきかを考えて行動するメンバーが多いですし、積極的に発言できる環境もあります。これまでにない経験ができているので、非常にいいタイミングで転職できたなと感じています。
入社以前にしていたこと
出身は福岡ですが、千葉県で育ちました。小学校から大学までずっと野球をやっていたので、いざ就職活動する時期になっても、どんな仕事が向いているかわかりませんでした。
色々な選択肢を考えた上で、まずは社会の血液と言われる金融業界へ飛び込んでみてやりたいことを探していこうと思い、信託銀行に入りました。
最初の3年は東京、その後大阪で法人営業をやり、また東京に戻って本部で広報業務に携わりました。再び営業に異動したいと思っていたんですが、会社からそのまま本部にいてほしいと言われて。
30歳を過ぎた頃だったので、転職するなら今かなと考え、外資系の保険会社に入りました。
入社した理由
2社目で4年働いた後、妻の実家がある福岡に引っ越そうと思いました。地元に根ざし、かつ大きな仕事ができる会社がないか探していたところ、福岡地所が不動産業務未経験者もOKという形で募集しているのを見つけました。
当時、天神ビッグバンなどの大きなプロジェクトが進んでいて、福岡地所も複数のプロジェクトを手掛けがいたんです。面接では、私のバックグラウンドなど人柄を重視した質問をしていただき、さらに金融業界出身で活躍されてる方もいると聞きました。
その方達のように自分も頑張っていけたらと思い、入社を決めました。
今、取り組んでいること
今は財務経理部で、資金調達や管理をメインに担当しています。銀行と協議し、引き続き支援してもらえるような関係性を作っていくことは重要で難しいですが、楽しい仕事です。
ここ数年で開発案件が増え、福岡地所は再び成長フェーズに入っていると思います。社内には個人の考えを聞いて受け入れてくれる文化があるので、自分で創意工夫したり、新しい取り組みを楽しんだりできる人が活躍できる会社だと思います。
福岡県福岡市博多区住吉一丁目2番25号 キャナルシティ・ビジネスセンタービル10F
10,000万円
204億円(2020年度)
榎本 一郎(代表取締役社長)
1961年7月
188名
不動産/デベロッパー/都市開発
YOUTURNからのコメント
スマートさと熱意が共存!福岡で誰よりも街づくりを考えている企業
高尾大輔
YOUTURN 取締役 キャリアコンサルタント
九州・福岡にゆかりがある人なら、誰もが知っている福岡有数の伝統ある企業福岡地所。創業50年を迎えた同社が、保険の代理店業から開業したという事実は、実はあまり知られていないことかもしれません。
スマートだけど、根底にある「街づくりで福岡を盛り上げる」という熱く、強い気持ちを持つみなさんと一緒に働きたいと思った方、ぜひ一度お話ししましょう。その後、不動産業を通じて街づくりのプロフェッショナル集団へと姿を変えていった同社が、近年における日本の地域開発の中で最大級規模の「天神ビッグバン」プロジェクトの中心にいることは容易に想像できるはずです。
インタビュー中の「福岡の街の進化とともに、福岡地所の進化がある」という言葉もあったように、今はまさにその進化に向けた過渡期であり、次の50年を創り出す最も重要な時期に差し掛かかったと言えるでしょう。
歴史のある大企業が変革を遂げていくタイミングというのは、運命、巡り合わせと言う以外に適切な言葉が見つからないほど稀有なことであり、そこに当事者として関わるチャンスはなかなか訪れません。