「地域のエコシステム」の実現へ!
あらゆる人がチャレンジできる世界を
イジゲングループは、主に地方中小企業へのDX支援をベースに、あらゆる悩みに対しハンズオンで伴走支援を行なっています。
“リアルの世界とバーチャルの世界を組み合わせて新しい世界観を作り、価値を生み出したい”との思いを込め、「イジゲン」と名付けました。
新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、月次2倍と順調に伸びていたalwaysというサービスが大きな打撃を受けました。経営の立て直しをする中で、自分たちがやってきたビジネスを改めて考えたんです。
イジゲングループは創業当初から0→1の支援と開発が得意で、自社プロダクトの開発や運営の経験も豊富です。デジタルによってお客様の変革を後押しするような事業であれば、僕らの強みを最大限発揮できるとの結論に行き着きました。
2022年12月には、より多くの課題解決を実現すべく、株式会社西日本フィナンシャルホールディングスのグループ会社となりました。
顧客が抱える経営課題に対してパートナーとしてワンストップのDX支援を行っています。新規事業をはじめ多岐にわたる経営課題のひとつひとつにサービスを提供できることが特徴です。
最初の自社サービス「AIRPO(エアポ)」は街中の回遊性を高められるプロダクトでした。ジョイントベンチャーとして携わっているPECOFREE(ペコフリー)は学生向けのお弁当モバイルオーダーのサービスです。
オンラインだけで完結せず、リアルも含めて物作りをしていくところは、イジゲングループのコアバリューとして続いています。
イジゲングループには、多種多様なジャンルの経験豊富な人材が集っています。守備範囲がとても広く、ソフトウェア開発といった単発のプロジェクトから始まったとしても、それだけに留まりません。
例えばそれを運営するメンバー、さらには運営する人材の採用支援をするメンバーなどのナレッジを結集して顧客の抱える本質的な課題に向き合います。
私たちの事業には、お客様とロングタームの関係性の中で次の世界を共に目指すという特徴があります。
大学を中退し、1年弱ほど父の会社を手伝った後、IT系の会社に就職しました。東京でSESとして業務系のソフトウェア開発に携わったのが1社目です。2社目はベンチャーでコンサルティングと人事評価の自社プロダクトを作っていました。
その後フリーランスとなり、東日本大震災を機に大分へのUターンを考え始めたものの、当時、大分にはIT系企業がほとんどなくて。エンジニアのブログを読んだことがきっかけで、アラタナの研究所(福岡)に入りました。
色んな人が入れ代わり立ち代わり遊びに来るオープンな環境の中でニアショア開発を手がけるモアモストとつながり、地方を活性化するという企業の考えに共感し、取締役として大分に戻りました。
1年ほど経ったところで、「自分たちの業界、特に成長・発展が難しい地方では、自発的に価値を生み出していく必要がある」と思うに至り、イジゲングループの前身であるイジゲン株式会社を2013年11月に設立し、2020年6月にイジゲングループを立ち上げました。
地方中小企業の抱える課題は実に多様化しています。一般的なIT企業のままでいては、顧客の本質的な課題解決を支援することは難しいと感じます。
イジゲングループには、経験豊富な人材が揃っています。多様なバックグラウンドを持つ人材が集まっているからこそ、幅広い課題を様々な視点から柔軟に捉えることができ、顧客と一緒に本質的な解決に辿り着けるのだと思います。
僕らのように地方企業を支援する側は、ソリューションへと向かう途上でさらにアクションと打ち手を出し続け、徹底的に伴走支援していくようなビジネスモデルが必要です。
その土台となるのはやはり「人」であり、イジゲングループの持つ最大の強みでもあります。
「あらゆる人がチャレンジできる世界をつくる」というビジョンを掲げています。
世の中をより良くするために挑戦する人が増えれば増えるほど、世の中は豊かになっていく。皆がチャレンジしやすい世界、つまり「環境」を作るのが僕らのミッションとビジョンです。
地域の中小企業は社長一人で背負いすぎているケースが多く、事業のポテンシャルに気付けないこともありますし、なかなか踏み出せない実情もあります。
僕らが右腕となって後押しすることで新しい事業が生まれ、真の意味での「地域エコシステム」ができるでしょう。自社だけでプロダクトを作るよりも、世界や日本経済から見たときに全体の総量をずっと大きくできるはずです。
多くの地方企業が抱える事業承継の問題も打開したいです。今よりもっとダイナミックにお客様と関わることで、企業のポテンシャルを最大化し、より良い社会に繋げられるのではと考えています。
多種多様な業界の企業と、いかに一丸となって社会課題に立ち向かっていけるか。その環境を作ることが最大のチャレンジです。
地方企業のカルチャーとして、近すぎるがゆえ保守的になってしまい、協業が進まないという点が挙げられます。創業当初から感じている問題の一つです。
地方ほど無駄な争いを止めて、皆が「株式会社大分県」や「株式会社日本」くらいの意識を持って一緒に動かなければ、最適な課題解決は成し得ないでしょう。
僕らのビジネスでは人をどう巻き込むかも重要ですが、自社だけでなく、他社をも含めたコングロマリットの実現がとりわけ大事です。
個人の持つスキルは資産です。限られているからこそ、あらゆる資産(スキル)を共同財産として活用していく必要があります。
社会課題から逆算し、いち早く壮大な社会づくりを実現させるためにも、プレイヤー皆が共有の意識を持って動けるかどうかがキーになると考えています。
もうお気づきの方も多いと思いますが、九州のほうが実は面白い。
関東エリアに比べて課題が沢山あるし、やらなきゃいけないこと、やれることも多い。ビジネスパーソンが一度この環境を経験すると、きっとワクワクするはずです。
転職を考えている方は、移住前に試しに来てみるといいかも知れません。関東から九州に来るぶんには、生活コストの面でも寧ろゆとりができますし、僕はリスクなんてないと思います。
何も考えず、踏み出してみたらいいんですよ。あとは周りがなんとかしてくれますから(笑)。
共に働く上で、重要視しているのはリスペクトしあえるかどうか。レガシーな判断軸ですが、結局はそこが大事だと考えています。僕らの仕事はお客様があってこそ。お客様の成功を自分事のように喜べるかどうかも大切ですね。
オンラインだけでは見えない部分もあると思うので、最終面接では実際に直接会い、例えば人によっては飲み会を開くなど、いかにお互いの熱量を引き出せるかを意識しています。
価値観や想いを共有し、お互いの違いを理解し、その上でリスペクトしあえそうかどうか、気軽に話せたらと思いますね。
Interview
入社以前にしていたこと
大阪の大学を卒業後、新卒で地元・大分の銀行に入行しました。元々は通信系志望で、就活時は東京や大阪の会社を受けていました。
行きたいところからは内定がいただけず悩んでいた際に、生まれ育った大分県への恩返しをしようと思い、大分の銀行にエントリーをしたんです。それでご縁をいただいたところから社会人生活がスタートしました。
銀行生活は別府市にある鉄輪支店から始まり、3年目に北九州の小倉支店へ異動することに。一から融資やローンの勉強をしながら、外回りの営業を担当しました。
3年経ち、大分に戻るタイミングでコロナが始まり、コロナの制度融資をはじめ多くの企業様の資金繰り支援に奔走しました。今振り返ると、銀行員生活最後の1年は激動の1年間でしたね。
入行してから6年が経ち、銀行にとどまらず違うことにチャレンジしてみたいと考え、転職することを決めました。
入社した理由
以前からIT業界に惹かれていました。でも、学生時代は文系で、専門的な知識を持ち合わせていなかったんです。ずっと憧れがあったので、銀行を辞めてから1年ほどは、独学でエンジニアになるための勉強に励みました。
入社のきっかけは、大分のWeb制作会社の知り合いから「イジゲングループという面白い会社がある」と教えてもらったことです。気になって調べ、インターンの募集に申し込みました。
2021年の1月から社内のエンジニアの方にメンターとして付いてもらい、3ヶ月間ほどプログラミングの教育をしてもらいました。
インターンを通して、あらためてイジゲングループに魅力を感じ、ここで働きたいと決心しました。2021年4月に、正社員でエンジニアとして入社しました。
今、取り組んでいること
現在は経営企画室に所属しています。西日本フィナンシャルホールディングスとのコミュニケーションのフロントに立ち、主に銀行との情報連携を図っていくハブのような役割を担っています。
エンジニアとして開発に携わる業務ではなくなりましたが、不満は全くありません。自由度の高いイジゲングループと銀行とではカルチャーが異なります。
銀行出身の私だからこそ銀行側の目線も理解ができる。両者を繋ぎ合わせる今のポジションに、会社が適性を見出してくれたのだと思っています。
今後は西日本フィナンシャルホールディングスのグループ企業としての成長を常に考え、戦略を立てていきたいですね。業種業界問わず誰もがクライアントになり得るので、あらゆる人のチャレンジを支援できるようなソリューションを提供し続けたいです。
社内においては、経営陣とメンバーの間に立つポジションとして、メンバーの意見を尊重し、さらなる経営改善につながるような取り組みを積極的に行っていきたいです。
入社以前にしていたこと
大学卒業までを大分で過ごし、新卒で東京のブライダル企業に入社しました。けれど、経営面に不安を感じて程なくして退職しました。
東京に出たのは、あくまでブライダルの仕事のためだったので、大分に戻ることに。さてどうするかとなり、これからはITだと思い浮かんだんです。
そこで大分のIT企業を調べたところ、モアモストがインターンを募集しているのが目に留まりました。一からITの勉強ができると思い、応募することにしました。
モアモストでは、2年間フロントエンドエンジニアを務めました。仕事はもちろん大変でしたが「これができるようになったら次はこれ」と、ステップを一つずつ達成していくのが楽しくもありました。
一方で、エンジニアとしての自分自身にどこか違和感も抱えていたんです。本当にやりたいことは何なのか。当時は自問自答を繰り返していました。
入社した理由
鶴岡が声をかけてくれたことがきっかけです。「広報に向いていると思うから、来ない?」と。鶴岡の存在は知っていましたし、面識もあったんです。広報と聞いて面白そうだと感じ、未経験でしたが飛び込みました。
実は、私はイジゲングループを一度辞めています。新型コロナ感染症拡大の煽りを受けて自社サービスの広報の役割が縮小しました。同時に、広報のスキルを磨きたい思いも強まり、修行のような気持ちで東京のPR会社にジョインしました。
退職してからも、鶴岡とは接点がありました。ある時「九州の中小企業は可能性を秘めていることが多いから戻ってこない?」と。その言葉で、戻ることを決めました。
面白いことに、私以外にも一度外へ出て戻ったケースは多いんです。皆が良い繋がりを維持できているのだと思います。
今、取り組んでいること
東京のPR会社で学んだものを活かし、より戦略的な広報をしなければと日々感じています。
イジゲンがどうあるべきか。そのためにはどういう広報をすべきか。社内外ともにアプローチして、今は一から土台作りをしているところです。
お客様の広報支援もお手伝いをしている中で感じるのが、広報と広告とのイメージが混同されがちだということです。認知度・信頼度を上げていくツールとして、広報の重要性はもちろん、コンセプトそのものから理解をしてもらえるように広めていきたいですね。
「広報をやりたい」と思えば、誰もができるように環境を整えていくことも私の役割だと考えています。
大分県大分市大道町2丁目6番26号 N2G
福岡県福岡市博多区博多駅前1丁目3番6号(西日本シティ銀行本店別館8階)
24,128万円
非公開
鶴岡 英明
2020年10月
40名
DX支援
YOUTURNからのコメント
comment
大分から風を起こし、地域エコシステムを実現させる
高尾大輔
YOUTURN 代表取締役 キャリアコンサルタント
イジゲングループは、デジタルプロダクトの企画開発や事業経験の豊富なメンバーによって、企業の課題にデジタル技術/クリエイティブを組み込みながらワンストップでサポートする企業として2020年に設立されました。
2022年12月には、西日本フィナンシャルホールディングスのグループ会社に。数多くの企業との取引基盤を有する西日本FHグループとの連携を強化し、新たな地域金融グループへと変革を続けています。
主に地場の中小企業を中心にハンズオンでDX支援をしており、経営問題そのものに入っていきながら、課題解決に合致するソリューションを提供しています。
「地方企業ほど協業の意識が必要。皆が『株式会社大分県』や『株式会社日本』くらいの意識を持って一緒に動かなければ、最適な課題解決は成し得ない」と語るCEOの鶴岡さんのことばが印象的です。
イジゲングループの力強い伴走支援により、地方にも次々と新しい事業の芽が出て「地域エコシステム」が形作られてゆく。近い将来、そんな姿を見るのが楽しみでなりません。