「はじめから帰る一択だった」大好きな福岡で、掴んだ「今」が最高

私の移住転職ストーリー
08/02/2024 更新

「はじめから福岡に戻ることは決めていた」就職を機に福岡を離れ、東京の大手情報システム会社に入社した清原さん。業界最前線で営業道をひた走る日々でしたが、27歳でUターン転職を決意しました。

まさにこれから花開かんとする20代。大都市でのキャリアの可能性を手放すことに、なんの迷いも生まれなかったのでしょうか。

現在は、福岡のネクスト・モビリティ株式会社で自身の可能性にチャレンジしつづける清原さんに、移住転職の経緯を伺いました。 ▼【無料・登録所要時間3分】YOUTURN会員登録はこちらから!

「一度は大都会で揉まれてみたい」福岡を離れ、東京の大手システム会社へ

――清原さんは九州の大学を卒業後、大手情報システム会社のオービックへ入社されました。地元福岡での就職という選択肢もお持ちでしたか。

福岡での就職は考えておらず、「一度は大都会の波に揉まれてみたい」という思いが強くありました。23年間ずっと福岡で暮らしてきたので、地元を離れて新たな環境に身を置いてみたかったんです。

将来的には福岡に戻るつもりで上京しました。


――IT業界に絞って就職活動をされていたのでしょうか。

情報通信業で受けたのは前職だけで、他は銀行など金融関係が中心でしたね。根底にあったのは、「幅広く様々な業界と関われるような仕事をしたい」という気持ちで、業界自体に対するこだわりはそんなになかったんです。


――最終的にオービックに決められた理由を教えてください。

まずは仕事内容です。お客さまの課題に対するソリューションを考え抜き、営業もSEも一丸となってシステムを導入しに動いていくところに惹かれました。

「課題解決」や「チームワーク」というのは、私自身が大学の4年間アメフトを通して鍛えてきた部分です。これまでの経験も活かせるのではないかと感じたことに加え、オービックの面接では不思議と緊張せずに自然体でいられたことも決め手となりました。


――清原さんは大学からアメフトをはじめられたとか。未経験で飛び込むことに怖さはありませんでしたか。

昔からスポーツは好きでしたが、高校生活は学業に捧げてきました。ようやく受験勉強から解放されて、運動したい欲が高まっているときに大学のアメフト部から勧誘を受けて。高校ではそういう経験をしてこなかったことも相まって、九州制覇という目標を掲げ、皆が一致団結している姿がすごく眩しく見えたんです。

大学からアメフトをはじめる人も多く、同じスタートラインに立てたので怖さは感じませんでした。


――「チーム全員で同じゴールを目指す」ということが、お仕事の価値観にも共通していそうです。4年間オービックで過ごすなかで、一番印象的だったことはどんなことですか。

特に思い入れのあるプロジェクトが形になったときのことです。扱う商材が情報システムなので簡単に売れるものではなく、受注までのリードタイムが長いんです。1年かけて提案に通いつづけて、2年目に商談にこぎつけ、3年目で受注が叶って4年目でようやく走りはじめたときは感慨深かったですね。

最初はひたすら「ちょっと近くにいくので寄らせてください」という具合にゲリラ戦で営業をかけてという感じで、とにかくグループ会社のなかの担当者さんと仲良くなるために必死でした。

具体的な検討段階では上司とも引き合わせてスケジュール感を擦り合わせたり、課題のヒアリングや予算を相談したり。最終的には、先方の経営会議をどう通していくかというところまで一歩踏み込んで資料を作ったりと、本当に泥臭く、がむしゃらに仕事をしていたと思います。

20代の「今」福岡に帰るのがベストだと、すべてのピースがはまった瞬間

――転職を考えはじめたきっかけはどんなことでしたか。

入社して3年間はとにかく走りつづけました。大きなプロジェクトを一つ終えて4年目に入り、一息ついたタイミングで、「一生この仕事をつづけていくのか?」という疑問が頭をもたげてきたんです。

長期にわたる提案活動のなかで、お客さまから「良くなったよ」「前より使いやすくなった」と言葉をいただくこともありました。ただ、実際にそれを自分が目の当たりにする機会はあまりなくて。どこがどう良くなっているのか、自分では実感しづらい部分にもどかしさがあったんです。


――20代で移住転職を決断されましたが、東京で暮らすなかで「いずれは福岡へ戻る」との意思が揺らぐことはなかったのでしょうか。

福岡に帰る一択でしたね。そして、東京に「行かなければよかった」とも一ミリも思っていません。はじめは大都会のなにもかもに圧倒されるほど刺激的で、今振り返ってみてもすごく楽しかったです。それでも「福岡が好き」というベースは変わらずでした。

コロナ禍で自由に帰省できない状況下では、今後を考えて「もっと家族の近くにいたい」と身に沁みて感じたと同時に、「仮に東京で結婚したら、福岡に帰るタイミングを逃してしまうかもしれない」と、どこか落ち着かない気持ちもあって。

もし東京で所帯を持つとなれば、現実的には埼玉や千葉に家を建てて、1時間以上かけて都内へ通勤することになると考えたときに、「そういう生活を今後何十年とつづけられるかな......」とぼんやり思ったんです。

その瞬間、「将来は」ではなく、「今、福岡に帰るのがベストなんじゃないか」との結論に辿り着きました。

そこで27歳の誕生日に、先にYOUTURNを介して福岡にUターン転職した前職同期の岡くんに頼み、高尾さんに繋いでもらったんです。


――福岡でご自身にとって魅力的な会社が見つからなければ、今も東京に残っていたと思いますか。

転職活動の結果、本当に納得いかなければもう1〜2年は向こうに残っていたかもしれません。でも、帰るという意思は固く、いずれにせよ福岡に戻ってきていたと思います。

目の前の人にダイレクトに届くサービスに魅了されて。実感する確かなやりがい

――「清原さんは絶対に転職市場でモテる人」と高尾が話していたのが印象的でした。複数内定を取られたなかで、最終的にネクスト・モビリティ社に転職した決め手はどのような点でしたか。

実は、第一志望は早いタイミングで決めていました。はじめに事業内容を聞いた時点で一番ワクワクしたのがネクストモビリティだったんです。AIを使ったオンデマンドバスというサービス自体が目新しく、また、サービスを導入した結果が明瞭で分かりやすい点も魅力的で、一気に心が傾きました。

福岡で育つとバス文化が当たり前ですが、一歩離れてみると空のバスが走り回っている地域が本当に多いんです。その実情に対して、スマートフォンやAIの仕組みを駆使することで、自治体の課題に応えることができ、ひいては多くの人の利便性の向上にも繋がる。

私たちのサービスが目の前の人にダイレクトに届くことに、確かなやりがいを感じています


――営業職、かつリードタイムが長いという括りでは前職と近しい部分もある半面、ギャップを感じることもありますか。

電話してアポイントを取るというはじめのプロセスは一緒です。けれど、扱うものも違えば、前職は民間企業が相手、今は行政が相手なのでギャップはありますね。

例えば、営業のやりやすさ。自治体さんはフラットに情報収集されており、コミュニケーションの間口が広いように感じています。営業トークに対してもそう無下にされることがないので、そういった面では以前より気が楽かなと。

難しさを感じるギャップは、税金を使う事業ということもあり、担当者の一任では決められないところでしょうか。営業活動としていわゆる寝技の類いは通用しないんです。

競合他社の選定は、公平を期すためにプロポーザル方式で行われます。公募が始まると自治体と連絡が取れなくなるので、それまでにいかに担当の方とつながりを持ち、Win-Winな形で折衝交渉できるかどうか。公募要件や仕様書といった自治体側の要件に、いかに自社の強みを入れ込んでもらい勝負できるか。現職ではそういう関係性を構築する必要があるんです。


――入社から早1年3ヶ月が経ちます。今後のネクストモビリティでの仕事の広がりを考えると、現時点では何合目まで登った感覚ですか。

一周してみてもまだまだですね。まだ半分にも届かないんじゃないかと思います。

このサービス自体が黎明期なので、さらに成熟していくなかで業界トップの実績にまで拡大させていきたいと考えています。営業の一人として、その一翼を担えるようになっていきたいなと。

これまでのやり方が通用しない厳しさもあります。それでも複数社が並んだ状態から、お客さまの気持ちがこちらに動いたと感じた瞬間は、忘れられないターニングポイントとして残っています。

前職と同じくプロジェクトを一周はしましたが、もういいや、という気持ちには全然ならないんです。

「今はすべてが充実している」この一言に尽きる

――福岡に戻るとなって、ご家族の反応はいかがでしたか。

両親は非常に喜んでくれました。福岡に帰ることになったと連絡したときに、直接「やった!」と分かりやすい言葉があったわけではないんですが、声だけでも喜んでいる様子がすごく伝わってきました。

今は実家の近くに住んでいるので、月に一回ぐらいは顔を見せに帰るようにしています。


――QOLに変化はありましたか。

満足度はかなり上がっていますね。

東京にいた頃は、通勤だけで毎日2時間ほどは消えてしまっていました。当時はそれが日常だったので疑問にも思わなかったんですが、いざ通勤に費やす時間がなくなると、すごく余暇があるんだなと驚きました。

今は職場にも歩いて行けて、天神や博多も徒歩圏内と利便性抜群なんです。空いた時間はジムに通ったり地元の友人と飲みに行くこともありますし、なにもせずゆっくり過ごすことも増えました

東京は魅力的で、刺激的なぶんメンタルの波がプラスにもマイナスにも大きく振れていました。福岡へ帰ってきてからは波が安定した感覚で、自分でも少し落ち着いたなと感じています。


――ネクストモビリティで実際に働いてみていかがですか。入社前の印象とギャップを感じることはありますか。

それが全然なくて。明るくて優しい人が多いので馴染むのに苦労することもなく、自分でも驚くほど早く新しい環境に順応できました


――今後大きな軸でキャリアを考えたときに、再び東京に戻る可能性もありそうですか。

現時点では戻る可能性はないんじゃないかなという気がします。仕事においては事業拡大に向けて、営業担当として着実にやれることを積み重ねていきたいですし、福岡に帰ってきてからの日常もすごく気に入っているんです。

「今はすべてが充実している」という一言に尽きますね。特段なにもない限りは、このまま福岡で生きていきたいと感じています。

独り身なら悩むことはなにもない。移住も転職も、自分の意思ひとつ

――移住転職を果たされた方のほとんどが福岡に満足されている一方で、清原さんのように不安や葛藤なく、100%ポジティブというケースはなかなか珍しいのではないでしょうか。
例えば、仕事面。職種にもよりますが、ビジネスにおいては東京が最先端といった印象を持つ方も一定数いらっしゃるように思います。清原さんはどう感じますか。

私の場合、ビジネス的な進み方で東京と福岡にそこまでの差は感じていなくて。いまは自治体営業だからかもしれませんが、気になったことはないですね。

挙げるとすれば、規模感の違いくらいではないでしょうか。一般企業で働く方だと、規模感や関わる人の多さといった面で、はじめのうちは関東の大企業との差を感じる方もなかにはいらっしゃるのかもしれません。


――最後に、移住転職を検討中の方に向けてメッセージをお聞かせください。

福岡は非常に魅力的なところです。加えて、福岡に移ってきても全然仕事はできるし、やりがいのある仕事にも出会えるというのが私の実感です。

なぜ移住転職に葛藤がなかったのか。今振り返ると、一番は、東京でやり切ったと自分で思えていたから。「東京でなければこれが出来ない」というやり残しがなかったからこそ、決断できたんだと感じます。

迷う理由は人それぞれですが、ひとつの判断軸として「やり残したこと」がないのであれば、前向きに移住転職に踏み切ってもいいのではないでしょうか

最後に、移住転職を悩まれている独身の方へ向けて。敢えて「考えることはなにもない」と背中を押させてください。ご家族がいらっしゃる方だとこうはいきません。当時の私と同じく独り身でいる方は、ある意味、自分の意思だけでいつでも自由に動けるということ。移住も転職も、そのタイミングも、すべて自分の意思ひとつです。
<執筆後記>
その道のりも、手にしたものも、100%ポジティブといえるほど満足度の高い移住転職を叶えた清原さん。

折に触れて「今、自分がなにを望んでいるのか」に立ちかえり、欲しいと思った未来にまっすぐ手を伸ばす。そうした姿勢が、現在の清原さんの笑顔をひときわ輝かせているのでしょう。

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著者 YOUTURN編集部
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