「仕事が大好き」と「家族が一番」を両立するための移住転職
大好きな仕事に励みながら、家族の幸せも最優先する―。
なかなか難しいことのように聞こえますが、やりかた次第で実現は可能。それをしっかりと証明しつつあるのが福岡地所の原田さんです。
東京の大手金融機関から、家族とともに九州へ移住転職した経緯を伺いました。
初配属が九州の支店。その後ベンチャー企業への投資子会社へ
――前職は金融機関だったそうですね。
京都の大学を卒業して、銀行に就職しました。経済学部だったこともあり、金融機関を中心に就職活動をするなかで、金融の流れの川上にある銀行が面白そうだと思ったんですね。
同じころ起きたのが、東日本大震災。ここから日本がどう回復していくのかと考えたとき、銀行だったらいろんなビジネスの現場が見られると思い、いくつか頂いた内定のなかから銀行を選びました。いわゆるメガバンクです。震災後、自分の中に生まれた安定志向のようなものも、就職先選びに影響したと思います。
――どのようなお仕事を担当されていたのですか。
最初は九州の支店に配属されました。九州には縁もゆかりもなかったので、配属当初はしんどかったですね。
支店は人数が少ないので、1年目から任される仕事も多いし、責任も重大です。法人営業が中心でしたが、九州の地方都市って、法人が少ないようでしっかりあるんです。上司との距離も近く、とても勉強になりました。支店での経験が、今の自分のキャリアに生きていると。
――支店には何年いらっしゃったのですか。
4年ですね。社内で支店に配属される新人は、概ね2、3年で転勤するので長い方だと思います。支店時代に、地元出身の妻と出会って結婚しました。
仕事のなかで、「エクイティファイナンス(企業が株式を発行して資金を調達すること)」に関わったことがありました。当時、法人営業の主な仕事は、お客さんである会社の財務状況や事業計画を確認して融資を行う、いわゆる「デットファイナンス」。
エクイティに対して、「こんな仕事があるんだ」と面白さを感じました。もともと自分がオタク体質なのもあり、新しいビジネスには興味がある方で。明確な答えがない世界というのも魅力でしたね。
キャリアパスを考えたとき、エクイティの専門知識を高めてお客さんにきちんと提案できるようになれば、自分の市場価値も上がると。そこで当時の上司に「エクイティの仕事がしたい」と希望を出し、ベンチャーキャピタルを手掛ける東京の子会社に出向することになりました。
子どもが生まれ、優先順位を考え直した
――ベンチャーキャピタルの仕事は、どのようなものだったのですか。
ざっくり言うと、ベンチャー企業への投資実務ですね。投資を検討するには、何をどう調べたらいいんだっけ、というところから学ぶ日々でした。
法人営業では、融資を検討する企業の決算書や財務諸表が全てそろっていて、過去の経緯もわかります。一方でスタートアップだと、起業してからの期間も短いです。そのなかで投資の判断材料を集め、事業計画の確からしさを見極める。先輩キャピタリストや、書籍から教わることも多かったです。
ハードワークが続きましたが、自分が投資に関わった企業がいくつか上場を果たして、やりがいも大きかったですね。
――仕事が充実しているなかで、移住を意識したきっかけは何ですか。
一番大きいのはコロナ禍です。その少し前に子どもが生まれて、子育てや住環境を意識し始めた矢先のコロナ禍でした。妻の実家が九州にあり、子育てをするうえで義父母と離れて暮らすことをネックに感じるようになりました。
同じころ、スタートアップ関連の仕事をライフワークにしたいと思うようになったんですね。仕事は大好きな一方で、自分にとって一番大切なものは何だろうと、改めて考えてみました。
一番大切なのは、「家族が健やかに生活できること」。続いて「仕事の質」「収入」と優先順位を決めました。
――家族を最優先することに対する葛藤はありましたか。
仕事大好き人間ですので、葛藤は少しありました。仕事は大変ですが一生懸命に頑張った成果を次につなげていくことが面白いと思っていました。でもその結果、妻や子どもと過ごす時間が減っていく。
コロナ禍で在宅勤務などが増え、家族と過ごす時間が増えるにつれて家族との時間と仕事の楽しさをどう両立させるかを考え始めました。
――移住の話は、ご夫婦どちらから切り出したのですか。
両方ですね。私は関西出身で、妻は九州出身。収入面では東京にいるほうが有利ですが、だからといって、東京で生活し続ける意味があるのかと。
もちろん仕事は楽しいです。ただ、全国転勤がある銀行勤務だと、この先子どもは転校を繰り返すかもしれないし、単身赴任で家族が離れる可能性もあるんですよね。
コロナ禍で在宅勤務が増えたとき、家族と過ごす時間が増えました。17時に仕事を切り上げて、子どもと外に遊びに出るとすごく楽しそうで。
一緒にお風呂に入ると、その日のことを話してくれるんです。子どもが通っている保育園ぐらいは知っていても、恥ずかしながら先生の名前とか、どんなイベントがあるのかとか、それまで一切知りませんでした。家族のために仕事をしていても、家族と充分なコミュニケーションが取れていなかったことに気づいたんですよ。
家族みんなにとって一番よい生活環境はどこだろうと話し合い、移住前提の転職活動を始めました。
オンとオフが切り替えられる環境を整える
――移住転職にあたり、どうやって情報収集をしましたか。
自治体の「移住支援」のウェブサイトを見たり、YOUTURNに登録したり。他社の転職エージェントの話も聞きました。
――福岡地所に転職する決め手は何でしたか。
事業会社でスタートアップに投資ができるだけでなく、さらに踏み込んで、スタートアップの事業に伴走できそうだと感じたからです。FGN(Fukuoka Growth Next)の運営をしていたり、昔からベンチャー投資を手掛けたりと、スタートアップフレンドリーな会社だと。
オフィスでリアルに顔を突き合わせて、「ちょっと相談いいですか」とか、雑談を通じて得られる気づきとか。そういった仕事環境も魅力でしたね。
――現在の住環境はいかがですか。
オフィスから、電車で1時間ほどのところに住んでいます。東京での通勤時間と同じぐらい。電車の中では本や新聞を読んでいます。妻の実家にも近くなりました。
オンとオフの切り替えが、きちんとできる環境になったと感じます。平日は全力で効率よく仕事をして、早く帰る。そうすると平日でも家族の時間が作れます。そして土日はしっかり休んで、家族と過ごしています。
仕事と家庭は両立できる
――福岡地所に入社後の印象はいかがですか。
楽しく自由にやらせて頂いています。具体的な業務内容としては、スタートアップ投資やM&A、新規事業開発など、福岡地所がこれまで培ってきたアセットを生かしたビジネス開発全般です。
所属する事業創造部は、ミッションがあり、到達までのKPIを細分化して、守備範囲を明確にして進めるやり方をしています。出張も多いですが、上司含めてメンバーに恵まれていると感じます。
――福岡のスタートアップと接するなかで、東京との違いは感じますか?
根本的に、起業家の熱量は同じだと感じます。東京でも福岡でも、優秀な人が起業しているのは間違いありません。ただ、福岡のベンチャーのIPO数は、東京のそれよりもはるかに少ない。
理由のひとつに、先輩となる起業家が、近くにいないからだと感じます。例えば東京では、六本木や渋谷にベンチャー会みたいなコミュニティがあって、そこで先輩の話を聞いて自分の事業につなげたりしているんですよね。
起業家が、「こんなビジネスを考えている」「ちょっと相談したい」と気軽に話せる環境が、福岡にできればいい。自分のライフワークとして、東京や大阪や、あるいは台湾と、福岡のスタートアップが継続的につながる仕組みも実現させたいと考えています。
――移住後、ご家族の様子はいかがですか。
楽しんでいますね。東京では車の運転を全くしなかった妻が、こちらでは車でアクティブに動いています。自分が生まれ育った地元で子育てができるし、価値観が近い人も多いのかもしれません。
子どもも保育園に途中入園してうまく馴染めるか心配でしたが、あっという間に仲良くなれたみたいです。先生たちもケアしてくれて、ありがたいですね。東京では人工芝だった保育園の園庭がこちらでは土なので、毎日泥んこになって帰ってきます(笑)。
私自身は一生懸命働く母の姿を見て育ったからか、仕事を一生懸命やりながら家庭も大切にする親でありたいとずっと思っていたので、今の生活に満足しています。
ーーYOUTURNを利用された感想はいかがですか。
登録から移住転職までのプロセスがシンプルでよかったです。移住転職者の気持ちに寄り添ってくれている、とも感じました。私は、福岡地所から内定が出た後に、「福岡地所ともう1回面談したい」とYOUTURNにセッティングをお願いしたんです。
エージェントとしては、私に「どちらにするか早く決めてください」と言えば済む話ですが、私の気持ちを汲んで面談をセットしてくれたので、「YOUTURNは普通の転職エージェントとは違う」と思いました。
<執筆後記>
人生の節目節目で、自分にとって大切なものは何かを見直し、アップデートを続けてきた原田さん。「家族の幸せが最優先。でも仕事の質も手放さない」。その両方を実現するために、移住転職を決めました。
YOUTURNでは、皆さん一人ひとりの個性や価値観と向き合った転職相談をおこなっています。福岡への移住転職をお考えなら、ぜひ一度お問い合わせください。