「継ぐだけでは終わらない」家業継承を見据えながらも、自分なりの道を歩む福岡での挑戦

私の移住転職ストーリー
08/26/2025 更新

長崎出身、慶應義塾大学卒業後にトヨタ自動車に入社し、5年間にわたって国内販売事業に携わってきた馬場さん。2025年4月、FCCテクノに転職し、東京から福岡への移住を果たしました。

将来的には長崎の家業を継いで地域に貢献することを目標としながらも、「外の世界で力をつけたい」と語る馬場さん。なぜトヨタを離れ、福岡での新たなチャレンジを選んだのか。その背景にある想いと決断のプロセスを聞きました。

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東京の大学への漠然とした憧れと家業継承への葛藤

──まず、馬場さんが東京の大学に進学しようと決めた理由を教えてください。

東京の大学を卒業した親戚が多く、「一度上京して外の世界を見た方がいい」と言われて育ったので、高校1、2年生の頃から可能であれば上京したい、と考えていました。

高校2年生の時に一人で東京に行き、大学のキャンパスを練り歩いた結果、「慶應ってなんかかっこいい...!」というとても浅はかな理由で志望大学を選びました(笑)

その後、勉強やら部活やらとりあえず目の前のことを頑張っていたら、運よく学校から推薦をいただくことができ、無事に進学することができました。

──卒業論文のテーマが「長崎の地域雇用について」というのは、この頃から将来を意識されていたんですか?

そうですね。とはいっても、頭の隅にぼんやりとあったイメージです。大学3、4年次にはゼミの活動に力を入れ、経済系ディベート大会への参加、社会課題に対し学生目線でアプローチを行うプロジェクト活動、卒業論文の3つの活動に取り組みました。

もともと長崎に愛着があったこともあり、卒業論文は、以前から課題意識を持っていた「長崎の地域雇用」について執筆しました。この頃から、長崎にある家業を少しずつ意識していたように思います。

家業として、ありがたいことに、曾祖父の代から長崎でトヨタの販売店を任せていただいています。また、他にもグループ会社が数社あり、先代が地域との関係を大事しながら、身を粉にして会社を守ってきてくれています。

幼いころ、父からは、「会社を継いでほしい」とはあまり言われていなかったですが、祖父からは、よく言われていた記憶があります。私が長男ということもあり、長崎に戻って家業に関わる必要があるのかなと、幼いながらに漠然と考えていたように思います。

──でも当初は、必ずしも家業を継ぐことに積極的ではなかったとお聞きしました。

はい。今となっては本当に恩知らずで親不孝な話だと思いますが、当初は家業を継ぐことに積極的ではありませんでした。

元々やりたいことが2つあって、1つは愛着のある長崎へ何らかの形で地域貢献をすること、そしてもう1つは音楽業界で働くことでした。昔から音楽が本当に好きで、就職活動が始まったら、音楽関係の会社にエントリーしようと考えていました。

でも、就職活動が始まる前に今まで何も言わなかった父親から「将来どうするんだ」と家業についての話があり、父「継いでほしい」vs 私「継ぎたくない」と、大喧嘩したのを覚えています。

──最終的には家業に関わりのあるトヨタ自動車への入社を決断されたわけですが、その決め手は?

曾祖父、祖父、父と先代が築いてきたものや、今まで家業に関わっていただいた方々のおかげで、何不自由なく生きてこられたことを考えると、そこに対する恩返しをしたいという気持ちが強くなったのがきっかけです。

人生一回きりなので、しばらく後ろ髪は引かれ続けましたが、先代の思いを知れば知るほど、音楽業界で働くことよりも、家業を継ぎたいという気持ちが少しずつ芽生えてきました。

また、家業の発展のために頑張ることこそが、もう1つのやりたかったことである長崎への地域貢献につながるんじゃないかと、自分の中でしっくりきたことも決断を後押ししたように思います。それで、目標に向けたファーストステップとしてトヨタ自動車への入社を決断しました。

トヨタ自動車での5年間:現場を重視した多様な経験

──2020年4月にトヨタ自動車に入社されましたが、どのような環境だったのでしょうか?

国内の販売事業を担う本部に配属され、配属先の皆さんが将来のことを気にかけてくれて、厳しくも愛のある指導をしてくれる、そんな暖かい職場環境でした。

それ以降、グループ会社への出向含めて、様々な部署を経験させていただき、関わっていただいた方々にも同じように多くのご指導をいただき、本当に感謝しかありません。

最初の配属は中古車事業部で、オークションに流れるトヨタ車の流出を防ぐため、ECサイトでの小売事業を推進するという仕事を担当していました。

現地現物というトヨタが大事にしている考えのもと、車両販売店へ訪問し、現場スタッフとの会話を重視しました。会話を重ね、事業スキームに対する誤解を払拭することで、少しずつ協力してくれる販売会社が増えてきたときは、とてもうれしかったですね。

──その後は現場改善を担当されたとのことですが、どのような取り組みをされたのでしょうか?

2022年からは販売現場のオペレーション改善の仕事を担当していました。本社から常駐開始時、急に外部の人間が来るので、現場スタッフの皆さんも抵抗があったと思います。

毎朝の試乗車洗車や、終業時の掃除に毎日参加するなど、泥臭く現場に溶け込めるように生活するように心がけた結果、現場スタッフとの会話が増え、少しずつ想いに共感してくれる方が増えてきたのは、自分の中での成功体験だったように思います。

──トヨタでの経験の中で特に印象深かったことはありますか?

短い期間ではありましたが、工場で3カ月間車両生産応援に入ったことですね。なかなか作業に慣れることができずに、毎日上司から「作業が遅い!」と言われながら頑張っていたのを覚えています。

しんどかったですが、トヨタ自動車の現場が汗水流して車両を生産してくれていることを、実体験を通じて知ることができたのは本当にいい経験でしたね。

U・Iターン転職への決断:先輩の一言が変えた人生観

──順調にキャリアを積まれていた中で、転職を考えるきっかけは何だったのでしょうか?

もともと、長崎から東京に上京した時に、”別の世界を知る大切さ”を実感したので、実家に戻る前に自動車業界以外、かつ規模感の違う会社でも仕事をしてみたいという気持ちがあり、入社5年目ぐらいでの転職を検討していました。

ただ、その転職への気持ちを加速させたきっかけは、自分への劣等感と、ある先輩からの一言だったように思います。

トヨタ自動車では、多くの部署を経験させていただき、様々な分野から自動車業界を見ることができたのですが、一方、自分の業務を長いスパンかけて推進してきた経験が、同じ年代の方々と比べて圧倒的に少なかったので、自分の実務遂行能力にはとても自信がありませんでした。

そんな中、会社の同年代、大学時代の同級生が、仕事で着実に成果をあげているといった話を聞くと、周囲に置いて行かれているような感覚もあり、劣等感を持ち続けていました。

そしてその劣等感の核心を突くように、ある日先輩から、「あなたは、将来への想いも強く、そこに向けた知識も蓄えてきたと思うけど、実務を遂行する力が圧倒的に弱い」と言われたことがあって。結構その一言が大きかったんですよね。

──なかなかストレートな表現ですが、当時の馬場さんにとっては芯をとらえた表現だったと。

はい、先輩の一言のおかげで、過去の自分の仕事を振り返るようになりました。振り返ってみると、自分なりに頑張ってきたけれど、自分の実力や実績で仕事を進めることができていたわけではないなと。

会社の看板や引っ張ってくれていた上司・周囲の方々の力のおかげで仕事が回っていたんだと気がつき、どこか周囲に甘えて過ごしてきた自分が本当に悔しかったのを覚えています。

そこで、まずは5年間トヨタでやり切って、一度自分が甘えることができない環境に身を置こうと、自分の動きが目に見えて会社の業績に直結しやすいような、スタートアップや規模が大きくない地方の中小企業への転職を検討し始めました。

──転職活動はどのように進められたのでしょうか?

2023年秋頃から情報収集を開始しました。はじめは、YOUTURNさんからのご紹介と転職サイトでの情報収集を行っていました。その後、自己分析のため、YOUTURNの担当者と壁打ちをお願いしたところ、親身になって相談に乗っていただきました。

よく理解していただいている分、自分にマッチしている案件を紹介してもらえたので、最終的にはYOUTURNさんからの提案してもらう案件に絞りました。

自己分析を行う中で、劣等感を感じていたからなのか、自分は転職市場に出ても引き合いはないかもしれないと"市場価値"という言葉に囚われることもありましたが、実際の転職活動を通じて「結局そこじゃない」ということを実感しました。

新卒5年目でそもそも専門性があるわけではないですし、あえて他業界に飛び込もうとしていた自分としては、まだまだ年齢が若い分、ポテンシャル採用的に取ってもらえたらそれでいいかなという気持ちで挑んでましたね。

複数社の選考を受ける中で、最終的にFCCテクノを選択しました。

FCCテクノとの運命的な出会い

──FCCテクノとの出会いについて教えてください。

初めてのカジュアル面談はオンラインで実施しました。カジュアル面談の前日に、YOUTURNさんから「代表の西村さんもご一緒するそうです」と連絡されて、いきなり社長!?みたいな感じでしたね。(笑)

面談当日、西村さん、人事の中元さんと話した際、家業に対する自分の将来目標や、なぜ転職するのか、を率直に語ることができたのを覚えています。面接を受けた企業の中で、一番オープンに話すことができた感覚があったんです。

普通なら、いつか家業に戻り会社からいなくなる人間を採用する会社は少ないとは思いますが、自分の将来目標に対して、本当に親身になって聞いてくださって、その姿勢が印象的でしたね。

その後、福岡での最終面接があり、今自分が所属しているチームメンバー全員との面接をほぼ丸一日やって、その後会食に行きました。

1日中、面接されているという感覚があまりなく、お互いの根っこの部分を話し合っているような感覚があり、その時間が本当に楽しかったです。

──西村さんにはどのような印象を持たれましたか?

アカデミックでもありつつ、事業再生の現場で実務をバリバリと回されてきたご経歴で、理想と現実、論理と情といった両輪のバランス感覚がすごい方だなと感じました。

老舗企業だったFCCテクノを数年前にご自身で事業承継されて、従業員の共感を生みながら、スピード感もって会社変革を続けられていることが、面接での会話した周りの方を通じて伝わってきたのが印象的でしたね。

私の実家の創業年数とFCCテクノの創業年数も近く、そういった企業の変革を推進している社長の近くで働けるという経験に面白みを感じたこともあって、FCCテクノへの志望優先順位がグーッと上がりました。

──移住転職に伴う年収についてはどのように受け止められましたか?

実際のところ、前職と比べると金額は下がりました。ですが、金額が減った事実だけに着眼するんじゃなくて、減ったけどその分何が経験できるか、という広い見方をしたほうがいいんじゃないかなと思っています。

私の場合は、FCCテクノを経た上での自分のキャリアや成長が想像できたので、納得しています。給料が上がっても、自分の目標に合致しない、自分の在りたい姿に近づけない環境もあると思うので。

福岡での新生活と将来に向けた帰郷への想い

──FCCテクノに入社されて約半年、現在はどのような仕事をされているのでしょうか?

今は事業再生のコンサルタントとして、クライアントの財務モニタリングや、金融機関との調整をメインで行っています。

大学は商学部ではありましたが、融資関連の知識やファイナンス等に明るいわけではないので毎日が勉強の日々です。西村さんや財務チームメンバーと一緒に、週1回ぐらいのペースでクライアント先に訪問しています。

──代表の近くで働く中で、どのような学びがありますか?

社長が横でクライアントと向き合っている姿を見るのは、本当に刺激的です。

特に事業再生の分野だと、その会社の業績によっては、グループの再編を余儀なくされる瞬間もあり、どうまとめていくか、どのようなスキームで実行するのかというダイナミックな話題も、クライアントや金融機関と議論されており、それらを横で聞かせていただけることだけでも本当に学びが多い。

家業のことを考えると、長崎県の市場もゆくゆくは小さくなり、自動車販売業界も再編(資源集中や外部協業)を余儀なくされる可能性が十分に高いので、それらに通ずる学びを仕事の中で得られているという感覚があります。

──将来の家業継承についてはどのようなスケジュールを考えられていますか?

経営者としての父の背中を見れる時間も限られていると思うので、今のところ30代で戻れたらと思ってます。

家業を継げるかどうかも、私が決めることではなく、実際に家業に戻って働いて、父親が私に任せられると思うのかどうか、現場の方々に認めていただけるかどうか、が大事だと思うので、そういう期間を考えると、それぐらいの時期感かなとは思っています。

ただ、将来のことを踏まえたうえでFCCテクノに採用していただいているわけで、給料という形で人材投資もしてもらっている立場です。

なので、まずはこの会社に対するバリューを第一優先に、目の前のことに集中する過程で、自分の在りたい姿に近づけていけるようには意識しています。

──最後に、移住転職を迷っている方へのメッセージをお願いします。

移住転職は、自己実現の手段でしかないと思っています。

転職して終わりっていう人生じゃないと思うので、先々自分がどうありたいか、どういうふうに生きたいか、何を幸せと思っているかが、はっきりしているのであれば、それらに見合う会社が見つかった瞬間に飛び込んで見たらいいんじゃないかなと思います。

執筆後記

家業継承という明確な目標がありながらも、「継ぐだけでは終わらない」という強い意志を持つ馬場さん。トヨタという安定した環境から飛び出し、福岡で新たな挑戦を続ける姿は、多くの人にとって勇気を与えるものでしょう。

計画的に見えるキャリアの中にも、直感を信じた大胆な決断があり、そのバランスが馬場さんらしさを物語っています。将来の帰郷に向けて、福岡での経験がどのような形で花開くのか、今後の成長が楽しみです。

著者 津金 大樹
2022年からYOUTURN取締役、2023年より代表取締役就任(共同代表)。YOUTURNの移住転職サポート事業立ち上げ時の2018年から参画。ウェブマーケティング、コンテンツ制作を担当。 当社就任以前は、株式会社LITALICOで新規事業開発部に所属し、プラットフォーム立ち上げ。それ以前は、結婚式場の口コミサイト「みんなのウェディング」にてウェブマーケティングやコンテンツ制作、プロダクト開発に従事。新卒で日立製作所に入社。1984年福島県生まれ。

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