お金のためではない生き方を。ボーダレス・ジャパンで見出した働く意義
「AIが人の仕事を代替してしまうのではないか」「大手企業で人員削減がはじまる」
一社での終身雇用神話が揺らぎ、働き方の価値観が変わりつつあります。かつて安泰と思われていた職に就いていても、今後に不安を覚えている方もいるのではないでしょうか。
しかし実際には、現在の日本の有効求人倍率は過去最高の1.6倍を超えたところ(※)。選り好みしなければ、日本は仕事が余っている状態といえます。
その一方で、仕事がないが故に貧困を強いられている国が世界にはあります。今回は、そんな世界の貧困を解決するために、関東から福岡への転職、移住を決断したひとりの男性のお話をお届けします。
お話を伺ったのは、畔上 拓也(あぜがみ たくや)さん。現在は、福岡に拠点を構える株式会社ボーダレス・ジャパンのグループ事業「ビジネスレザーファクトリー株式会社」メンバーとして、バングラデシュの雇用を拡大するために奮闘しています。
自分の志のために、関東から福岡への移住を決断した姿勢。それは、とても清々しいものでした。この記事が、夢や目標があるのにも関わらず一歩踏み出せない、という方にとってのヒントとなれば幸いです。
※2019年2月時点。出典:厚生労働省
▼無料キャリア面談への申し込みはこちらから「 バングラデシュの雇用を拡大するソーシャルビジネス」に感化されて
──福岡を拠点に、世界の社会問題を解決する20以上ものソーシャルビジネスを手がける株式会社ボーダレス・ジャパン。畔上さんはそんなボーダレス・ジャパングループの中でも、バングラデシュで生産した革製品を販売している「ビジネスレザーファクトリー株式会社」で働いています。
(以下、畔上さん)
ビジネスレザーファクトリーは、日本で1つでも多くの革製品を販売してバングラデシュの雇用を増やすことを目的にしています。私はここで営業を始めとして、いろいろな業務を経験させてもらっています。
もともとは別の事業部に応募したのですが、世界の貧困問題という不条理を解決したいという志を伝えたところ、ボーダレスジャパン全体の人事がビジネスレザーファクトリーを勧めてくれました。今は自分にぴったりな仕事だと思いますね。
社会問題を解決するというと、大企業で大きな仕事をしたほうがインパクトがあるという意見もあると思うんです。でも、私にとっては小さい規模の事業に携わることに大きな意味があると思っていて。
この規模だからお互い顔が見える関係性になれるし、現地での笑顔に触れると、たとえ仕事が行き詰まっても揺るぎないモチベーションになるんですよね。
それにボーダレス・ジャパンは、ベンチャー精神が強い会社なんです。手を挙げればなんでもできる文化も、自分の肌に合っていますね。
全員が経営者という意識を持っているので、自分の事業のKPIやPLはもちろん、ほかの事業の指標も見られる。将来起業を目指している自分にとっては最高の職場環境です。
それと「働く環境としての福岡」もまた良いものです。以前は渋谷の会社で働いていたのですが、毎日満員の電車に乗るのがとてもしんどかったんです。
今は会社から自転車で10分のところに住んでいるので、移動で疲れることもないし、仕事に集中できる環境ですから。
市街地の天神だって自転車で30分で行けるほど。中心地に近いのにコンパクトシティなので、本当にリラックスした環境で生活ができてありがたいです。
働きたい会社が福岡にある。だから移住しただけのこと
── 「今の仕事と生活に100%満足している」と笑顔たっぷりに語ってくれる畔上さん。「確かに満員電車から開放されるなら移住してもいいかも」と思った方もいるのではないでしょうか。ところが、やりたいことのためとはいえ「関東からいきなり福岡に移住、しかも転職も同時に」というのは、なかなか簡単に決断できるものではありませんよね。畔上さんが「関東から福岡への移住を伴う転職」を決断できた【キーファクター】とは一体何だったのでしょう。
私は新卒で、知り合いが起業したアフィリエイトの会社に就職したんですね。来る日も来る日もパソコンに向かって記事を書き続ける日々。今思えば人間らしい生活じゃなかった。
でもそのときは社会に出たばかりで、修行だと思っていたので、とくに抜け出したいとは考えなかったんです。
でも、1年ほど働いたあるとき、自分の仕事のモチベーションが「お金」になっていることに気づいたんです。やりがいというよりも、たくさん働いてその分収入が増えることが嬉しくなってしまっていた。
これはちょっとショックでしたね。
社会問題をビジネスで解決するために、ビジネススキルを身につけようと思って会社に入ったのに、いつの間にかお金のために働いていたんです。
そんなとき、友達から「おすすめの動画があるよ」と言われて出会ったのが、弊社代表の田口がTEDでスピーチをしている動画でした。
ベッドに寝ころがりながら動画のスピーチを聞いていたのですが、一つひとつの言葉が胸に刺さるんですよね。
「本当にビジネスで社会問題を解決してる会社があるんだ」「自分が大学生のときにやりたいって思ってたことをそのまま形にしていてすごいな」と。
……気がついたときには、転職を決断していました。
そこでより詳しくボーダレス・ジャパンのことを調べみたら会社が福岡にあったんですよ。
それなら「よし、福岡に行こう」と。
移住に対する抵抗感もとくにありませんでした。私の家族は転勤族だったんです。もともと地域に対する帰属意識も高くなく、やりたいことがあるならどこへでも行こうと思っていましたから。
それに海外に比べたら福岡なんて前職で働いていた東京からとても近いですしね(笑)。
周りの人にも移住することを話したんですが「福岡は飯がうまい、住みやすい」とみんな良いところしか言わないんですよ。迷う理由がありませんでした。
──移住したら年収が下がる気もするんですが、気にはならなかったのですか?
気になりませんでしたね。自分の志のための仕事ができて、生活できるだけのお金さえもらえれば、それ以外はニの次でしたから。
それに、実際のところ、地方移住といっても年収が大幅に下がったわけではありません。組織全体として見れば、移住転職で年収が上昇するケースだって珍しくはありません。
ちなみに、住むところもギリギリまで決めていませんでした(笑)。移住ギリギリまで前職の引き継ぎがあったので、福岡の不動産屋さんとやりとりして動画を送ってもらいながら物件を決めていきました。
実際に引っ越したのも、入社の数日前。今思うと、仕事以外の暮らしの観点ではなにも考えていなかったのかもしれません。
「あなたの夢は?」答えられない少年だった
──まるで「社会問題を解決」すること以外には興味がないのでは、と感じてしまう畔上さんのお話。話を聞いていてかっこいいとは思うけど、同時に「そのモチベーションはどこから来るの?」という疑問も湧いてきます。そもそも社会問題に興味を持ったきっかけとは、何だったのでしょう?
私が社会問題に興味を持ったのは大学生のときです。実は小さいとき「あなたの夢は?」と聞かれても何も答えられない少年でした。
大学受験も第一志望に失敗したし、センター受験でやっと入学できたのが東洋大学の国際地域学部。学習のモチベーションもそんなに高くなかったので、入学してすぐのTOEICの試験では、ほとんどビリだったくらいです(笑)。
でも、そんなときにオーストラリアに語学留学に行ったのがターニングポイントでした。それまでは受験のために英語を勉強していたのですが、現地に行ったら話すための英語を勉強しなくちゃいけない。それがすごく楽しく感じたんです。
そんなエピソードをきっかけに英語を話す楽しみに目覚めた私は、今度はフィリピンに向かいました。
フィリピンに行って1番印象が強かったのは、子どもたちの笑顔。
フィリピンというと貧困であまり活気のないのイメージが強かったのですが、実際に訪れてみると、笑顔が溢れていて……。イメージとはずいぶんと違うなと。
ただ、その一方で、大きなショッピングモールの隣にスラム街が広がっている現実も目の当たりにするんです。それを見て「なんて理不尽なんだろう」と思って……。
本人の努力に関係なく、生まれた場所の違いだけで、こんなに生活に差が出るんだ、とすごく胸が締め付けられるようでした。
それが社会問題に興味を持ったきっかけですね。
それからは在学中に途上国支援を目的としたファンドレイジングを行ったり、国連機関でインターンをしたりと経験を積みました。東アフリカのウガンダでは現地の友人と公衆衛生活動を行うNPOを設立したりもしました。
当時は自分のポケットマネーで活動していたのですが、結局最後はお金が足りなくなるので続けるのが難しいですよね。
持続可能な国際協力とはなにか、何度も考えさせられました。
また、お金の問題のみならず、あらゆる問題そのものを解決するだけの力がない自分に無力感を感じて悔しかったです。だからこそ、ビジネスの力を付けようと思ったんです。
それで修行の場として選んだのが、冒頭でもお話した、起業したての会社。
まあ、今思えばもっとちゃんと就活をしておけばよかったという後悔もありますけれど(笑)。学生だった当時はみんなが同じスーツを着て就活する意味がわからなくて、ちょっと斜に構えてたところもあったんでしょうね。それで、人とは違う道と思って選んだ企業でした。
ただ、きっと私は結局会社の上辺、要は事業を見てばかりで本質の部分である「何のために」という軸を知らずに企業を選んでいたように感じます。当時は、起業する事自体が目的となり、手段として起業を選択肢に考えられていなかったと反省しています。
お金のため、ではない生き方を
──意外にも小さいときは夢がない少年だったという畔上さん。それでもスイッチが入ってからの切り替えはすごいですね。社会問題に興味を持ち社会に出てから何かしようと考える人は多いけれど、すぐに国連機関でのインタ―ンやNPOの設立を行う行動力は起業家そのもの。今後はどんな人生を送っていくのか気になります。
実はウガンダで活動していたとき、現地の友達が言っていた言葉が今も胸に刺さっています。
「ウガンダの社会は汚職が蔓延していて変革が起きづらい。だから政府に頼らず、お金のためではない社会変化のためのビジネスがしたい」
私も30歳になる頃にはアフリカ諸国を中心に途上国を対象としたソーシャルビジネスを立ち上げ、貧困という不条理を1つでも多く解決したいと思っています。
ビジネスレザーファクトリーで働く経験は必ず将来に生きると信じて、いまはバングラデシュの雇用数が増えるように一生懸命仕事をしたいと思っています。
私の場合は、やりたい仕事、働きたい会社があって、それがたまたま福岡だったから移住をしたというだけです。だから、今やりたいことがあって二の足を踏んでいる人がいるなら、私は飛び込んだ方がいいと思っているんですよね。場所よりもやりたいことで仕事を選んだ方が、人生はきっと豊かになると思っています。
人生の優先順位を再考してみたい
<執筆後記>
畔上さんの取材をしていて受けた印象は、自分の軸にブレがないこと。
自分の志を常に人生の優先順位のトップに置き、ほかのことはニの次に考え判断、決断しています。
やりたいことがあるのに、いろいろな不安やしがらみがあって行動に移せない、そんな悩みを持つ方は多いことでしょう。畔上さんの話を聞いていて、なぜそれほどまでに決断力があるのか考えたところ、常に自分の大事なものの優先順位を明確にしているからだと思いました。
志、働く場所、年収などなど、どれも大事ですし、人によって大事な順番も違うでしょう。しかし、その順位を普段から明確に定めている人は多くありません。大きな決断をする際に、すべてを同列に扱うからこそ決心がつかなくなります。
人生に大事なものの優先順位が常に決まっていること。それが畔上さんの強さの秘密ではないかと感じます。
私自身、一度自分の人生に大事なものの順番を整理したい。取材を終えた今、そう思っています。
(執筆:鈴木 光平 編集:鈴木 しの 撮影:中島 祐也)