大企業からベンチャーへ。東京と地方を経験して感じる「福岡のちょうど良さ」
転職はしたいけれど、やりたい仕事や住みたい場所がはっきり決まっていない人も多いのではないでしょうか。
福岡を拠点に、国内外にシェアオフィス&コワーキングスペース事業を展開する株式会社 Zero-Tenで働く矢田部さんも、最初は東京の大手企業に入ったものの「やりたいことが本当になかった」といいます。まずは与えられた仕事をがんばり、やがて興味の向くままに宮崎県に移住しました。
地方での仕事を経験し、次の行き先を考えた時「ちょうどいい場所」としてたどり着いたのが福岡です。そこに至るまでの経緯を聞きました。
学びを求めてDeNAに入社後、リクルートへ転職
ー新卒でDeNAに入り、その後リクルートへ転職した矢田部さん。2つの企業で経験を積む中で、徐々にやりたいことが見えてきたそうです。
大学時代、まわりに起業している友人が多くいました。メディアに取り上げられたり、成長している女性起業家が身近にいる中で、自分には「特にやりたいことがない」と思っていました。
なので就職を考えた時、とにかく成長できるところに行こうと、ベンチャー企業に逆指名されるサイトに登録したんです。何社か声をかけて頂いた中にDeNAがありました。
当時、DeNAはモバゲーの世界展開を目指していて勢いがあり、ここなら学びが多そうだと入社しました。3年働いて、前半はゲームプランナー、後半は人事総務をやっていました。
ゲームプランナーでは、はじめゲームの運用で毎月イベントをリリースし、そのあと新規のゲームタイトル立ち上げに関わりました。ゲームのアイデアをどんどん出すことが苦手で人事に相談したところ、その人事総務部へ異動しました。
人事総務は、組織の縁の下の力持ち。それまで何をしているのかわからない部署でしたが、従業員の働きやすい環境を整えるために、制度の設計をしたり、プロパティマネジメントをしたり、わたしにはとても合っていて、やりがいを感じました。
その中でも、子会社のオフィス構築プロジェクトのリーダーを任され、それが自分にとって転機となります。建築内装会社とのやり取りをはじめ、一から空間を扱う仕事を経験して、いいなと思ったんです。
ーそこから、リクルートに転職されたのはなぜですか。
オフィス作りを通して、もっとリアルと接点が持てる事業がしたいと考えるようになったので。DeNAはWebやアプリ事業がメインでしたから、よりカスタマーとリアルに接点が持てるリクルートコミュニケーションズに転職しました。
3年間、リクルートの様々なサービスに携わり、業務改善やBPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング)に関わる仕事を担当しました。飲食店に出向いて困りごとをインタビュー調査するなど、リアルな関係を築きながらサービス作りを行っていました。
東京から宮崎移住を経て福岡へ
ー東京でキャリアを積んできた矢田部さんが、九州に移住するきっかけとなったのは「全国移住ドラフト会議」。そこで宮崎県に1位指名され、日南市に引っ越すことになりました。
就職してからずっと、特にやりたいことがなく「言われたら何でもやります」というスタンスでした。でもリクルートで働くうち、「自分でも何かやりたい」という気持ちが出てきたんです。
その頃、たまたま九州に何度か訪問する機会があり、地方に興味を持ち始めました。そこで、移住希望者を集めて行われる「全国移住ドラフト会議」というイベントに参加。全国の自治体や企業が移住者を指名するシステムで、私は日南市の市役所職員の方から1位指名を受けました。
日南市にある飫肥(おび)という城下町の空き家再生をしないかと声をかけてもらったんです。空間ビジネスに興味があったことと、様々なバックグラウンドの人が事業に集まっていることに面白さを感じ、リクルートを退職して宮崎に移住しました。
空き家再生事業に1年関わった後、さらに1年ぐらい宮崎で個人事業主をしていました。そこで日南市の建築デザイン事務所であるpaak design株式会社と仲良くなり、ソフトコンテンツの設計を手伝うようになります。
地域の方々とワークショップを行ってコミュニティスペースの設計をしたりしているうちに、地方の空間に関わる仕事をしたいと思い始めました。
ー宮崎から福岡に移住したのはなぜですか。
宮崎でこのまま個人事業主としてやっていくのは、経済的に厳しいと感じていました。家計を立て直すためと、興味ある分野の専門性を身につけるために、どこかに再就職したいなと。
でも東京に戻ったら、自分が大きい会社に飲み込まれてしまうんじゃないかと思い、あえて福岡を選びました。その時にYOUTURNに登録してキャリアコンサルタントの高尾さんと出会ったんです。宮崎にいた2年間のことや当時の気持ちを全部話したところ、高尾さんに「福岡ならちょうどいいと思います」と勧めてもらいました。
福岡の企業とは色々面接しましたが、Zero-Tenだけが宮崎にいた時の質問をしてくれました。他の会社は東京時代の質問ばかりだったんですよ。面接官が今の上司なんですが、宮崎で旅館を立ち上げた話とか、ソフトコンテンツ設計の話を興味深く聞いてくれて、直近の経験がZero-Tenでも役立つというメッセージをもらいました。
実は他に大手企業でも内定が決まっていたんですが、福岡で働いたこともある父に相談したら「福岡は地場が強いところだから、地元企業に入ったほうがいいよ」と言われて。Zero-Tenは福岡地所とのつながりも強いし、空間や不動産関連の事業に本格的にチャレンジできそうと感じ、入社を決めました。
もう1つ重視していたのは、一緒に働く仲間がどういう人かということです。経験上、地方ビジネスでは地場の内側の感覚だけでなく、外から見た感覚も持っている人がいた方が話が早く進むと感じていました。
Zero-Tenには移住者がけっこういて、ビジネス感覚の違いで困ることはなさそうだったのも大きな決め手でした。
福岡発のオープンイノベーションに注力
ー今年の4月にZero-Tenへ入社した矢田部さんは、自社と外の知見をつなぐオープンイノベーション事業を担当しています。
コワーキングオフィスは、場所やネット環境があればどこの会社でもできる事業です。競合が多い中でいかに事業を進化させるかを常に考えています。その一環として、今はオープンイノベーションの企画開発に関わっています。
力を入れているのは、外部の会社と弊社のコワーキングThe Companyにいる入居者さんをビジネスマッチングして、新規事業やプロジェクトを創出する取り組みです。リクルート時代の経験やつながりも活かしながら進めています。
また最近では、自社のPR・広報にも携わるようになりました。宮崎にいた時に痛感したのが、どんなに良い空間を作っても、人が来ないと意味がないということ。集客やPRができるようになれば、地方の可能性が広がります。
そう思って、The Companyの入居者を増やすためのメディア戦略をやろうとしているところです。
Zero-Tenは若い会社ですから、大きい企業みたいに出る杭を打つこともなく、好きにやらせてもらえて楽しいですよ。個人のがんばりが必要で大変な面もありますが、困った時にはちゃんと助けを求められますし、いい環境だと思います。
ー移住してみて、福岡の印象はいかがですか。
前に住んでいた日南市と比べると、都会に出て来た感覚です。よく言われるように、福岡はスマートシティですね。歩いてどこにでも行けるし、海など自然も近い。都会と田舎の間でちょうどいいと思います。
あえてネガティブな面を言うと、東京と比べ、ビジネスで振り切れている部分が少ないと感じます。東京の方が新しいビジネスに積極的でスピード感がある。最初から全国や世界を見ている企業も多いですし。
福岡ではまだスタートアップが珍しい印象があり、Zero-Tenのような尖った会社がどんどん前に出て行かなければいけませんね。
ー最後に、YOUTURNを利用した感想を教えてください。
私もDeNA出身なので、YOUTURN代表の中村さんがDeNA出身と知って信用できると思いました。(笑)また、福岡に特化している転職サービスというのがいいですよね。
キャリアコンサルタントの高尾さんにしっかり話を聞いてもらえたことも、本当に良かったと思います。宮崎でやり切れなかったことや自分の興味ある分野などを全部話して、共感してもらえた上で相談できたので。移住を伴う転職はその後の人生に大きく関わってきますから、信用できるエージェントを見つけることは大切だと感じました。
<執筆後記>
仕事や住む場所を選ぶ際、周りにどう見られるかより「自分がどうしたいか」を優先してきたという矢田部さん。その結果、様々な経験を通して「やりたいこと」と「住みたい場所」を見つけることができました。
はっきりとした目標がなくても、気持ちに正直に行動することが後悔しない生き方につながるのかもしれません。未来が不確かな今だからこそ、自分はどこに住んで何がしたいのか、改めて考えるチャンスだと思います。