
20年の東京生活で培った”0→1の力”を故郷で活かす - 「今しかない」と決断したUターン転職
20年の時を経て、故郷への帰還を決断した男性がいます。印刷会社の営業、ラジオディレクター、デジタルマーケティングと異なる業界で、0から1を生み出す0→1の力を磨き続けた西村さん。
3人の子どもの将来と自らのキャリアの岐路に立ち、「今しかない」と福岡へのUターンを決めました。
彼が見つけた新天地での可能性と、家族の幸せを追求する日々とは。東京で培った経験を地元・福岡で花開かせる、西村さんの転職ストーリーに迫ります。
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大学から上京、東京でのキャリアスタート

——大学卒業後のキャリアについて教えてください。
私の出身は福岡ですが、大学進学のタイミングで上京しました。
大学はメディア系の学科だったので、テレビやラジオCMの制作、広告などの仕事に興味があり、新卒の就職活動ではTV局や制作会社を受けていました。
紆余曲折した中で、1社目はアパレルのショッパー(買いもの袋)を作っている会社に入社しました。
ショッパーは、お客さまが持ち歩くことで街中での宣伝になるため「第三の広告」とも言われています。考えようによっては広告・メディアの仕事だと思って業務に取り組んでいました。
——具体的にはどのような業務を担当されていたのでしょうか。
テレアポや飛び込み営業など「The 営業」でしたね(笑)。
会長が昭和的な仕事観を持っている方だったので、社内でPCを使って見積もりを作成していると「ゲームやってないで外へ行ってこい!」と言われるようなカルチャーで。
お客さまはアパレル企業が中心でしたが、印刷物や封筒などの事務用品はどの会社でも必要になるものなので、業種を問わずあらゆる企業がお客さまになる可能性があります。
なので、ビルの上から下まで飛び込み営業をしていましたね。
——2年間営業を経験された後に転職されています。何かきっかけがあったのでしょうか。
やはりメディア系の企業でクリエイティブな仕事をしたいという思いがずっとありました。そんなとき、ラジオ番組の制作会社とたまたまご縁があり、思い切って転職することに。
給料面では少し不安がありましたが、自分のやりたいことを優先させた形です。
制作会社の方はみなさんハードに働かれているイメージがあり、私もその覚悟で入りましたが、想像していたよりは時間的に余裕のある働き方ができていましたね。
ラジオディレクターとして念願のメディア業界へ

——制作会社ではどのような職種からスタートされたのでしょうか。
基本はディレクター職でしたが、少数精鋭の組織だったので、幅広い業務を経験しました。ディレクターとしては、まず企画を作り、原稿を書いて番組の流れを構成します。
また、その企画を持ってスポンサーになってもらえるクライアントを探し、営業します。
営業が成功したら、実際に番組をディレクションして収録、編集を行い、局に納品します。放送局の枠を買う必要があるので、その交渉もしましたね。
——制作に関わるすべての業務を経験されていますね。ただ、念願のメディア業界に勤めることができたということで、充実感もあったのではないでしょうか。
はい、仕事に関してはほぼすべてに満足していました。番組中に流す曲なども自分で決めていました。レコード会社の方が新曲のサンプルを渡しに来てくれるんですよ。
世に出る前の曲を聴いて「めっちゃいいやん」みたいな(笑)。とても楽しかったですね。
デジタルマーケティングの領域でベンチャー創業期を経験

——そうしたなか、なぜ転職を考えられたのでしょうか。
仕事は楽しく続けていましたが、報酬面が唯一の気がかりだったんです。当時は結婚して子どもも1人生まれていたので、先々の生活面に不安を感じるようになっていました。
ちょうどそのタイミングで、1社目の印刷会社の先輩がデジタルマーケティングの会社を新しく立ち上げるという話を聞いて。
「まだ何も決まってないけど、一緒にやらない?」と誘われたんです。何も決まってないのか…と思いながらも、その方はとてもお世話になった方で、信頼できる人であることは知っていたので。
一緒に仕事ができればおもしろいだろうと、勇気を出して飛び込みました。
——そこではどんな仕事を担当されていたのでしょうか。
代表ともう1名の社員と私の3人体制で、大手デジタルマーケティング企業の下請けとして、クリエイティブを制作するところからスタートしました。
ノウハウが貯まってきたところで、自社でも営業をかけ始め直接顧客と取引し、広告運用やSNS運用までカバーするようになりました。
ラジオディレクター時代にCMの費用対効果を見たり製品購入につなげる記事作成をしたりといった経験があったので、デジタルマーケティングに応用できるノウハウは意外と多く持っていました。
6畳1間の狭いオフィスで創業したまさにスタートアップでしたが、同社を辞めるときにはパートの方を含めて30名弱ほどの規模になっていました。
——創業期・成長期のスタートアップを経験されたんですね。西村さんの役割も変化していったのではないでしょうか。
そうですね。B2Bの営業を担うプロモーション事業部の責任者を経験した後、D2C事業として「お箸のパーソナライズ事業」を立ち上げ、手の大きさに合わせたオーダーメイドの箸を作るサービスを始めました。
手の写真を撮ると、その人に合った箸のサイズが自動的に計算されるシステムを開発し、木材も厳選した5種類から選べるようにして、職人が手作りで作るという仕組みです。
最終的には、経営やマーケティングのさまざまなプロジェクトに参画しつつ、人事総務といったバックオフィス部門の仕事も兼務していました。
ここで会社運営の仕組みを理解できたことは、非常に大きかったと思います。とにかく色々な「打席」に立ちまくりましたね。
子どもの教育環境を考え、福岡へのUターンを決断

——そこからなぜ福岡に移住しようと思われたのでしょうか。
もともと、いつかは福岡に戻りたいという気持ちがずっとあったんです。
若い頃に東京で経験を積み、自分の武器を磨き、その武器を活かしていつかは生まれ育った福岡へ恩返しがしたいという思いがありました。
最終的なきっかけとしては、子どもの教育環境が大きかったですね。
現在は3人の子どもがいるのですが、購入していたマンションが手狭になってきたこともあり、ぼんやりと福岡の戸建てへの引っ越しを考えていました。
子ども2人の入園・入学のタイミングが重なったときに、「今しかない」と思いました。もし、このタイミングを逃していたら、中学進学などもあり福岡に戻れていなかったかもしれません。
——YOUTURNを使ってみての印象はいかがでしたか?
最初から共同代表の高尾さんに話を聞いてもらって、キャリアの棚卸しや価値観の掘り下げをしてくれるところが魅力的でした。
実際に、場所が変わっても自分で折衝ができる、0→1で仕事を作り上げる力があるという自分の強みに気づきました。
ほかのエージェントだと、ただ求人を出して「どこに行きたいですか?」といった対応をされることもありました。親身になって話を聞いてもらえるのは、YOUTURNならではの特徴だと思っています。
0→1の経験が大いに活きる新天地での挑戦

——そして、幼児向けの冷凍食品宅配サービス「mogumo」などを展開するOxxxへ入社されました。どのような経緯で入社を決められたのでしょうか?
これまでのキャリアでは、「誰と仕事をするか」という軸を重視してきました。今回の転職についても同様です。
人との出会いを大切にしてきた私にとって、Oxxxの面接で会った方々との相性の良さが決め手になりました。「この人たちと一緒に働きたい」と思える環境だったんです。
——今はOxxxでどんなお仕事をされていますか?
主にmogumoの事業アライアンス立ち上げで、B2Bの企画を進めています。
これまで一貫して法人営業に取り組んできましたから、商材が変わっても構造的には十分キャッチアップできるのではないかと思っています。
また福利厚生としてmogumoを提供する企画は、実際にB2Bの営業プロセスを構築して、効率的に活動を行えるようにしています。
Oxxxはさまざまな事業を新しく仕掛けていく段階で、私も多くの事業企画を進めています。リブランディングも進行中で、上場を目指し、組織としても成長していくフェーズです。
私も代表の黒瀬と、毎日のように企画会議をしてフィードバックをもらいながら、スピーディに実務を進められている実感があります。
「人」と「自然」が近くにある、福岡での生活

——会社のカルチャーや、福岡の会社との仕事で、東京との違いを感じることはありますか?
社内は東京のベンチャーと変わらず、スピード感があります。違いを感じるのは、外部との関係性でしょうか。
東京は良くも悪くもドライで、仕事は仕事と割り切る方が多いですが、福岡は人との距離が近く、打ち合わせ後にそのまま飲みに行ったりもします。
「福岡は横のつながりが強い」というイメージどおりで、福岡で生まれ育った自分にはすごく合っていると感じています。
——現在は単身で福岡にいらっしゃるそうですが、生活はいかがですか?
自宅は徒歩で海に行ける福岡市東区で、会社には1時間弱で通えます。都会も自然も近く、とても良い環境になりました。
現在は私だけ先んじて福岡へ移住したため、今はまだ家族が来ていないのですが、近々家族が引っ越してきます。海だけでなく、山や川にも20分程度で行けるので、子どもたちが福岡に来たら自然に触れる経験をたくさんさせてあげたいですね。
——最後に、福岡でのキャリアについて一言お願いします。
高校卒業以来、約20年ぶりに福岡で働いていますが、東京で培ったスキルや経験が福岡でも十分に活かせています。
タイミングを見極めてUターンしたことで、仕事もプライベートも充実しています。誰と働くかという軸をこれまで大切にしてきましたが、それは場所が変わっても変わらない大切な価値観でした。
Oxxxでは今、本当に何でもできる環境があります。これからも福岡の地で、新しい挑戦を続けていきたいと思います。
編集後記
今回の西村さんのインタビューを通して、Uターン転職の醍醐味を改めて感じました。
まず第一に、「誰と働くか」という価値観を軸に据えたキャリア選択。この軸の存在が、業界や職種を超えたキャリアにおいても一貫性を生み出していました。
第二に、「今しかない」という絶妙なタイミングの見極め。子どもの教育環境を考慮した決断は、多くの転職検討者にとって参考になる話でしょう。
第三に、東京で培った0→1の力という強みを福岡で発揮できている点。地方移住がキャリアダウンではなく、むしろ可能性を広げる選択になり得ることを示しています。
西村さんの事例は、地方移住を考える方々にとって1つのロールモデルになるはずです。YOUTURNは、価値観の棚卸しから始め、一人ひとりの強みとタイミングを見極めた、こうした実りあるUターン・Iターン転職を今後もサポートしていきます。