「地場企業らしい」仕事をする。3度目の移住で見つけた、本当に働きたい場所

私の移住転職ストーリー
02/28/2025 更新

全国を転々とする人生か、自分の意思で住む場所を決める人生か——。そんな岐路に立ったとき、高辻さんは後者を選びました。

慶應義塾大学で体育会の柔道部に所属。卒業後、日本最大手食品メーカー、家業の老舗和菓子店、大手保険会社という異なるフィールドでのキャリアを経て、

100年の歴史を持つ福岡の農園芸のイノベーションカンパニー・株式会社welzoで新たな挑戦を始めています。

「welzoで社長を目指す」。そう公言する高辻さんの言葉の背景には、大企業での経験と、実家の事業承継で味わった挫折、そして家族との何気ない会話から得た確信があります。

「家業を継ぐ」という使命感とともに始まったキャリア


——大学時代、将来のキャリアについてどのように考えていらっしゃいましたか?

実家が150年続く老舗の和菓子だったので、中高生のころから漠然と「将来的には自分も後を継ぐのかな」という意識はありました。

私自身は覚えていませんが、母が言うには、高校1-2年生のタイミングで、将来的には実家を継ぐことを考えていると自分から話したらしいんです。

長男だったこともあり、「なりたい」という気持ちよりも、使命感の方が強かったかもしれないです。就職活動のときも、それを意識してメーカー、特に食品や飲料関係を中心に見ていました。

——そして、大学卒業後は大手食品メーカーに入社されました。最初の配属は福岡だったそうですね。

はい。営業として、飲食店に卸している問屋さんや食品メーカーさんに原料や業務用の調味料を販売する業務を担当しました。

北海道と沖縄以外はすべて配属地になり得るなかで、福岡に決まった形です。

当時は地元の愛媛と関東にしか住んだことがなく、「転勤するなら福岡に行ってみたい」と言っていたので、ラッキーでしたね。仕事内容も、自分の性格に合っていると感じていました。

実家の老舗和菓子店で感じた、若さゆえの葛藤


——同社で6年経験を積んだ後に実家の和菓子店に戻られたそうですが、その経緯を教えてください。

次の異動のタイミングが見えてきたころ、父と今後について相談しました。結婚もしていたので、自然と実家に戻る方向で話が進みました。

実家は、父で5代目、私で6代目になる150年ほどの歴史ある和菓子屋なのですが、父の代で本格的に会社作り、組織作りをしたため、経営者の後継者が入るのは初めてだったんです。

ノウハウも引き継ぎもないなかで、とりあえず工場に入ってみたり、配送担当者に同行したりと、ひとつひとつ仕事を覚えていきました。

——奥様は福岡のご出身とのことですが、愛媛に移住することについてはどのような話し合いをされたのでしょうか。

福岡の出身で福岡が好きな妻にとって、私と一緒に愛媛へ来てもらうのは、かなりハードルが高いだろうと思っていました。

昔から「福岡で2人の時間を過ごして、遊びつくしたあとに愛媛へ行こう」と話をしていましたが、妻は基本的に「好きなようにすればいいよ」という姿勢でいてくれて、本当にありがたかったですね。

——家業に携わられるなかで、課題も見えてきたそうですね。

正直、大企業で実績を残してきた自負があって、振り返ってみれば少し天狗になっていたように思います。

「ほかの食品メーカーでできることが、なぜここではできないんだ」という考えが強すぎたのかもしれません。

経営者である父をリスペクトはしているものの、父がいるうちに私が社内で意見していくことで従業員の皆さんから認められたいという意気込みが空回りしてしまって…。

結果的には、父とも大きなすれ違いが生じてしまいました。あのときもう少し大人になって会社での接し方も工夫できていれば、と少し反省しています。でもとてもいい経験でした。

コロナ禍という想定外の逆風を受け、安定を求めた選択


——2年ほどで退職されることになったとお聞きしました。

はい。ちょうどコロナ禍が最盛期の2020年ごろでした。特に手土産や観光に関連した和菓子を扱っていたこともあり、業績が大きく落ち込んでいました。

日々の売上を見て「このままで本当に大丈夫なのかな」という不安が重なり、父とも話をして、一度違う道を選ぶことにしました。

——その後、保険会社に入社されたそうですが、ここはどのような経緯だったのでしょうか。

コロナ禍によって業績が落ち込んでしまった地方中小企業の現実を目の当たりにして、自分のやりたいことよりも安定を求めたところはあります。

給与やネームバリューなど、自分の心が安心できるような企業を探し、何社か受けたなかで、一番条件の良かった会社を選んだというのが正直なところです。

結果として、大手損害保険会社に転職し、埼玉支店で働くことになりました。

——お仕事の内容はいかがでしたか?

自動車保険の代理店営業を担当していたのですが、かなりハードでしたね。金融で無形の商材を扱うというのは、メーカー時代や家業とはまったく違う経験でした。

金融一筋でやってきたプロパーの方と比べて、自分の実力の差を痛感するシーンが多かったです。

「住む場所は自分で決めたい」 家族の幸せを第一に考えた転機


——保険会社を経て、福岡への移住を考え始めたきっかけを教えてください。

子どもが生まれたことが大きかったですね。埼玉で暮らしていくうえでは、妻も私も地方出身なため身寄りがない。

保険会社は転勤族なので、妻も働きに出にくい。妻が子どもと一対一でいる時間が長くなってしまう状況を見て、このままでいいのかなと考え始めました。

さらに、数年に一度47都道府県の各営業所へ転勤の可能性があるなかで、「自分の人生、住むところは自分で決めたい」という想いが徐々に強まっていきました。

そして、妻の出身地であり、かつて6年間を過ごした思い出の地・福岡への移住を決意したのです。

——YOUTURNに登録されたのはいつごろでしょうか?

2021年夏に最初の登録をしています。ただそのときはまだ漠然とした気持ちだったので、面談でアドバイスをいただいて一度考えを整理し、1年後に改めて本格的な転職活動を始めました。

ほかのエージェントも利用しましたが、YOUTURNは全く違いましたね。代表の高尾さんと話をさせてもらったのですが、ほかのところは「求人の条件はこうで」という案件ありきの話が中心で…。

高尾さんは人生全体の背景を聞いてくださって、福岡での今後の生活まで具体的にイメージできる話をしていただけました。

デメリットも含めて率直にアドバイスをいただき、より現実的な判断ができました。

——welzoへの入社を決めた理由を教えてください。

最初は正直、welzoという会社自体をまったく知りませんでした。

ただ、面談を重ねるなかで印象的だったのが、カジュアル面談や面接で出てきてくれた中途入社の先輩たちが生き生きとwelzoの未来を語る姿でした。

それまで大企業志向で働いていた私にとって、地場企業に行くことには正直、引っかかりがありました。今考えると、プライドや自負もあったのかもしれません。

でも、そうした経歴を持つ方が活躍されている会社と知り、考えが180度変わっていきました。

その方とは、短期的な目標だけでなく、中長期的なビジョンまで語り合うことができ、「こういう感覚を持った人と仕事するのも面白いかも」と思うようになったんです。

会社の規模やブランド力、条件などスペック重視で転職活動をしてきましたが、「この人たちと働きたい」という純粋な想いでwelzoへ転職できたことは自分でも驚きましたね。

「大企業に負けない」という新たな挑戦。伝統と革新が融合する100年企業での日々


——welzoに入社されて2年半が経ちましたが、いかがですか。

当社では積極的に新規事業も手掛けていますが、私の部署は、園芸の領域で100年積み上げてきたトラディショナルな営業のど真ん中です。会社の売上の核となっている部門です。

今は7-8人のチームで、九州では誰もが知っているホームセンターを担当しています。年次としては一番浅いので、常に学ぶ気持ちを忘れないよう気をつけています。

そのなかでも、自由に楽しくやらせてもらっていますね。

ただ、嬉しいことに、私のこれまでのキャリアを会社側に認識してもらえているので、新規事業の話が出たときには「まずは高辻と話してみよう」と声をかけていただくことも増えてきました。

1社目や前職では大企業のブランドに満足していた部分があったのですが、今は「そこに負けないようになるにはどうすればいいか」というモチベーションに変わりました。

勉強を続けたり、会社で成果を出したりと、これまで苦労も含めて色々経験してきましたが、自分が選んだ道が正しかったと証明するために頑張っています。

——今後のキャリアについてはどのようにお考えですか?

社内でもオープンに「将来的に社長を目指したい」と話しています!中小企業診断士の資格も取得したので、監査や総務、M&Aといった方向に進むのもひとつの選択肢です。

ただ、当社は営業と物流で成り立っている会社なので、まずはそのどちらかの領域で社内で1番になることが目標への最短の道なのかな。

もちろんまだまだ入社したばかりですから、会社の判断に委ねつつ、トップを目指すためのベストな道筋を探っているところです。

——愛媛のご両親とは今はどのような関係を?

仕事の話はあまりしませんが、「元気にやっているならそれでいい」と言ってくれています。私が帰省するパターンもあれば向こうが福岡に来るパターンもあって。

今はいい距離感でやれているように思います。何より「孫の顔が見たい」というのが一番の関心事みたいです。笑

妻の一言で気づいた。自分の人生の喜び


——最後に、地方への移住を考えている方へメッセージをお願いします。

難しいですね。笑 皆さんが迷ったり、不安になる気持ちは本当によくわかります。直近2、3年のキャリアや生活を見ると、今の環境を変えることへの不安は大きいと思います。

転職だけでも大きな意思決定なのに、それに加えて移住もですから。しかし、5年、10年という長い目で見たときに、自分や家族にとって何が最適なのかを考えることが大切だと思いますね。

私の場合、最終的な決め手になったのは妻との会話でした。今回の転職活動で、大企業の福岡支店へという選択肢もあったなかで、妻に相談したんです。

すると、「また収入や会社の規模だけで判断しているんじゃない? 本当にやりたいのはどっち?」と。「収入面で足りないと思うのであれば、私が働けばいいんでしょ」と。堂々としていました。笑

確かに大企業のブランドや年収を手放すことは怖いことです。でも手放すことができたからこそ、今仕事では新しい目標ができましたし、家族とも福岡で楽しい生活が送れていると思うんです。

編集後記

高辻さんの事例は、大企業から地方企業への転職という選択が、必ずしもキャリアの後退ではないことを示しています。

むしろ、これまでの経験を活かしながら、新たなチャレンジができる環境を見つけられた好例といえるでしょう。

特に印象的だったのは、実家の和菓子店での経験が、その後のキャリア選択に大きな影響を与えていた点です。

若さゆえの失敗を経験したからこそ、より謙虚な姿勢で新たな環境に飛び込むことができ、それが現在の活躍につながっているように感じました。

また、移住を決断する際に、家族との時間や生活の質を重視した点も、多くの方の参考になるのではないでしょうか。

YOUTURNが提供する、転職支援にとどまらない生活全般を見据えたサポートの重要性も、改めて確認することができました。

著者 YOUTURN編集部
YOUTURNは、累計100名以上のハイクラス・エクゼクティブ、大都市の最前線で活躍されたビジネスパーソンの九州・福岡への移住転職を支援するエージェントです。地域特化、UIターン転職ならではフル・オーダーメイド転職支援を通じて、今世の中の求人票にはない、あなただけの求人ポジションをつくります。

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