
10年積み上げたキャリアを変える - 工学エンジニアが挑む農業イノベーション
電気設計技術者として大手精密機器メーカーで10年のキャリアを積んだ内田さんは、2024年、妻と2人の子どもとともに福岡へUターン。
100年の歴史を持つ農園芸のイノベーションカンパニー・株式会社welzoで新たなキャリアをスタートさせました。
精密機器から農業へ。一見大きな転換に見えるキャリアチェンジの背景には、家族との時間を大切にしたいという想いと、新たな分野での価値創造への期待が込められていました。
精密機器メーカーでの10年と、米国への駐在

――まずは、大学卒業後、精密機器メーカーにご入社されるまでの経緯を教えていただけますか。
九州大学の工学部を出て、その後大学院では電気電子工学を専攻していたんです。電気工学を医療に応用するような分野に興味を持っていました。
その流れで、就職活動では精密な電子デバイスの開発に携われる精密機器メーカーを中心に見ていましたね。
――就職活動で意識していたことはありましたか。
地元企業も検討していましたが、当時の私からすると、いつか地元で働けたらいいなという想いはありつつも、九州へのこだわりはなかったんです。
自分が何の仕事をするか、誰と働くかのほうが、長く勤めるうえでは重要だと考えていました。自分自身の納得感を作るために、何度も会社に足を運んだり、説明会に参加したりしましたね。
できる限り社員さんと接する機会を増やして、肌で感じて自分に合う企業を選びたかったんです。
――最終的な入社の決め手は何だったのでしょうか。
ビジネスモデルやプロダクトに大きな魅力を感じたことが決め手です。大量生産ではなく 、お客さまのニーズに合わせてカスタマイズするビジネスモデルであり、プロフェッショナルな技術者集団という雰囲気に惹かれました。
――実際に入社されてみて、ギャップなどありませんでしたか。
事前にしっかり調べていたので、ほぼイメージどおりでした。設計開発の仕事は、営業担当者に同行して仕様を調整したり、工場と完成品の最終調整を行ったり、最終検証に立ち会うこともあります。
ひとつの装置を作り上げる過程で、一貫して責任を持ってモノの流れを把握できる環境にありました。
――その後、米国での駐在も経験されましたね。
入社して6年ほど働いた後、米国に赴任することになりました。不安が大きかったですが、妻が「行こう!」と積極的に背中を押してくれて。笑
結果的に、3年間赴任し、さまざまな困難や喜びを家族一丸となって分かち合い、自分自身も家族も大きく成長できた期間でした。このような成長の機会を与えてくださった会社には非常に感謝をしています。
海を越えて見えてきた故郷福岡。家族の未来を見据えたUターンの決断

――米国から日本に戻られた後、何か変化は感じましたか?
県外から見た福岡、そして海外から見た日本というように、段階的に視野が広がりました。
生まれ育った場所なので、もちろん偏った見方があるかもしれませんが、改めて福岡という都市のブランド力や住みやすさを強く実感するようになりました。
――そのあたりから福岡への移住を具体的に考え始めたのでしょうか?
そうですね。子どもの教育環境を考え始めたことも大きかったです。上の子が幼稚園に入るタイミングで、将来を逆算して考えるようになったんです。
私たち夫婦のなかでは、両親を含めた家族との大事な時間をもっと増やしていきたいことは明らかでした。
定年退職後は福岡に戻りたいといった漠然とした想いがあったのですが、子どもたちの人生も考えると、彼らへの影響が最小限に抑えられる幼少期の今がタイミングなのではと思ったんです。
――そこから実際の行動に移されるまでの話を教えていただけますか。
2023年の夏ごろから、家庭内で移住の話題が上がるようになり、漠然と考え始めたところに、実は妻が先に福岡での就職先を見つけてきたんです。
妻が働き始めるタイミングで福岡の企業を選び、半ば強制的にライフスタイルも含めて考え直す必要が出てきました。笑
そこで私も重い腰を上げて、エージェントに登録して準備を始めたという流れです。米国駐在の時もですが、妻の行動力には感服するものがありますね。
「転職」だけでなく「移住」という観点からも相談に乗ってもらえた

――なぜYOUTURNで転職サポートを受けようと思ったのでしょうか?
YOUTURN以外にも、他の著名なエージェントに登録しました。しかし、Webやメールでの一方的な情報提供が中心。
私にとって転職活動は初めてのことで、さらに家族での移住も伴う自分にとっては、結局どのように動けばよいのかわからない状態でした。
そんな時に福岡へのU・Iターン専門の転職エージェントということでYOUTURNに登録。登録したその日のうちにお電話をいただき、翌日には代表の高尾さんとオンラインで面談していただきました。
私の場合、転職というよりは移住したいという考えが先にあったので、移住に重きをおいた目線でざっくばらんに相談に乗っていただけたのが理想的でしたね。
当たり前ですが、一般的な転職エージェントは転職を専門にしているのでスカウトや求人情報ばかり送られるのですが私のニーズとは合っていませんでした。
――YOUTURNからの紹介で、welzo入社の経緯を教えてください。
私の場合移住することは決まっていましたが、今回の転職を機に自分自身の成長やスキルを高めることも考えていました。
一方で、これまでのキャリアを手放すことに対する不安もあり、前職と同じような仕事を選ぶという選択肢と睨めっこでした。
実際YOUTURNからはwelzo以外にも、これまでのスキルを活かせる企業も紹介してもらい、選考に進んでいます。
最終的には、welzoの「農業×工学」という事業領域を伸ばしていきたいという意思に惹かれたということだと思います。
これまでの自分の経験を活かしながら、新たな分野を掛け合わせることで付加価値を生み出していけそうな可能性を感じました。
なおかつ、私の母校である九州大学と共同研究を行っていたことも、スムーズに入っていける環境だと感じた要因のひとつですね。
――U・Iターン転職にあたって、悩みや不安もあったと思います。
それは間違いなくありました。福岡に行くことは決まっていたけど、どんな企業があるかもわからないし、魅力的なキャリアがあるのか?という不安は常にありました。
先ほども言いましたが、10年かけて積み上げてきたキャリアを変えることへの不安は想像以上に大きかった。
これまでのキャリアを「もったいない」と感じる気持ちを払拭するのに時間がかかりましたし、今でもその感情は湧いてくることもあります。
でもそれでいいと思ってるんです。それが自分の素直な気持ちだし、新しい環境に持っていけるものと持っていけないものがある。
また転職活動中には、高尾さんとも何度も面談で相談をし、過去の自分の価値観に引っ張られるところを軌道修正してもらった記憶があります。
最終的には、今回はまた違った形で成長していける可能性を信じて進む決断をしました。
「農業×工学」の最前線。100年企業の変革に身を投じる

――実際にwelzoに入社されてみていかがですか?
半年が経ちましたが、予想以上にダイナミックで刺激的な環境ですね。
実は、welzoの新規事業チームはYOUTURN経由で入社した生嶋さんなど、半数以上が私のように外部から中途入社した方々。
人材面でも組織の作り方でも、ものすごい勢いで変化を遂げようとしているのを肌で感じています。これは入社しないとわからない体感でした。
―― 現在は、具体的にどのようなお仕事をされているのでしょうか?
私は現在、RESEARCH&DEVELOPMENT部門に所属しています。少子高齢化による農業従事者の減少や、安定的な食糧確保といった社会課題の解決に向けたスマート農業の研究などです。
いくつかのプロジェクトが進行していまして、そのうちの一つを任せていただいています。基礎研究から社会実装までを見据えた長期的なプロジェクトで、大学との連携も含めて進めています。
前職と大きく違うのは、業務の幅がとんでもなく広いこと。本当になんでもやるんだ、やらないと進まないだ、ということを実感しています。笑
知財戦略の構築から、パートナーになる製造業者のリサーチや商談まで、以前は他部署に依頼していた業務も自分で担当する必要があります。
社内外のステークホルダーとコネクションを作りながら事業を進めていく必要があり、その大変さを含めて充実していると思います。
新たな日常が紡ぐ幸せ。家族とともに築く、福岡での暮らし

――生活面ではいかがですか? 実際に移住してみての印象を教えてください。
子どもたちは最初の1カ月くらいは幼稚園に行きたがらない時期もありましたが、今では友だちもでき、楽しく通っています。
私たち夫婦も、幼稚園つながりで少しずつ新しい家族コミュニティに溶け込んできている感覚があります。
実は学生時代以来の福岡暮らしなので、子育て世代としては初めて訪れる場所も多く、休日は家族で新しい場所を開拓するのが楽しみになっています。
――福岡に戻ることに対して、ご両親は喜んでくれているのでは?
私も妻も、それぞれの両親が福岡にいるので、休日に関係なく頻繁に遊びに行ったり、我が家に来てくれます。
両親からは「仕事を含めた生活基盤をそんなに簡単に動かしていいものか」と心配されましたが、実際に福岡に帰ってくると、孫と会えるのが嬉しいようでそんな心配は吹き飛んでしまったようですね。
仕事もプライベートも変化が多いので簡単ではないですが、長期的な視点で見たときには間違いなく、自分の家族も含めて健やかで充実した人生を歩んでいけると感じています。
――最後に、移住転職を考えている方へメッセージをお願いします。
今の環境に満足しているのであれば、それでいいと思います。でも、もっと良くなる可能性を見つけたのであれば、思い切って挑戦する価値はある。
私の場合、福岡に住んで両親も含めた家族の時間をより大切にするということは、移住をしないと叶えられない可能性でした。
正直なところ、新しいことにチャレンジするときに不安は付きものですし、私自身も今、その中で戦っています。
でも、それって捉え方次第で、きっと「良かった」と思えるきっかけになるはずなんですよね。私にとっては、その可能性に賭けてみるタイミングが今だったのかもしれません。
編集後記
大手メーカーでの10年にわたるキャリア、そして米国駐在という貴重な経験を持つエンジニアが、あえて異業種への転身を選択する。
一見リスクに思えるその決断の背景には、「家族との時間」という明確な軸と、新しい分野での価値創造への意欲がありました。
注目すべきは、内田さんの意思決定プロセスです。学生時代の就職活動から一貫して、「自分が何をしたいのか」「誰と働きたいのか」という本質的な問いを持ち続け、入念な情報収集と検討を重ねる姿勢。
そして、子どもの教育環境という新たな要素が加わったときに、改めて将来を見据えた判断をされました。
また、奥様の就職が移住の具体的なきっかけとなったように、家族全員で新しい一歩を踏み出されたことも印象的です。
たしかに、10年積み上げたキャリアを変えることへの不安は大きかったはずです。しかし、「新しい可能性への期待」という前向きな視点で、その不安と向き合い、乗り越えようとしている——。
私たちが目指すのは、福岡で「良い人生を送れる」と確信できるまで、移住転職をサポートすることです。内田さんの事例は、まさにそのような伴走型支援の意義を体現できたのではないかと感じています。