ひとつの会社で長く勤務すると、「自分は会社の外で通用するだろうか」と考えることがあります。
 

黒澤さんは、新卒で入社した会社でシステム開発に携わり、2度の海外駐在を経験。目の前の状況やミッションの一つひとつに真摯に向き合って経験値を高め、「外の世界が見たい」と熊本の再春館製薬所への移住転職を決めました。
 

決め手は「人」。出会いと移住転職の経緯を伺いました。
 

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希望外だったシステム開発の仕事で2度の海外駐在

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――茨城出身の黒澤さんは東京の大学を卒業後、新卒で金融系の会社に入社されました。どんなお仕事を担当されましたか。
 

金融系のシンクタンクに新卒で入社しました。コンサルタントになりたくて入社したものの、配属されたのはシステム開発です。体育会系の社風のなかで、プログラマーの仕事を3年やりました。東京証券取引所のシステムとの接続部分を開発して、難易度の高い仕事をやり切った感覚がありました。
 

転職をしようかと思った矢先に、北京駐在の辞令が出ました。北京五輪前だった2007年当時、日本のシステム業界にはオフショア開発(海外にシステム開発を委託する開発手法)の流れがありました。現地に人を送る必要があり、私が品質担当として3年半駐在しました。
 

――3年半の北京生活を経て、その後は。
 

帰任後は銀行系のシステム開発を1年ほど担当した後、ミャンマープロジェクトに異動になりました。ミャンマーにおける証券会社のシステム開発の仕事です。ミャンマー出張もあり楽しかったのですが、システムはできたものの現地の準備が進まずプロジェクトが終了してしまいました。その後FX担当になりしばらくすると、ミャンマー駐在の辞令が出たんです。
 

――いつごろ駐在されたのですか。
 

2014年です。今度は証券取引所側のシステムの立ち上げでした。6年間の駐在で、前半の3年がシステムの立ち上げです。並行して、現地子会社の売り上げをあげるためにミャンマーに進出した日系企業のOA環境整備などの仕事もしました。何でも屋ですね。
 

――プロジェクトの立ち上げは大変だったそうですね。
 

データセンターを作るのも一大プロジェクトでした。というのも、日本では既存のデータセンターを借りればいいところが、ミャンマーにはデータセンターがそもそもありません。数百キロものサーバーの重量に耐えうる強度の基礎を整えて、データセンターを設置するところからのスタートでした。
 

その後インターネットを開設してシステムの準備が終わったところで、証券取引所になる建物のリノベーションが始まりました。
 

ハード面の準備が整い、テストとトレーニングを経て業務がスタートすると、今度は「システムを管理する人がいない」と。私の駐在生活の後半3年の仕事が始まりました。証券取引についての啓蒙活動として「資本主義」「株式」「証券取引」などを周知するイベントを企画して、スタッフと一緒に開催しました。
 

するとコロナ禍になり、緊急帰国後そのまま帰任になりました。念願のコンサルティング部隊に入れましたが、「自分が思い描いていた仕事ではない」と思ったんです。
 

念願のコンサルタントの仕事に違和感を覚え、転職活動を開始

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――なぜ「自分が想像していた仕事と違う」と感じたのですか。
 

当時の私の担当領域は、お客様の困りごとに対して、キレイな絵を描いて渡すまででした。「自分はこういうことがやりたかったんじゃない」と強く感じました。そこから踏み込んで泥臭くやろうとしても、お客様がやる気にならないと何も進まないこともありました。
 

その後、営業部に異動しました。会社の仕事を一通り経験したところで、新卒からずっと一つの会社で働き続けることをリスクに感じるようになったんです。自分は会社の外の世界でやっていけるのかという思いがありました。
 

――自分の市場価値が気になり始めたわけですね。
 

北京駐在時代から、他社の人と関わることは多かったんです。もっと外の世界を見てみたいと思うようになりました。
 

自分の責任のもとで会社全体を良くする仕事がしたいなと。SIerや、大企業のシステム部ではなかなかできない仕事です。プログラミングやシステム設計の現場から離れていったこともあり、「自分に何ができるのか」と不安や焦りを感じました。
 

――移住を考えたきっかけは何ですか。
 

ミャンマー駐在時代に子どもが生まれました。帰任前に、宮崎出身の妻が子どもと実家に帰って2か月過ごし、私と東京で合流したんですね。するとあまりにも自然が少なくて。少しずつ、九州への移住転職を考え始めました。私も茨城出身なので、地方に住むことに抵抗はありませんでした。
 

――ご家族の反応はいかがでしたか。
 

妻は宮崎出身だし、海外生活の経験もあるし、順応性の面での心配はありませんでした。
 

気になったのは4歳になる子どもの環境変化です。妻が「小学校卒業前に友達と離れるのはかわいそう」と。その後「むしろ小学校入学前の移住の方がいい」と納得してくれたので転職活動を本格化しました。
 

――YOUTURNはどのように知りましたか。
 

福岡に移住転職した前職の先輩が、「面白い会社がある」とYOUTURNを教えてくれました。
 

YOUTURNからは福岡の会社に加えて「熊本の会社はどうですか」と再春館製薬所を紹介されたんです。
 

――再春館製薬所の第一印象はいかがでしたか。
 

社員の皆さんが若くてポジティブだと感じました。最初に「CTOを含めた2人との面談」と聞いたので、50代の人が来ると思ったら、2人とも40代前半でした。その後面談した人たちも、皆若いしポジティブな人が多くて。
 

私はそれまで熊本に行ったことがなかったので、週末に見に行くことにしたんです。高尾さんにそれを伝えるとCTOに連絡してくれて、熊本で一緒に食事をすることになりました。
 

じっくり話すなかで、「会社を変えないといけない」と純粋な思いを話す姿がいいなと思いました。コンサルタント時代に、当事者が変わらないと何も変わらないという経験をしてきたので、責任ある立場の人がこういう思いなのはいいなと。転職の選考自体は、雑談するうちにいつの間にか入社が決まった感じでした。
 

精緻に作り込まれたシステムを、時代に合わせて刷新したい

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――入社後の印象はいかがですか。
 

まだ定年退職者がいないので若い会社だと皆言うのですが、50年の歴史もあります。社内システムは昔から作り上げた精緻なものがあり、私がそれを刷新するプロジェクトの責任者になりました。
 

――社内のDXですね。
 

今はヒアリングを進めている段階です。チームメンバーが皆ポジティブで雰囲気がいいですね。私自身勉強になるし、「やりたかったのはこういう仕事だ」という思いです。
 

――どんなシステムなのですか。
 

システムは顧客管理の他に、受注や出荷や債券管理、営業成績など多岐にわたります。基本的には全てを刷新したいのですが、それぞれが最適化されたサービスを使えるようにしたいんです。そうすると、プリーザー(お客様との直接的なやりとりを行う職種)にとってはそれまで1クリックで済んでいた動作の負荷が少し増えるかもしれません。でも、それを乗り越えないとシステムのコストが増えるばかりで他の新しいことができないという「2025年の崖」状態になってしまいます。
 

――現行は、磨き上げられたシステムとオペレーションなのですね。
 

緻密に作り込まれていて、まるで精巧な美術品という印象です。ネット通販やLINEなどでのコミュニケーションが増えるなかで、電話のコール量は減っています。それでも高齢のお客様は電話やFAXや、少数ですが手紙で注文してくださる方もいる。それを残しつつも、プリーザーの仕事や会社の事業のありかたを変えなければいけないんです。お客様との電話応対を第一に考えてきたのを、同等の品質でどう実現するのか。そのためのシステム刷新でもあります。
 

――前職とのギャップを感じることはありますか。
 

いい意味のギャップで、フットワークの良さがありますね。前職では社内稟議が大変だったような内容も、取締役会でプレゼンして「これでいこう」と即決です。ワンフロアでCOOともすぐ話せるし、風通しの良さを感じます。
 

もちろんそのための努力もしています。事前に根回しをしたり、自分から情報を取りに行ったり。おかげで社内でも、私のことを認知してくれる人が増えました。
 

システム刷新プロジェクトも、周りがこれだけ優秀でポジティブなメンバーならうまくいくだろうと確信しています。
 

――移住転職活動をする上で、ご自身のなかで葛藤はありましたか。
 

ありましたね。まずは前職を辞めていいのか。私より先に転職した同期たちは、「前職よりも福利厚生がいい会社はない」と言うんです。でもそう言いながら皆、顔が明るい。転職後の仕事が楽しいんですね。
 

仕事そのものは、自分のスキルが通用するのか正直なところ不安でした。ただ、これまで北京やミャンマーに行くときも同じ気持ちだったし、当たって砕けろだと。取り繕うことなく、やれることをやるしかないと腹をくくりました。
 

妻が背中を押してくれた部分も大きいです。妻は国内外のいろいろな世界を見るのが当たり前の環境にいて、頼もしいんです。現実問題として「東京よりも収入は減るけど大丈夫?」と聞いても「生活できるので全く問題ない」と。確かに家賃が年間100万円規模で下がるので、生活面では問題ないですね。
 

子どもの生活環境が変わることの影響も、一時的でした。当時5歳の子どもに、「新しいところに行ってもいい?」と聞くと、「違うところに行くのは寂しいけれど、違うお友達ができるのは嬉しい」と言われて。子どもながらにすごいなと思いました。
 

――葛藤がありながらも腹をくくれたのはなぜですか。
 

「人」ですね。前職も再春館製薬所も、入社の決め手は人です。前職は、OB面談で出会った先輩が魅力的で入社を決めました。実は退職の面談もその先輩だったんです。先輩は「18年間、いろんな国の最前線でよくやってくれた。会社への貢献は大きいと思う」と言ってくれて、この人のおかげでいい会社で仕事ができたと思いました。
 

再春館製薬所も同じです。「この人たちがいるなら、高難度のプロジェクトも乗り越えられるだろう」という思いです。
 

――YOUTURNを利用された感想をお聞かせください。
 

最初の面談で、高尾さんが親身に話を聞いてくれたのが大きいです。一人ひとりのことをよく見てくれて、転職活動を支援してくれる点が他のエージェントとは全く違いました。特に私のようなIターンの移住転職は大きな決断です。紹介してくれる会社についても同様で、会社のことを深く理解して、「こういうことをやろうとしている会社」ときちんと説明してくれたので安心できました。
 

気になったのは、非公開の求人が沢山あるのに、それをうまくアピールしないのはもったいないなと。私が転職した再春館製薬所も非公開の求人でした。クライアントの都合もあるとは思いますが、求職者は「他にはどれぐらいあるのだろう」と気になっていると思います。
 

私は「九州に来たい」という人にはYOUTURNを紹介しています。「まずは再春館製薬所、他がよければYOUTURNで」という感じですね。
 

(執筆後記)
 

黒澤さんは2度の海外駐在を通して、異文化をはじめ会社の外の世界に触れて自分の価値観を相対化し、移住転職を決めました。
 

YOUTURNでは、皆さん一人ひとりの個性や価値観と向き合った転職相談をおこなっています。福岡への移住転職をお考えなら、ぜひ一度お問い合わせください。
 

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著者プロフィール

YOUTURN編集部
YOUTURN編集部
YOUTURNは、累計100名以上のハイクラス・エクゼクティブ、大都市の最前線で活躍されたビジネスパーソンの九州・福岡への移住転職を支援するエージェントです。地域特化、UIターン転職ならではフル・オーダーメイド転職支援を通じて、今世の中の求人票にはない、あなただけの求人ポジションをつくります。