「この会社でチャレンジする」覚悟を決めて、今動いたからこそ見えた景色
「子どもの誕生と育児休暇を経て、考え方が変わった」。家族と離れて暮らしていた大澤さんでしたが、夫婦の話し合いの結果、福岡への移住転職を決意します。
学生時代から志望していたグローバルな事業への思いを胸に、福岡のバイオベンチャー・KAICOでの新たなチャレンジに至った大澤さんに、経緯を伺いました。
どんな思いで医薬品を患者さんに届けたいのか。伝わったときの喜び
――関西出身の大澤さんは、大分の大学を卒業後、新卒でジェネリック系の製薬会社に入社されています。就職活動はどのような軸で進められたのですか。
社会インフラ、世の中になくてはならないものを担う事業を展開する企業という大枠で考えていました。グローバル色の強い大学だったこともあり、将来的には日本だけにとどまらず他国にも展開して、自分自身がその国と日本の架け橋になれるような活動をしてみたかったのもあります。
――前職の会社に惹かれた点を教えてください。
会社の事業展望と、大学での自分の専門に親和性があったこと。医療用医薬品を取り扱い、なおかつジェネリックという点にも惹かれました。
OD錠(口腔内崩壊錠)という製剤に強みを持っていた点も大きいです。OD錠は、口に入れたら水なしでも溶けるという特徴を持つため、飲料水へのアクセスが難しい国であっても広く手に取ってもらえるのではと感じたんです。
――最初の配属先は長崎の営業部署でした。MR(医薬情報担当者)は、継続的に勉強が必要なお仕事なんでしょうね。
私がいたのはジェネリック医薬品メーカーですが、先発メーカーとは同じMRでも活動内容が大幅に異なります。大きな違いは、既に特許が切れた医薬品を製造・販売するという点。品目の数は多岐に渡り、当時でも数百品目ありました。
一気にすべての製剤の作用機序(※)を把握することはできないので、まずは自社の主力製品について学びました。現場では医師の先生方から先発医薬品の名称で質問されることもあります。先発名と自社製品の名前がリンクするよう必死でしたね。
※作用機序……薬が体内に入った後、効果が現れるメカニズム
――長崎での4年間、お仕事に取り組む中で印象に残っていることはありますか。
主な営業先として、個人開業医の方や薬局さん、小規模の病院を担当させて頂いていました。数字が伴う以上はプレッシャーもありますし、お客様の期待に応えきれず心苦しい想いもしました。ただ、それ以上に達成感がありました。
何十社とある中から自分たちを選んでいただくには、やはり人と人との関係性が大事です。一つ一つ顧客訪問を積み重ねて信頼関係を構築した先に、ようやく認められて採用いただいたときには喜びもひとしおでした。
どんな思いを込めて患者さんに届けたいのかという気持ちが伝わり、それが採用理由になった時などは本当に嬉しかったですね。
――長崎の次に、福岡の営業拠点に異動になられたんですね。
結婚とほぼ同時に異動になり、妻と福岡で暮らし始めました。福岡拠点では、既存顧客をどうやって拡大していくかに特にフォーカスしていました。
長崎と比べ、人口も薬局の数も圧倒的に多いため、取扱数や目標も大きくなって。数字として現れるという点で、インパクトが大きいものでした。
ポテンシャルがある地区として見込まれているだけに、自身の達成度合いがエリアの目標に対する進捗に直結します。責任もまた、より重みが増すのを感じましたね。
これまで通りの方法ではなく、取り組み方に工夫を加え、日々活動していました。
「今このタイミングで挑戦したい」本社で海外事業開発へ
――福岡拠点の後、関西の本社に移られて、海外事業開発のチームに所属されます。この異動はどのような経緯でしたか。
入社以来初めて、国際事業本部が社内公募をかけていたんです。
入社時の動機の1つに、海外にも展開していきたいという思いがあったので、挑戦してみたくて手を挙げました。
――ご夫婦で別々に暮らす前提だったのでしょうか。
そうですね。一緒に住んだのは1年半と短い期間だったのですが、妻が福岡の職場を離れることはできなかったので、夫婦で話し合いました。
社内でこういうチャンスはそう何度も巡ってこないと感じていたので、妻には「このタイミングで挑戦させてほしい」と伝えたんです。
海外に輸出を広めていく事業計画の元で、自身の力を試してみたいという気持ちがありました。6年程培ってきた営業の経験が、本社に移ってどれだけ活かせるのか気になってもいたんです。
――ご希望が叶って本社勤務となり、環境なども随分と変わりましたか。
本社では、輸出事業の拡大と製剤開発を中心に取り組みました。日本の厚生労働省が定める規制と、海外とでは異なる部分も少なくないため、まずは輸出する製剤をどのように海外で承認取得するのか、事業パートナーと課題をクリアする必要があったんです。営業では「既に出来上がったもの」を売っていたのに対し、これからは、「承認申請する前段階のもの」を取り扱う。その辺りでも大きな違いがありました。
日本のように医療制度が充実している国ばかりではありません。保険制度が整備中の国や、付加価値製剤への認識が日本と大きく異なる国があるなど、医療事情は国によって全く異なると思います。
アジア圏のある国では、現地の代理店企業に対して「現場の疾患や病気に有効な手立てを探すのであれば、こういう製剤がいいのでは」といったプロモーションを行うことができました。
製品選定から輸出価格の合意、実際に承認申請をしてもらい登録に至るまでの一連のプロセスを経験することができ、達成感を得られる毎日でした。
子供が産まれ、プライオリティに変化が。あらゆる面でベストな場所が、福岡だった
――転職を考え始めたきっかけはどんなことでしたか。
一番のきっかけは、2021年9月に子供が産まれたことです。妻は福岡、私は関西と離れているタイミングで産まれ、半年間の育児休暇を取ったんです。それまで家のことは妻に任せきりでしたから、育児に関わることで改めて生活環境について考える期間にもなりました。
「自分たちにとって、関西と福岡、どちらに住むのがいいのだろうか?」と。子育て環境や生活コスト、妻が福岡出身であることなど、色んな面から考えていくと、やっぱり福岡の方がいいかもね、と。
育休明けに私は関西に戻り、育児は妻のワンオペレーションになったのですが、負担が目に見えてきて。自分自身も育休中の経験から「1人でこなすのは絶対無理だ」と認識していたのも大きいです。
――仕事に対する思いや、転職についての考え方にも変化がありましたか。
そうですね。子供が1人産まれたことによって、家族を優先したいという思いが強くなったんです。自分で手を挙げて異動した訳ですから会社に対しての申し訳なさもあり、かなり葛藤しました。新卒で採用してもらったこともそうですし、営業所での数年間も、公募で手を挙げて異動できたことも。感謝してもしきれません。
学生時代から数えれば長い間、国際的な事業に携わりたいという思いがありました。いざ転職を考え始めると、「じっくり探せば、他の場所でも叶うんじゃないだろうか?」と思えてきたんです。家族の環境変化をきっかけに自分の仕事について考え始めて、だんだんと今のキャリアにこだわらなくてもいいんじゃないかと思うようになっていきました。
今の会社のステージだからこそ得られる経験値。自己の成長につながると確信した
――福岡を目指して転職活動を開始されますが、大澤さんが最初にKAICOに惹かれて「受けてみよう」と思われたのは、どのような理由がありましたか。
まず目を引いたのは、会社の所在地が福岡にあり、医療用医薬品に繋がるものを研究開発していることです。
さらには、新しいものに挑戦しようとしている会社の姿勢も魅力的でした。蚕という昆虫を使ってワクチンを製造開発しようと、ヒト用ワクチンでもチャレンジしている。なおかつ、これまでにない経口剤の形で世の中に出そうとしている。取り組みの真新しさに惹かれました。
海外にも拡大したいという方向性から、就活当時の動機に近いものを感じたことも大きいです。「ここでなら、これまで経験してきたことを何らかの形で活かせるんじゃないか」と。
カジュアル面談も、現CTOとCFOとの面談は朗らかでカジュアルな印象で、聞きたいことを色々と質問できましたね。
――選考から内定を応諾するまでに、迷いや葛藤を覚えることはありましたか。
ベンチャーという点で、元々いた会社の規模と比べると従業員数など何もかも違うので、不安はありました。仕事や働き方は今後どうなるんだろう、自分自身が本当にここで通用するのかな、と。
最終的な決め手としては、覚悟ができたから、でしょうか。ここでの経験がきっと自分自身の成長に繋がるだろうと感じたからです。何でもスピーディーに対応する必要があり、責任も自ずと大きくなっていく中で、それらを背負って前に進んでいく。これまでいた場所では絶対に得られない経験値です。今この会社のステージだからこそだと思い、純粋に「挑戦してみたい」と考えました。
――KAICOに入社後、どのようなお仕事に携わっていますか。
自社開発の豚用ワクチンがあるのですが、ベトナムでの承認を取得し、販売まで持っていくところを担当しています。
また、KAICOはコアビジネスとして、蚕を用いたタンパク質の受託発現を行っています。
ポテンシャルとなる顧客や協業候補を見つけるために、海外にも出向いています。
海外営業の業務と、前職で経験したような国際事業を担当している状況ですね。
KAICOでは個々人の領域がしっかり固定しているというよりは、グラデーションのように重なりながら動いているんです。チームで相談しながら、周囲と一緒に進めています。
――今後、大澤さんがKAICOで取り組んでいきたいことはありますか。
やはり今持っている製剤を、他の国にもどんどんと横展開していくようなチャレンジはしたいですね。もちろん、現段階では初めての国に製品を出すステップの途中なので、まずはそこをしっかりモノにし、製品発売後の拡販にも取り組みます。
また、これまでに無かった新しいカタチのヒト用ワクチンを海外にも広めていきたいです。そのためにも国外での協業パートナーを見つけ、事業展開するための足掛かりにしたいと考えています。
YOUTURNと面談するまで「思い描くような転職先はもうないだろう」と諦めかけていた
――YOUTURNを利用された感想をお聞かせください。
担当の小野寺さんは、親身にアドバイスをくださって、とてもアットホームな印象を持ちました。大手のエージェントになればなるほどゴリ押し感があったり、見込みがないと思われたら連絡が途絶えて切り捨てられたような感じがしたりするものです。でも、YOUTURNは親身になって伴走してくれるという印象が強く残っています。
実はYOUTURNにも、ある意味ではダメ元で声をかけさせていただいたんです。自分自身が思い描くような転職先はもうないんだろうなと諦めかけていました。
小野寺さんは親身に探してくださって、「この企業だったらこういう形で大澤さんにフィットすると思います」と、一社一社、丁寧にフォローしてくださいました。面談の場でそこまで深掘りしてくださって、とても感謝しています。
――移住転職を検討している方にメッセージがあればぜひお聞かせください。
移住転職は人生においても大きな決断だと思います。仕事も変わり、生活環境の変化が伴うものですから、動いてみたらやっぱり大変だと思うこともあるかもしれません。
それでも、「動いてみないと分からない」というのはお伝えしたいですね。二の足を踏んでしまうかも知れませんが、一歩踏み出すことで違う景色が見えることもあると思います。
どこに移動するかという問いには、答えがあるわけでもなく、何が正解かは分かりません。自分自身が今後その経験をどういう風に捉えていくか、に尽きると思います。何年後、何十年後に振り返ってみた時に「あの時動いてよかったな」って思えたら、それはその人にとっての正解なんじゃないかなと。
私自身は、この移住転職は50代、60代になった時に振り返ってみて「ああ、あの時動いてよかったな」と思えるものだと今は思っていますし、その時にも同じように感じられるといいなと思います。
<執筆後記>
「動いてみたら、意外といい景色が見えるかも知れない」と語る大澤さんは、今回の挑戦を決めるに至った、ひたむきな思いを聞かせてくださいました。
どんな道を選んだとしても、その人にとっての正解は、あとから自分自身が決めるものなのだと気づかされました。
YOUTURNでは、皆さん一人ひとりの個性や価値観と向き合った転職相談をおこなっています。福岡への移住転職をお考えなら、ぜひ一度お問い合わせください。