社内広報のプロが選んだ、家族と共にIターン。全てのチャレンジは新しい経験

私の移住転職ストーリー
11/28/2024 更新

東京から福岡への移住を決意し、家族とともに新しい生活をスタートさせた山中さん。

大手アパレル企業での接客職を経て、東証プライム上場企業で15年にわたり広報職を務めた後、2023年、嘉穂無線ホールディングスへの転職を機に福岡への移住を果たしました。

今回は、地方都市への移住を考えるきっかけから、実際の転職活動、そして移住後の生活まで、山中さんにお話を伺いました。 ▼【無料・登録所要時間3分】YOUTURN会員登録はこちらから!

苦戦した就活。アパレル業界だけはトントン拍子に通過

山中さん
――はじめに、新卒での就職活動からこれまでのキャリアについてお聞かせください。

私は2006年に新卒入社しましたが、当時は就職氷河期の最後のような時期で、就職活動は本当に苦しかったんです。食品メーカーや住宅メーカーを受けていましたが、全然受からなくて。

ただ、最後のほうに残っていたアパレル業界を受けてみたところ、不思議なことに、どんどん選考が通過していったんです。それまでアパレルに特別な思い入れがあったわけではなかったのですが、「もしかして自分に向いているのかも」と思うようになりました。


――最初に入社されたアパレル企業を選んだ理由は何だったのでしょうか。

選考が6次〜7次審査まであり、非常に丁寧に人を見る採用プロセスだったことに惹かれました。「お客さまを自分の自宅に招く」といった接客の理念にも共感しましたね。一人ひとりのお客様に向き合っていく接客に、やりがいを感じられるのではと考えました。


――仕事の内容はどのようなものでしたか?

配属先は銀座の旗艦店でした。世界中のハイブランドを取り扱うということもあり、お客さまはいわゆる富裕層の方々でした。最初は先輩の見よう見まねで対応していましたが、お客さまとの対応を通じて学ぶことが多かったです。

セールスの仕事ですから、まずは個人の売上目標を達成しないといけません。そのためには「自分のお客様=お得意様」になってもらわなくてはいけませんでした。それまであまり関わったことのないような方々とのやり取りが多く、新しい発見の連続でしたね。


――1社目のアパレル企業には3年間勤められたとのことですが、転職を決意されたきっかけは何だったのでしょうか。

現場で販売をしていく中で、商品の情報が本社からうまく伝達されていない現場を変えたいと思い、コミュニケーションを取る中でPR業務に興味を持ち始めたんです。

ただ、当時の会社ではPR職は外部からの中途採用のみで、社内からの異動は難しかった。ずっと販売職のままか、売上トップクラスならバイヤーといった選択肢しかなく、将来のキャリアに不安を感じるようになったんです。

広報のキャリアを積むために転職した企業で、結果的に10年以上のキャリアを積む

――2社目では、エンジニア専門の人材派遣サービスを行う企業に転職されました。これは、どのような経緯だったのでしょうか。

転職エージェントを通じて、未経験でもOKな広報職を探しました。実は最初から、広報の経験を1-2年積んだらアパレル業界に戻ろうと考えていたんです。でも、結果的に15年も在籍することになりました。産休・育休を取得したので、実質的には10年間ほど広報のキャリアを積んだことになります。


――最初は短期でのステップアップを考えていたのに、なぜ15年も続いたのでしょうか?

広報の仕事をしていくなかで、特に社内広報が自分に合っていると感じたんです。社内広報は対象が従業員で、以前のアパレルでの接客経験が活きる部分も多くありました。

親会社や子会社も含めグループ全体の担当で、メディアも紙からWebまでさまざまだったため、同じ会社に勤めながら異なる環境での経験を積めたことも大きかったですね。

コロナ禍を経て「東京でなくてもいいんじゃないか」という価値観が芽生える

――地方都市への移住を考えられたきっかけを教えていただけますか。

一番最初は夫からの提案でした。コロナ禍でリモートワークが始まり、私たちも働き方が変わっていくなかで、「東京でなくてもいいんじゃないか」という価値観に気づかされました。

夫は、コロナ禍以前から「これだけ家賃が高いところに住み続けて、中長期的に大丈夫なのか」という思いを持っていたようです。ただ、子どもの保育園の関係もあって、具体的な行動には移せていませんでした。


――移住を決意するのには、それなりの時間が必要だったのですね。

はい。2年くらい悩みました。私は東京出身なので、東京に住み続けることが当たり前だと思っていたんです。家族や友人も東京にいます。

でも夫から「引っ越すとしてどうせ転校するなら、東京じゃなくてもいいじゃん」と言われたとき、ある程度はその意味を理解できる一方で、「東京以外でなければいけない理由」が見つからない。そんな気持ちでずっと揺れていました。

また夫は会社を辞めて独立し、どこでもリモートで働けるようになった。私が決意して動きさえすれば移住が実現できる状況もありました。


――そうしたなかで、最終的には何が転機になったのでしょうか。

コロナ禍中は、出社とリモートワークのハイブリッドだったのですが、2023年5月に会社が全面出社の体制に切り替わったんです。リモートワークでは通勤時間に費やしていた約3時間を家族と過ごす時間に充てることができた。

子どもが小学生になって時短勤務も終わり、フルタイム+週5回出社となると、子どもとの時間が大幅に減ってしまう。「この生活をずっと続けていく価値って何だろう」と考え、そのときに夫の「東京でなくてもいいんじゃないか」という言葉が降ってきたんです。


――具体的に考える上で、移住を通じて実現したかったことを教えてください。

まず今回の地方移住で叶えたいことを明確にしました。それは、大きくは家族全員のQOL(Quality  of Life)の向上。私にとっては特に通勤時間の短縮を伴う職住近接が重要で、家計としても生活における固定費を減らしていくという考え方です。

また大事にしていたのは、「家族との時間が東京の生活より増えていること」。しかし「生活の質は下げたくない」というものでした。

フルリモートで東京の企業か、福岡の地場企業か。選んだのは後者

――山中さんは東京出身。なぜ福岡という土地を選ばれたのでしょうか。

実は最初から福岡と決めていたわけではないんです。東京以外での暮らしを考えたとき、フルリモートの東京の企業という選択肢もありました。でも、完全に出社なしというのは難しい。

それなら思い切って地方の企業で新しいキャリアを築いていこうと考えました。福岡での就職活動と並行して東京の企業も検討していましたが、嘉穂無線ホールディングスとの出会いがあり、この企業で働きながら福岡で新しい生活を始めてみようと決心したんです。


――小学生のお子さんの転校については、どのように考えられましたか。

正直、すごく悩みました。東京での生活が非常に楽しかったようで、当初は申し訳なさで一杯でしたね。今でも「東京に戻りたい」「なんで引っ越したんだ」と言われることがあります。

でも、私たち夫婦は、福岡移住の目的とともに「あなたを不幸にするためにやったことではない」ということを伝え続けています。新しい環境での経験は、この先必ず活きてくると信じています。

今は、友だちも増えてきているようですし、習い事もはじめました。これから学校以外でも新しいコミュニティが広がっていくとよいなと思っています。


――福岡での生活はいかがですか。

本当にコンパクトシティだなと感じています。職場が近いので通勤時間も短くなりましたし、仕事の終わりも早いです。18時が定時で、18時20分には職場にほとんど人がいない。

帰宅時間が早くなり、家族との時間が確実に増えました。また就寝までの時間が長くなったので夕食後のおやつタイムで体重も増えてしまいました(笑)。

毎日新しい発見もあります。魚や野菜の種類が東京とは少し違ったり、信号待ちが長かったり。でも、暮らしという意味では、東京との大きなギャップは感じていません。

これまでの経験を活かしつつ、新しいチャレンジも

――転職活動は具体的にどのように進められたのでしょうか。

最初は複数の転職エージェントに登録しました。YOUTURNは、単なる転職支援だけでなく、移住という生活全体のサポートをしてくれる印象を受けましたね。担当の小野寺さんにも親身に話を聞いてもらって、実際カジュアル面談から一気に選考が進んだ嘉穂無線ホールディングスとの出会いも、とても自然な流れでした。


――嘉穂無線ホールディングス社の内定を応諾した最終的な決め手はどのようなものでしたか。

いくつかあるのですが、まず選考の過程で代表の柳瀬や所属先の部門メンバーと会話する中で、これまでの経験を背伸びすることなく活かせそうだったことが第一です。

社内報がWebのみ、組織の人数も前職の半数程度ということで中途で入っても動きやすそうなイメージが持てました。子育てをしながら、慣れない土地に引っ越すことになるので、自分の中でどうバランスを取っていくかが重要でした。

率直にいうと条件提示された給与についても、複数の転職エージェントから「地方となると前職の3~4割減は覚悟した方がいい」と言われていましたが、実際はそこまで下がらなかったことも非常に大きいです。


――入社後のキャリアについてイメージできることはありましたか。

これまではB toB事業の広報として経験を積んできましたが、事業としてBtoCだったことや、社外広報へのチャレンジも検討できると言われたことも決め手になりました。

今後の自分の市場価値を考えた際に、もし社外広報も経験できるのなら、今の仕事を続けて深めるだけでなく、高める近道になりそうだと思ったんです。また在宅勤務の活用もOKのハイブリッド型ということも魅力に感じました。


――入社されて6ヶ月経ちました。現在所属されている組織について教えてください。

グループ会社全体の社内広報を担当しています。所属はマーケティング部で、社内と社外にそれぞれ1名ずつ広報担当者が配置されているという体制です。

部門は広報担当2名、テレビCM制作1名、デジタルマーケティング4名、イベントマーケティング1名の8名体制です。少数精鋭なので、入社したてでもチームの一員として責任をもって結果を出さないといけない立場だと思っています。


――具体的にはどのような業務をされていますか。

入社してすぐにWebの社内報を担当することになりました。前任の方が出向で異動されたポジションだったのですが、細かな引き継ぎはなく、過去の記事を読み込むところから始めました。

正直、最初は戸惑いもありましたね。前職では徹底的にPDCAを回し、フレームワークで考えることが求められていたので、この記事の目的は何なのか、読者にどんな行動変容を促したいのか、などといった部分で悩みました。

ただ、社内広報の本質は、社員の方々にモチベーションを上げてもらい、行動変容を促すことです。そうした意味で今の会社の「楽しくて、ためになる」という社内報のコンセプトは、理にかなっています。楽しければモチベーションが上がり、ためになれば行動変容につながる。そう考えると、目指すゴールはこれまでと同じだと気づきました。


――グループ会社によって、それぞれ異なるカルチャーがあるのではないでしょうか。

そうですね。たとえば、ホームセンターのグッデイは、人が好きで、人に興味があるという特徴があって、目の前のことをしっかりやり遂げていくタイプの方が多い。そのため人の情報や、実務に直結する情報を意識して発信しています。

一方、IT化促進サービスを提供するカホエンタープライズは、より論理的で、先を見据えた思考の方が多い。まるで頭脳集団のような雰囲気です。そういった各社の特色を活かしながら情報発信をしています。


――そうした会社や組織への理解はどのように進められていったのでしょうか。

入社してから、いくつかの部署の部長さんにお時間をいただいて、「この会社の課題は何だと思いますか」「あなたのポジションで変えていきたいことは何ですか」と聞いたり、社員の皆さんには休憩室でお会いした際などに「どんな情報があったら嬉しいか」といったヒアリングを重ねたりしました。社内報を読み込むだけでなく、実際に話を聞いていくことで、会社への理解を深めていきました。


――今後はどのようなことにチャレンジしていきたいですか?

所属する部署は少数精鋭で皆のスキルは高いのですが、属人的になっている部分も多くあります。そこで、部署内でスキルをナレッジ化させて、再現性のある仕組みや平準化に取り組んでいきたい。

そのために今は、自分の担当外の仕事にも積極的に関わるようにしています。たとえば、イベントマーケティングのメンバーに「何か手伝えることはありませんか」と声をかけて、その方のスキルやプロジェクトの進め方を学ばせてもらっています。

全てのチャレンジは失敗と捉えるか、新しい経験と捉えるかで意味が変わる

――YOUTURNについての印象はいかがですか。

知らない土地に来て、これからも何かキャリアや生活に困ったことがあったら「YOUTURNさんに聞いてみよう」と思える。そんな心の拠り所になってくれています。就職先を見つけていただいた後も、こうして伴走してくださっているのがとても心強いですね。

東京でYOUTURNのオフラインイベントがあって、そこで直接YOUTURNのメンバーの皆さんにお会いしたんです。福岡が大好きで、以前の私のように今よりももっと人生そのものを良くしていきたいと思っている人たちを応援したいんだな、と感じました。

でもそれが決して暑苦しい善意とかではなく、「とりあえず、一歩踏み出してみたら?」という感じもあってそのバランスがなんかいいなと。頼ってみようと思いましたね。


――最後に、これから地方移住を考えている方へメッセージをお願いします。

今の状況が最高だと感じているなら、そのままでよいと思います。でも、もし何かもっとよい可能性があるかもしれないと感じているのなら、その可能性に賭けてみる価値はあると思います。

私自身は、「失敗」という結果はないと考えています。それを失敗と捉えるか、新しい経験と捉えるかは自分次第。実は今のままでいるほうがよくない結果につながるかもしれない。そう考えると、まずはやってみて、今の選択が最良だったと思えるよう行動に移したほうがよいと思っていますね。
<編集後記>
「これが無駄になることは絶対にない」。そう信じて一歩を踏み出した山中さん。新しい環境で、仕事も家族も大切にしながら、着実に歩みを進めています。本インタビューを通じて、地方移住の決断には、きっかけとなる「気づき」と、それを実行に移すための「覚悟」の両方が必要だということを強く感じました。

キャリアの面では、社内広報という専門性を持ち、環境が変わっても本質を見失わない柔軟さが印象的でした。前職での経験を活かしつつ、新しい企業文化のなかで自分なりの価値を見出そうとする姿勢は、地方移住を考える方々にとって、具体的なロールモデルとなるのではないでしょうか。

移住に正解も不正解もありません。ただ、可能性に賭けてみる勇気と、その選択を最良のものにしようとする意志があれば、新しい道は必ず開かれていく――。YOUTURNは、移住後も継続的なサポートを行うことで、一人でも多くの方の新しいチャレンジを支えていきたいと考えています。

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著者 YOUTURN編集部
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