【イベントレポート】異業種・異職種からのキャリアチェンジ |YOUTURN移住転職者リアルトーク【前編】
移住転職フェア・イベント
09/06/2024 更新
大好評、毎月開催中のYOUTURNコミュニティメンバーをお招きしてのオンラインイベント。今回のテーマは異業種・異職種からのキャリアチェンジです。
福岡への移住転職を果たし、異業種・異職種へのキャリアチェンジを経験された方々をゲストに迎え、リアルなお話を伺いました。
【前編】では、ゲストの自己紹介と、「転職活動の軸」についてお話をお聞きしています。 ゲスト:
大木 健人さん(株式会社デジタルガレージ マネージャー)
ホール 茉利香さん(福岡地所株式会社)
峯野 弘樹さん(株式会社八女流 代表取締役)
ファシリテーター:
高尾 大輔(株式会社YOUTURN 代表取締役) ▼【無料・登録所要時間3分】YOUTURN会員登録はこちらから! 高尾 🌳
今日はYOUTURNの移住転職者の本音が聞けるリアルトークイベント第5弾!異業種・異職種からのキャリアチェンジということでお三方ゲストをお呼びしております。
早速ですが、大木さんから順に自己紹介をお願いできますか。
大木と申します。九州大学で建築と都市計画という分野を専攻し、卒業後に野村不動産に就職しました。
大阪と東京の大都市圏で不動産開発に携わり、主に企画推進プロジェクトマネジメントに従事していました。途中でバックオフィス系、営業の現場を1年弱ずつほどやりましたので、不動産事業に関しては全方位的に経験できたと思います。
ありがたいことにグッドデザイン賞などもいただいて、一通りやり切れたなと思ったタイミングで地元福岡に帰ろうと思い、高尾さんを通して現職のデジタルガレージにご縁をいただき転職しました。
外資系の不動産、プロップテック(不動産×Tech)系の会社からオファーをもらったりもしたのですが、最終的には地元に貢献する文脈を強く意識することができたデジタルガレージを選びました。スマートシティ領域の事業開発ということで、スタートアップや大企業の橋渡しをしたり、合意形成をはかりながら、九州での事業拠点を立ち上げていくといったミッションで参画しています。
デジタルガレージ自体は渋谷にオフィスがあるんですが、僕はサテライトで九州にいる感じです。
高尾 🌳
デジタルガレージの福岡の立ち上げで来られたんですね。1人社員として。
大木 🌞
はい。1人社員として。笑
高尾 🌳
大木さんの「名刺」って面白いですよね。デジタルガレージってITの会社の名刺なのに「一級建築士」って書いてある。
大木 🌞
最初の頃はもうそれだけで掴みはバッチリでしたね。
高尾 🌳
かなり大きな業界チェンジなので、キャッチアップも大変だったでしょう。
ご家族で福岡に戻ってこられてこの5年、どうですか、生活のほうは。
大木 🌞
福岡に移った直後からコロナだったんで、普段の福岡を体験できないまま過ごしてたんですけど。
とはいえ東京に比べたら密じゃないので、コロナ禍であってものびのび過ごせるし、アウトドアに目覚めてキャンプに行って、ついでに温泉に入るもんだから、サウナにも目覚めたりして。
昨年から今年にかけて自宅の設計を自分でやって竣工したんですけど、福岡のほうが土地代も安いので、サウナ室まで作っちゃいました。
高尾 🌳
大木さんはご夫婦そろって一級建築士ですもんね。
大木 🌞
奥さんは超高層ビルの構造設計をする、構造設計一級建築士。一級建築士のスーパーサイヤ人みたいな人でガチガチのエンジニアです。
高尾 🌳
一級建築士の夫婦のお家を作るって設計事務所もイヤだろうな。笑
後ほどまたいろいろ聞かせてください。
続いて、ホール茉利香さん。コンサルティングファームから、2021年の5月に事業会社に移られました。自己紹介をお願いします。
ホール 💎
出身は長崎なので元々九州の人間なんです。海外に留学してオーストラリアの大学で環境学を学び、その後、東京で日系コンサルティングファームに就職しました。
新規事業に特化したコンサルティングファームで、1社のクライアントを相手にいろんなプロジェクトをやらせていただいて3年間経験を積みました。
その中でどうしても事業会社の力学だったり、事業を作っていく部分の解像度を上げていかないと、コンサルタントとして頭打ちかもしれないという閉塞感を抱きまして。一度事業会社に身を置いてみたいという思いから転職を考えるようになりました。
東京での転職も考えたんですが、パートナーが奄美大島出身で、お互い九州の人間同士。「東京そろそろ疲れたよね」と。キャリアのステージが東京じゃないといけないという固定概念がもともとなかったほうです。
YOUTURNさんからご縁をいただいて、福岡地所に転職して3年ちょっとですが、その間に子供を授かって産休〜育休も取得しました。いまは復帰して半年ちょっとぐらいです。
入社当時は、元々は用地取得にむけた行政への提案だったり、案件が決まってからの契約調整をしていました。そこから実際に建物を立ち上げていく段階で商品企画に携わるようになりました。プロジェクトマネジメントについては前職の経験が活かせていると感じますね。
高尾 🌳
東京のコンサルティングファームってめちゃくちゃ忙しかったんじゃないですか。
ホール 💎
や、でも大木さんのほうが働かれてたんじゃないかな。笑
大木 🌞
僕は当時めちゃくちゃ働いてましたね。部長が「大木くんが働き過ぎるから僕が怒られちゃったじゃん」っていうくらい。大変ではありましたけど、楽しくやってました笑
ホール 💎
40時間残業代が固定で支給されるような感じでしたけど、それ以上はやってましたね。
高尾 🌳
ホールさんはご家族が増えて、福岡に移住してからいろんなものが変化しましたね。
最後は峯野さん。現職への入社時期は2024年1月ですが、その前の宮崎県のアグリテック(農業×Tech)のスタートアップへの転職のときもお手伝いさせていただきました。自己紹介をお願いします。
峯野 🚀
峯野と申します。2回YOUTURNさんで転職をさせていただいたんですけど、1回目が宮崎のアグリテックのスタートアップですね。
1社目は釣具メーカーでずっとエンジニアをしてました。釣り具の一つ、リールの新規プロダクトの図面を書いたり、開発をやったり。タイに工場があったので、図面を描いて、現地で工場のラインの立ち上げまで一通りやっていました。
私自身釣りが好きで、自分でプロダクトを作りたいという思いから1社目に選びました。自分が手掛けた商品を市場にリリースするまで全部1人でやれたのが面白かったですね。
高尾 🌳
普通は役割分担しますよね。作る人と売る人みたいに。
峯野 🚀
大きなメーカーだと役割分担するんですけど、釣具というニッチな市場だったので一気通貫で全部やれましたね。そこが面白いなと思ってたんですが、5、6年働いて100種類ほどプロダクトを出していくなかで、「自分がやりたいのはエンジニアなのか?」という疑問が湧いてきたんです。商品をリリースした瞬間はすごく楽しかったんですが、ふと「自分に向いてるのか?」という気持ちから転職を考え出したんです。
出身は佐賀県ですが、YOUTURNさんと出会って、2社目でなぜか縁もゆかりもない宮崎県に移住しました。
転職した2社目では社長の近くで経営企画として働かせてもらいました。
それからまたキャリアチェンジして。福岡県八女市に星野村というところがあるんですが、今はそこにある製材所(株式会社八女流)で経営者として働いています。
高尾 🌳
キャリアの最初の釣具メーカーのエンジニアは、今はもう原型もないですね。
峯野 🚀
スキルベースでいうと全く違うことをやってますね。
高尾 🌳
代表取締役として責任あるポジションでご活躍されていますが、ご提案した僕にも責任があるので、峯野さんのキャリアについては一生お付き合いする覚悟でいます。笑
お三方にお聞きしたいことは、まず『どんな軸で転職活動をしていましたか』『最初からキャリアチェンジを考えてたんですか』という質問です。
このテーマ、峯野さんからお答えいただきましょうか。
峯野 🚀
1回目の転職の話なんですが、エンジニアをやっていく中で徐々に慣れが出てきたんですね。プロダクトは長いもので1年ぐらいかけて設計開発して市場にリリースするところまでなんですが、それを6回ぐらいやりました。趣味のものを作るエンジニアってすごくこだわりが必要なんですけど、私自身あまりこだわりを持てていなくて、自分の好きな領域はここではないのではないかということに気がついてしまったんです。
一方で展示会で自分が作った商品を人に伝えるほうが好きだなと。そういう自分のなかのワクワクする感覚の総量をいかに増やすかを考えるようにした結果、パソコンに長時間向き合う仕事よりも、人に近い領域で仕事をしてみたいなと思ったんです。
高尾 🌳
孤独な戦いだったんですね。
峯野 🚀
その時間は私にとっては苦痛で。
なので転職は、もっと人に接する機会の多い環境という軸で考えました。
高尾 🌳
設計の仕事がわかってきたからこそ生まれてきた葛藤だったんですね。
峯野 🚀
周りのエンジニアは120%までこだわりを突き詰めてるような人たちばかりでしたから、そのなかで80%くらいで満足してしまう自分に嫌気がさしたというのもありますね。
高尾 🌳
それはそういう気持ちにもなりそうですよね。
次に選んだのがAGRIST。宮崎のアグリテックベンチャーですが、どういう観点で選ばれたんですか。
峯野 🚀
人に近い領域で働きたいとは思ってたんですが、では何がいいのかというのは正直わからなかったんです。営業職がいいのか、マーケティング職がいいのかとかも含めてわからなくて。
でもできるだけ小さい会社に入ろうというイメージはしていました。裁量権の幅が広い会社を選択するほうが、いろんな仕事にチャレンジできて、その中で自分の特性を見出せるんじゃないかとは考えていました。
でも、そうなってくると未経験領域への転職になるので、どうしても給料が下がってしまう。なので、できるだけこれまでの経験とも掛け合わせができるような環境ってないだろうかと思っていました。エンジニアとしての経験も活かしつつ、そこから領域を拡げていって段階的にうまくキャリアをシフトしていけるようなポジションをと考えたときに、スタートアップはフィットするかもなと思えました。それも高尾さんとお話しながら行き着いたイメージでもあります。
高尾 🌳
峯野さんは僕に唆されて今に至ってるという。笑
唆しているつもりはないですよ。笑
ホールさんはどんな軸で転職活動してましたか。
ホール 💎
「事業会社にシフトしてみたい、今と逆の立場になってみたい」というのがありました。コンサルティングしていくなかで、事業への解像度がどうしても高まりきらない違和感は感じていました。価値を出していく上で、最終的には事業への解像度が重要だという答えに自分の中では行き着いてしまって。
まず事業会社で経験を積んでいれば、そこから違う業界に転職してもある程度アナロジーが成立する部分があると思うんですが、新卒でコンサルに入ったのでその実体験がないんですね。
一度は事業会社で経験を積んでみたいし、それがその先のキャリアに繋がると思って転職活動を始めたんですが、正直そこも自信があったわけではないんです。コンサルとしてもやり切ったと思えるところまでは行っていなかったので。
高尾 🌳
コンサル経験は3年ぐらいでしたよね。
ホール 💎
丸3年ですね。高尾さんからも、「まだやりきってないと思ってるところは引っかかるかもですね」とおっしゃっていただいた気がします。私ももう1社コンサルに行くという選択肢もあってその辺は揺れ動きながらの活動でしたね。
でも結果的にご縁をいただいた会社が事業会社でチャンスだと思えたので決断できた感じです。
高尾 🌳
最初は、コンサルからコンサルという選択肢も持ちながらだったんですね。
「よし、もうコンサルじゃなくて事業会社に行くぞ」と思えたのは、どういう心境だったんですか。
ホール 💎
「またコンサルに入っても同じ悩みが続くんだろうな」と思ったんですよね。今後またコンサルに戻ることがあっても、一回事業会社で経験を積んだほうが自分にとってはいいのかなと。そう最終的に思えました。
高尾 🌳
それは大きな意思決定でしたね。
大木さんはどうでしょう。
大木 🌞
もう5年ほど前のことですが、僕は率直に「仕事に飽きてしまった」というのが一番大きかったですね。
自分は比較的プロジェクト開発と推進が得意なほうだったので、慣れてくると8割ぐらいの労力でも結果が出せるようになってきました。そうなると学ぶ機会よりも教える機会の方が増えて、自分自身の成長を感じる機会が減ってきてもいたんです。
「いまの環境では十分やれたかな」という気持ちになっていたので、キャリアチェンジは最初から意識していたといえますね。
高尾 🌳
どうやったら上手くいくかがある程度見えちゃうみたいな感じだったんですね。
大木 🌞
もう1つ考えてたのは、転職っていうそれなりに労力かかることをやろうとしてるので、せっかくなら一番わがままプランを叶えてみよう、と。居住は福岡、不動産以外の業界、家族と一緒に過ごす時間が多い、そのあたりの条件を先に決めました。
高尾 🌳
さらには年収もそこまで譲らない。
大木 🌞
年収も下げない。まさに年収は極力下げたくないなと思っていました。
そこで頭に浮かんだのが、首都圏から福岡へのマーケットインを狙ってる東京資本の会社であれば、年収をそこまで落とさずに福岡に行けるのではないか?ということを考えました。
それに、「九州はアジアの玄関口ですって誰かが言ってたぞ?」というのを思い出して、であればアジアの外資系企業がジャパンエントリーするときに一番近い福岡から入ってくるという機会もあるんじゃないかというのにも目をつけました。結果、インドの会社の日本でのお話でも内定をいただきました。
高尾 🌳
それってたしか無人ホテル事業の?
大木 🌞
そうですそうです。日本のホテルをフランチャイズで傘下に束ねていくみたいな事業で、そこにIoTデバイスやスマートチェックイン機能、ダイナミックプライジングなどテクノロジーを駆使して効率よくやっていこうとしていた会社です。
当時はそのお話に魅力を感じてもいましたが、一方で海外から日本のマーケットを破壊しにかかってるふうにも見えたんですね。彼らには彼らの正義があったと思うんですが。さらにはビジネスモデルが少し不確実性が高いように見えて、そのあたりが引っかかっていました。
そういった他社との比較もしたうえで、最終的にデジタルガレージに決めました。
高尾 🌳
大木さんが歩まれてきたそれまでのキャリアの道って、建築の学校を出て一級建築士とって不動産開発というルートですよね。そういうバックグラウンドの人のほとんどが規定のルートでキャリア形成しているんじゃないですか?
キャリアチェンジとなると、手放すものも大きかったんじゃないかなと思いますが。
大木 🌞
僕はもともとの性分からして建築だけを突き詰める気質じゃないなという気持ちは持っていました。建築科を卒業した人って、まさに高尾さんがおっしゃる通り、設計事務所に行ったりゼネコンに行ったりするのが王道です。
でも僕は当時は、もの作りでピンとくる会社を見てみようと思ってて、新卒の就活のときから「俺ガンダム好きだしってバンダイナムコの話聞いてみたり」とか、「おしゃれな雑誌好きだし、とマガジンハウス受けてみたり」とか気ままな就職活動でした。笑
高尾 🌳
社会に出るときからいろんな可能性を見てたんですね。
大木 🌞
そうですね。野村不動産は結果的に一番早く内定を出してくれて、働く先輩から熱意を感じたから入社した、くらいの理由でした。
高尾 🌳
みなさん、大木さんはちょっと変わっているのであまり参考にならないかもです。笑
ありがとうございます。
では次のテーマに行きましょう。
続く【後編】では、「移住転職後に、仕事や環境に慣れることは大変だったのか」「今後のキャリア」「東京に戻る可能性」について、お話をお聞きしています。
後編はこちら:【イベントレポート】異業種・異職種からのキャリアチェンジ |YOUTURN移住転職者リアルトーク 第5弾【後編】累計の移住転職実績100名以上!
福岡への移住転職を果たし、異業種・異職種へのキャリアチェンジを経験された方々をゲストに迎え、リアルなお話を伺いました。
【前編】では、ゲストの自己紹介と、「転職活動の軸」についてお話をお聞きしています。 ゲスト:
大木 健人さん(株式会社デジタルガレージ マネージャー)
ホール 茉利香さん(福岡地所株式会社)
峯野 弘樹さん(株式会社八女流 代表取締役)
ファシリテーター:
高尾 大輔(株式会社YOUTURN 代表取締役) ▼【無料・登録所要時間3分】YOUTURN会員登録はこちらから! 高尾 🌳
今日はYOUTURNの移住転職者の本音が聞けるリアルトークイベント第5弾!異業種・異職種からのキャリアチェンジということでお三方ゲストをお呼びしております。
早速ですが、大木さんから順に自己紹介をお願いできますか。
大木さんの自己紹介
大木 🌞大木と申します。九州大学で建築と都市計画という分野を専攻し、卒業後に野村不動産に就職しました。
大阪と東京の大都市圏で不動産開発に携わり、主に企画推進プロジェクトマネジメントに従事していました。途中でバックオフィス系、営業の現場を1年弱ずつほどやりましたので、不動産事業に関しては全方位的に経験できたと思います。
ありがたいことにグッドデザイン賞などもいただいて、一通りやり切れたなと思ったタイミングで地元福岡に帰ろうと思い、高尾さんを通して現職のデジタルガレージにご縁をいただき転職しました。
外資系の不動産、プロップテック(不動産×Tech)系の会社からオファーをもらったりもしたのですが、最終的には地元に貢献する文脈を強く意識することができたデジタルガレージを選びました。スマートシティ領域の事業開発ということで、スタートアップや大企業の橋渡しをしたり、合意形成をはかりながら、九州での事業拠点を立ち上げていくといったミッションで参画しています。
デジタルガレージ自体は渋谷にオフィスがあるんですが、僕はサテライトで九州にいる感じです。
高尾 🌳
デジタルガレージの福岡の立ち上げで来られたんですね。1人社員として。
大木 🌞
はい。1人社員として。笑
高尾 🌳
大木さんの「名刺」って面白いですよね。デジタルガレージってITの会社の名刺なのに「一級建築士」って書いてある。
大木 🌞
最初の頃はもうそれだけで掴みはバッチリでしたね。
高尾 🌳
かなり大きな業界チェンジなので、キャッチアップも大変だったでしょう。
ご家族で福岡に戻ってこられてこの5年、どうですか、生活のほうは。
大木 🌞
福岡に移った直後からコロナだったんで、普段の福岡を体験できないまま過ごしてたんですけど。
とはいえ東京に比べたら密じゃないので、コロナ禍であってものびのび過ごせるし、アウトドアに目覚めてキャンプに行って、ついでに温泉に入るもんだから、サウナにも目覚めたりして。
昨年から今年にかけて自宅の設計を自分でやって竣工したんですけど、福岡のほうが土地代も安いので、サウナ室まで作っちゃいました。
高尾 🌳
大木さんはご夫婦そろって一級建築士ですもんね。
大木 🌞
奥さんは超高層ビルの構造設計をする、構造設計一級建築士。一級建築士のスーパーサイヤ人みたいな人でガチガチのエンジニアです。
高尾 🌳
一級建築士の夫婦のお家を作るって設計事務所もイヤだろうな。笑
後ほどまたいろいろ聞かせてください。
ホールさんの自己紹介
高尾 🌳続いて、ホール茉利香さん。コンサルティングファームから、2021年の5月に事業会社に移られました。自己紹介をお願いします。
ホール 💎
出身は長崎なので元々九州の人間なんです。海外に留学してオーストラリアの大学で環境学を学び、その後、東京で日系コンサルティングファームに就職しました。
新規事業に特化したコンサルティングファームで、1社のクライアントを相手にいろんなプロジェクトをやらせていただいて3年間経験を積みました。
その中でどうしても事業会社の力学だったり、事業を作っていく部分の解像度を上げていかないと、コンサルタントとして頭打ちかもしれないという閉塞感を抱きまして。一度事業会社に身を置いてみたいという思いから転職を考えるようになりました。
東京での転職も考えたんですが、パートナーが奄美大島出身で、お互い九州の人間同士。「東京そろそろ疲れたよね」と。キャリアのステージが東京じゃないといけないという固定概念がもともとなかったほうです。
YOUTURNさんからご縁をいただいて、福岡地所に転職して3年ちょっとですが、その間に子供を授かって産休〜育休も取得しました。いまは復帰して半年ちょっとぐらいです。
入社当時は、元々は用地取得にむけた行政への提案だったり、案件が決まってからの契約調整をしていました。そこから実際に建物を立ち上げていく段階で商品企画に携わるようになりました。プロジェクトマネジメントについては前職の経験が活かせていると感じますね。
高尾 🌳
東京のコンサルティングファームってめちゃくちゃ忙しかったんじゃないですか。
ホール 💎
や、でも大木さんのほうが働かれてたんじゃないかな。笑
大木 🌞
僕は当時めちゃくちゃ働いてましたね。部長が「大木くんが働き過ぎるから僕が怒られちゃったじゃん」っていうくらい。大変ではありましたけど、楽しくやってました笑
ホール 💎
40時間残業代が固定で支給されるような感じでしたけど、それ以上はやってましたね。
高尾 🌳
ホールさんはご家族が増えて、福岡に移住してからいろんなものが変化しましたね。
峯野さんの自己紹介
高尾 🌳最後は峯野さん。現職への入社時期は2024年1月ですが、その前の宮崎県のアグリテック(農業×Tech)のスタートアップへの転職のときもお手伝いさせていただきました。自己紹介をお願いします。
峯野 🚀
峯野と申します。2回YOUTURNさんで転職をさせていただいたんですけど、1回目が宮崎のアグリテックのスタートアップですね。
1社目は釣具メーカーでずっとエンジニアをしてました。釣り具の一つ、リールの新規プロダクトの図面を書いたり、開発をやったり。タイに工場があったので、図面を描いて、現地で工場のラインの立ち上げまで一通りやっていました。
私自身釣りが好きで、自分でプロダクトを作りたいという思いから1社目に選びました。自分が手掛けた商品を市場にリリースするまで全部1人でやれたのが面白かったですね。
高尾 🌳
普通は役割分担しますよね。作る人と売る人みたいに。
峯野 🚀
大きなメーカーだと役割分担するんですけど、釣具というニッチな市場だったので一気通貫で全部やれましたね。そこが面白いなと思ってたんですが、5、6年働いて100種類ほどプロダクトを出していくなかで、「自分がやりたいのはエンジニアなのか?」という疑問が湧いてきたんです。商品をリリースした瞬間はすごく楽しかったんですが、ふと「自分に向いてるのか?」という気持ちから転職を考え出したんです。
出身は佐賀県ですが、YOUTURNさんと出会って、2社目でなぜか縁もゆかりもない宮崎県に移住しました。
転職した2社目では社長の近くで経営企画として働かせてもらいました。
それからまたキャリアチェンジして。福岡県八女市に星野村というところがあるんですが、今はそこにある製材所(株式会社八女流)で経営者として働いています。
高尾 🌳
キャリアの最初の釣具メーカーのエンジニアは、今はもう原型もないですね。
峯野 🚀
スキルベースでいうと全く違うことをやってますね。
高尾 🌳
代表取締役として責任あるポジションでご活躍されていますが、ご提案した僕にも責任があるので、峯野さんのキャリアについては一生お付き合いする覚悟でいます。笑
転職活動の軸について
高尾 🌳お三方にお聞きしたいことは、まず『どんな軸で転職活動をしていましたか』『最初からキャリアチェンジを考えてたんですか』という質問です。
このテーマ、峯野さんからお答えいただきましょうか。
峯野 🚀
1回目の転職の話なんですが、エンジニアをやっていく中で徐々に慣れが出てきたんですね。プロダクトは長いもので1年ぐらいかけて設計開発して市場にリリースするところまでなんですが、それを6回ぐらいやりました。趣味のものを作るエンジニアってすごくこだわりが必要なんですけど、私自身あまりこだわりを持てていなくて、自分の好きな領域はここではないのではないかということに気がついてしまったんです。
一方で展示会で自分が作った商品を人に伝えるほうが好きだなと。そういう自分のなかのワクワクする感覚の総量をいかに増やすかを考えるようにした結果、パソコンに長時間向き合う仕事よりも、人に近い領域で仕事をしてみたいなと思ったんです。
高尾 🌳
孤独な戦いだったんですね。
峯野 🚀
その時間は私にとっては苦痛で。
なので転職は、もっと人に接する機会の多い環境という軸で考えました。
高尾 🌳
設計の仕事がわかってきたからこそ生まれてきた葛藤だったんですね。
峯野 🚀
周りのエンジニアは120%までこだわりを突き詰めてるような人たちばかりでしたから、そのなかで80%くらいで満足してしまう自分に嫌気がさしたというのもありますね。
高尾 🌳
それはそういう気持ちにもなりそうですよね。
次に選んだのがAGRIST。宮崎のアグリテックベンチャーですが、どういう観点で選ばれたんですか。
峯野 🚀
人に近い領域で働きたいとは思ってたんですが、では何がいいのかというのは正直わからなかったんです。営業職がいいのか、マーケティング職がいいのかとかも含めてわからなくて。
でもできるだけ小さい会社に入ろうというイメージはしていました。裁量権の幅が広い会社を選択するほうが、いろんな仕事にチャレンジできて、その中で自分の特性を見出せるんじゃないかとは考えていました。
でも、そうなってくると未経験領域への転職になるので、どうしても給料が下がってしまう。なので、できるだけこれまでの経験とも掛け合わせができるような環境ってないだろうかと思っていました。エンジニアとしての経験も活かしつつ、そこから領域を拡げていって段階的にうまくキャリアをシフトしていけるようなポジションをと考えたときに、スタートアップはフィットするかもなと思えました。それも高尾さんとお話しながら行き着いたイメージでもあります。
高尾 🌳
峯野さんは僕に唆されて今に至ってるという。笑
唆しているつもりはないですよ。笑
ホールさんはどんな軸で転職活動してましたか。
ホール 💎
「事業会社にシフトしてみたい、今と逆の立場になってみたい」というのがありました。コンサルティングしていくなかで、事業への解像度がどうしても高まりきらない違和感は感じていました。価値を出していく上で、最終的には事業への解像度が重要だという答えに自分の中では行き着いてしまって。
まず事業会社で経験を積んでいれば、そこから違う業界に転職してもある程度アナロジーが成立する部分があると思うんですが、新卒でコンサルに入ったのでその実体験がないんですね。
一度は事業会社で経験を積んでみたいし、それがその先のキャリアに繋がると思って転職活動を始めたんですが、正直そこも自信があったわけではないんです。コンサルとしてもやり切ったと思えるところまでは行っていなかったので。
高尾 🌳
コンサル経験は3年ぐらいでしたよね。
ホール 💎
丸3年ですね。高尾さんからも、「まだやりきってないと思ってるところは引っかかるかもですね」とおっしゃっていただいた気がします。私ももう1社コンサルに行くという選択肢もあってその辺は揺れ動きながらの活動でしたね。
でも結果的にご縁をいただいた会社が事業会社でチャンスだと思えたので決断できた感じです。
高尾 🌳
最初は、コンサルからコンサルという選択肢も持ちながらだったんですね。
「よし、もうコンサルじゃなくて事業会社に行くぞ」と思えたのは、どういう心境だったんですか。
ホール 💎
「またコンサルに入っても同じ悩みが続くんだろうな」と思ったんですよね。今後またコンサルに戻ることがあっても、一回事業会社で経験を積んだほうが自分にとってはいいのかなと。そう最終的に思えました。
高尾 🌳
それは大きな意思決定でしたね。
大木さんはどうでしょう。
大木 🌞
もう5年ほど前のことですが、僕は率直に「仕事に飽きてしまった」というのが一番大きかったですね。
自分は比較的プロジェクト開発と推進が得意なほうだったので、慣れてくると8割ぐらいの労力でも結果が出せるようになってきました。そうなると学ぶ機会よりも教える機会の方が増えて、自分自身の成長を感じる機会が減ってきてもいたんです。
「いまの環境では十分やれたかな」という気持ちになっていたので、キャリアチェンジは最初から意識していたといえますね。
高尾 🌳
どうやったら上手くいくかがある程度見えちゃうみたいな感じだったんですね。
大木 🌞
もう1つ考えてたのは、転職っていうそれなりに労力かかることをやろうとしてるので、せっかくなら一番わがままプランを叶えてみよう、と。居住は福岡、不動産以外の業界、家族と一緒に過ごす時間が多い、そのあたりの条件を先に決めました。
高尾 🌳
さらには年収もそこまで譲らない。
大木 🌞
年収も下げない。まさに年収は極力下げたくないなと思っていました。
そこで頭に浮かんだのが、首都圏から福岡へのマーケットインを狙ってる東京資本の会社であれば、年収をそこまで落とさずに福岡に行けるのではないか?ということを考えました。
それに、「九州はアジアの玄関口ですって誰かが言ってたぞ?」というのを思い出して、であればアジアの外資系企業がジャパンエントリーするときに一番近い福岡から入ってくるという機会もあるんじゃないかというのにも目をつけました。結果、インドの会社の日本でのお話でも内定をいただきました。
高尾 🌳
それってたしか無人ホテル事業の?
大木 🌞
そうですそうです。日本のホテルをフランチャイズで傘下に束ねていくみたいな事業で、そこにIoTデバイスやスマートチェックイン機能、ダイナミックプライジングなどテクノロジーを駆使して効率よくやっていこうとしていた会社です。
当時はそのお話に魅力を感じてもいましたが、一方で海外から日本のマーケットを破壊しにかかってるふうにも見えたんですね。彼らには彼らの正義があったと思うんですが。さらにはビジネスモデルが少し不確実性が高いように見えて、そのあたりが引っかかっていました。
そういった他社との比較もしたうえで、最終的にデジタルガレージに決めました。
高尾 🌳
大木さんが歩まれてきたそれまでのキャリアの道って、建築の学校を出て一級建築士とって不動産開発というルートですよね。そういうバックグラウンドの人のほとんどが規定のルートでキャリア形成しているんじゃないですか?
キャリアチェンジとなると、手放すものも大きかったんじゃないかなと思いますが。
大木 🌞
僕はもともとの性分からして建築だけを突き詰める気質じゃないなという気持ちは持っていました。建築科を卒業した人って、まさに高尾さんがおっしゃる通り、設計事務所に行ったりゼネコンに行ったりするのが王道です。
でも僕は当時は、もの作りでピンとくる会社を見てみようと思ってて、新卒の就活のときから「俺ガンダム好きだしってバンダイナムコの話聞いてみたり」とか、「おしゃれな雑誌好きだし、とマガジンハウス受けてみたり」とか気ままな就職活動でした。笑
高尾 🌳
社会に出るときからいろんな可能性を見てたんですね。
大木 🌞
そうですね。野村不動産は結果的に一番早く内定を出してくれて、働く先輩から熱意を感じたから入社した、くらいの理由でした。
高尾 🌳
みなさん、大木さんはちょっと変わっているのであまり参考にならないかもです。笑
ありがとうございます。
では次のテーマに行きましょう。
続く【後編】では、「移住転職後に、仕事や環境に慣れることは大変だったのか」「今後のキャリア」「東京に戻る可能性」について、お話をお聞きしています。
後編はこちら:【イベントレポート】異業種・異職種からのキャリアチェンジ |YOUTURN移住転職者リアルトーク 第5弾【後編】