美容師から始まった異色のキャリア。EC通じて学んだ物流の本質、そしてYAMAPへ
美容師、大手アパレルEC、EC家具メーカー、フィットネス事業、そしてYAMAPへ——。一見すると誰もが驚くキャリアを歩んできた多田さん。しかしその根底には、「現場で手を動かし、仕組みを理解し、新しい価値を生み出す」という一貫した姿勢がありました。
東京での10年以上のキャリアを経て、2025年に福岡へ移住。家族の面倒を見るため、結婚、そして占い師からの言葉。いくつもの要素が重なり合い、福岡への移住を決断しました。
「移住を迷ってるっていう時点で魅力を感じてるんでしょうね」——たった5ヶ月で転職活動を実現した多田さんが語る、地方転職のリアルと、これから移住を考える人へのメッセージに迫ります。
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美容師から大手アパレルEC、EC業界への大転換

——多田さんは熊本のご出身で、福岡の美容専門学校に進学されました。美容師を目指したきっかけは何だったのですか
高校2年生の後半頃になると進路を決めなければならず、ちょうど職員室前にパンフレットが置かれており、美容学校やファッション系の学校が魅力的なカタログを作成していたため、見学に行きました。
私は以前からファッションには興味があったので、美容師も同様の分野ではないかと考えたのです。当時はカリスマ美容師も流行っていたので、チャレンジしてみようと思いました。
——美容師として働かれた3年間はいかがでしたか?
厳しいものでした。私の同級生も、基本的には1年以内にほとんどが離職しましたが、私は何とか続けることができました。「区切りとして3年間は続けるように」と親からも言われていたため、3年間の経験を経て退職しました。
非常に体育会系の雰囲気でしたね。週に6日勤務で、休みは月に4回。終始立ち仕事であり、営業後の片付けや練習もありました。
——そこから次は大手アパレルECに入社されます。かなり大きなキャリアチェンジですが、どういう経緯でしょうか。
当時は東京に出たいという気持ちがあり、何気なく大手アパレルECのサイトを閲覧し、下部に求人案内があったため、応募してみようと思い立ちました。
集団面接などもありましたが、美容師時代に面白いエピソードがたくさんあったので、面接中に話すと、興味半分で「この時はどうされていたのですか?」と尋ねられたりして。
そのような形で回答していくうちに、「他の候補者に負ける気がしない」という感覚になっていき、結果としても内定をいただくことができました。
大手アパレルECで学んだ物流とクリエイティブスキル

——2010年の当時のベンチャーです。どんな雰囲気でしたか?
非常にポジティブな雰囲気でした。人数的には200人から250人くらいで、既に上場から3年目といった時期でしたが、みんな業界が異なる、ある意味未経験で入社するという状況だったと思います。
最初は物流業務を少し経験した後、撮影管理部という大手アパレルEC内の商品ページに掲載する写真の撮影などを行う部署に配属されました。
当時の研修は2ヶ月ほどかける形で、1週間はこの部署、次の1週間はこの部署、という形でしっかりと現場経験し、事業の理解を深めていくというものでした。
——アパレルECとしては珍しく、物流に力を入れていたんですよね。
当時の経営者の考え方として、物流と商品ページとUIが重要であるという観点から、物流に対する教育やシステムを含めた投資には、非常に力が入れられていました。
興味深いことに、システム部というエンジニアがいる部署が、当初は物流に紐づいていたんです。それほど在庫管理や商品管理が肝であると考えられていたのでしょう。
——撮影管理部ではどのようなお仕事をされていたのですか?
最初は実際にカメラを構えて、私が撮影していました。カメラマン経験者がいなかったため、カメラに詳しいスタッフが中心となって照明などの調整を行い、専門業者とも協力して撮影スタジオを作っていきました。
美容師時代の様々な顧客への接客経験や、職人的な下積みの体験などのエピソードが個性的だったので、そこが評価されて採用されたと理解しました。
——大手アパレルECには丸8年いらっしゃいましたが、どのような理由で退職されたのでしょうか。
ずっと千葉の幕張にいたのですが、筑波エリアに新拠点が設立されることになり、そのメンバーに選ばれたのがきっかけです。元々東京に憧れて九州を飛び出したのに、余計そこに離れてしまう事に疑問が出てきました。
同時に、当時友人が個人でアパレルを販売しており、その手伝いをしていたら、意外と物を売る方が楽しくなったこともあって。ウェブのマーケティングが面白いなと感じ始めたところでもありました。
EC家具メーカーで培ったマーケティングの考え方

——次に入社されたのがEC家具メーカーですね。
エージェントを通じてお声掛けいただきました。当時は新規事業として、家具ECのようなものを作りたいという計画があったため、最初は新規事業部に配属されました。
でも新規事業なので、なかなか予算が厳しい設定になっていて、認知も少ない中で広告も十分に投下できなったんです。
——投資判断として広告費が使えない中で、どのように集客されたのですか?
SNSを活用していましたが、特に力を入れたのがInstagramでした。当初は提供された写真で進めていましたが、「ネタがない」「人目を引く質が悪い」「トーン&マナーが合わない」といった問題があり、それならば撮影に行こうということで、店舗に撮影に行ったりしていました。
——1年後に本体のブランド事業に移られ、クリエイティブの管理の傍らSNS運営も担当されたのですね。
はい。SNSはとりあえず走り出すしかない、というのがもう今の結論ですが、SNS運用は企業のブランディングやトンマナも背負うので当時はすぐに走り出せる状況ではありませんでした。
社長はフォロワー数を100万にしたいと言っていましたが、現状は1万しかいない。競合分析や認知度、クリエイティブの水準やリソースを試算したところ、60万フォロワーであれば3年かければ達成可能であるという数字を提示しました。
目の前の数字を追いかけつつも、3年後の60万という目標から逆算して計画を作成して実行したところ、想定以上の成果が出ました。結果的に約2年ほどで68万フォロワーを達成しましたので、大幅に前倒しできました。
その後、YouTubeのアカウントの立て直しを任されました。最初は数値分析、工数整理、台本制作、一部出演など自発的に手探りで行いました。
以降は、「私がやれるのであれば、SNSネイティブ世代の子おそらくもっとやれるだろう」という考えで、ノウハウを渡していきながらメンバーに振っていきました。
——EC家具メーカーは6年勤められましたが、退職を決めた理由を教えてください。
評価されない理由を考えたのですが、「もう少し利益が出ている会社であればどうだろう」と思った時に、再び転職活動を始めました。
次はフィットネス事業の会社で、20名ほどの規模のベンチャー企業でした。マーケティング関連の担当として、動画制作の企画立案から編集まで、全て最初から手掛けました。
——次はフィットネス事業を営む会社にチャレンジされました。
上場しているわけでもなく、情報を非公開にしている会社ですので、詳細はお伝えできませんが、全く異なっていたのが、ベンチャー企業であるという点です。
私が入社した時で20名ほどの規模で、かつ社長が会社の看板であり、メディアにも影響力のある人でした。でも、売れている理由が明確になっていなかった。
「もう少し成功法に基づいたブランディングをすれば、もっと売れるのではないか」と感じたため、そのような経緯でジョインしたという形になります。
ポジションは一応マーケティング関連の担当で、「これから仕組みを整えていく状況なので、経験を活かしてチャレンジできる」と。経営視点で事業をみることもできると考えましたし、また私自身もそのような仕事をやりたいと思っていました。
これまでも色々な経験をしてきたので、「これだけをやる」となると、バリューも発揮できないだろうと感じていました。
一方で実際に入社してみると、人が十分ではなかったので、作業的な業務も含めてマーケティングに関連する様々な仕事を経験しました。
途中で「なぜ今更このような業務もやっているのかな」と疑問に思ったこともありましたが、きちんと結果が出たこともあり、最終的には、「こういった細かいことも初心を忘れずにやらなければならない」という良い気づきを得ることができました。
福岡移住を決めた理由 - 父の体調不良、結婚、そして占い師の言葉

——1年弱でこの会社も退職され、福岡に移住されることになります。
実家の熊本で、2025年明け頃に父親が体調を崩し、「そろそろ帰ってきてほしい」という要望がありました。同時に、私は結婚を考えていた時期でもあり、このタイミングだからこそ移住した方が良いのではないか、と考えました。
——奥様は東京生まれ東京育ちだったのですね。移住についてはどのように説得されたのですか?
色々と議論を重ねましたが、結果的には理解してくれました。実は私の妻は占いが好きで、当時は半年に一度は占いに行っていたほどです。
私が前職に転職する前の6月頃に、妻が占いに行った際、「パートナーは転職するけどうまくいかない、やめるかもしれない」と言われていたそうなのです。でも妻はその時、私には何も言わなかった。
そして12月頃、私が珍しく仕事の愚痴を言っていたら、妻が「合わないなら無理しなくていいんじゃない?」と言ってきました。妙に優しいなと思ったんです(笑)。
その後、1月に父が倒れました。仕事が嫌だとか話を抜きにして、現職を辞めて九州に戻る選択肢が現実的に視野に入ってきたタイミングでした。その時に妻から初めて「6月の占いで『仕事やめるかも』って出てたんだよね」と聞かされたんです。
気になって、じゃあ一緒に占いに行ってみようということになりました。そこで占い師の方に「転職はとてもうまくいく」「九州も良い」と言われたんです。
同時に妻は「転機の年」と言われて、「実家を離れる」「見聞を広める」といった行動をすると良いと言われました。それも移住を決める後押しの一つとなりましたね。
結局、今年の初め頃に父が入院し、「長くないかもしれない」と言われましたが、手術も成功し、春頃にはある程度回復していました。
一方で私自身も「今のタイミングで帰らないと、子どもができたりすると、移住がしづらくなる」という思いもあり、決断に至りました。
——移住先として、福岡という土地を選んだ理由はありますか?
福岡という土地柄が良かったのだと思います。「福岡であれば、同じ値段でもっと良いところに住めるよ」「ご飯がおいしいよ」といった話を妻にしていました。
妻も友人や職場で相談していたようで、「結婚するんだけど、その後福岡に行くかもしれない」となった時に、福岡を悪く言う人は誰もいなかったようです。それで結果的に彼女から「良いんじゃない?」と言ってもらえました。
5ヶ月間の転職活動で見えた地方企業のリアル

——九州での転職活動は、東京と比べていかがでしたか?
当初はあまり変わらないと思っていたのですが、何社か面接を受ける中で、東京と比べると仕事の進め方などリズムの違いを感じました。地域独特のつながりというか、「東京から来た人」といった雰囲気を勝手に感じてしまったところがあるかもしれません。
人事の方などは基本的にそのようなことはないのですが、事業部長クラスになると、「うちはこういうやり方だから」とはっきり言われることもありました。
「新しい風が欲しい」と言われてお声掛けいただいたものの、実際に私の考え方や提案をお話しすると、少し温度差を感じる反応が返ってくることもありました。
——そのような状況を見た時に、どのように感じられましたか?
多くの人がそのように考えるのは仕方がないな、と思いました。新しいことをやるのは怖いといった気持ちは、私にもあります。それが東京だと研ぎ澄まされていくのかもしれません。
責任あるポジションになると、どうしても失敗が怖くなるし、リスクはなるべく避けたいと考えるのが自然です。
——YAMAPとの出会いはどのような経緯だったのですか?
私は元々YAMAPのユーザーだったのです。YOUTURNの記事を見て、過去の事例でYAMAPの記事があったため、「YAMAPも取り扱われているのですか?」と尋ねたところ、カジュアル面談につないでいただきました。
2025年6月半ば頃のことでしたが、そこから1ヶ月間ほど返事をいただけていなかったのです。その後、別の企業面接で福岡に行く機会があり、高尾さんに「やり取りをしていた企業に、全て会いたいです」と伝えたところ、各社セッティングしていただきました。
その場で上長の﨑村さんにお会いし、ちょうどそのタイミングで欠員が出そうだという話があり、「明日もう一度面接に来られますか」と言われたのです。
YAMAPは比較的東京出身の方が多く、UターンやIターンの方が結構多くいらっしゃいます。山好き、自然好きの方も多いため、温和な人が多いイメージでした。
春山さんは最後に面接に出てこられました。実際にお話しさせていただき、とても素敵な方だと感じました。また春山さん自身を入社前にメディアでもよく拝見していたのですが、印象はそのままでした。
すごく自然体で、今まで色々な社長にお会いしてきましたが、面接前にお香を焚かれていたのが印象的です(笑)。
——最後に、これから移住を検討している方にメッセージをお願いします。
みなさんもう迷っているという時点で、既に移住や福岡で人生を過ごすことに魅力を感じているのでしょう。確かに一つ言えるのは、就職活動は思ったより大変でした。
東京と比べると、求人の数が少なかったので。私は本当に見切り発車で仕事を辞めて、5ヶ月かかりました。仕事をしながら転職活動をした方が良いなと、非常に当たり前のことですが、強く感じます。
あとは、迷っている人は、物は試し「占いに行ってみてください」ということです。しかし、本当に良いと思いますよ。経営者や有名人なども占いに行くではないですか。あれは言われた瞬間に非常に気持ちが楽になります。少しおすすめしたいです。
編集後記
今回の多田さんのインタビューで最も印象的だったのは「何者でもない」という言葉でした。
美容師、大手アパレルEC、EC家具メーカー、そしてYAMAP。一見バラバラに見えるキャリアですが、その全てに共通しているのは「現場で手を動かし、仕組みを理解し、新しい価値を生み出す」という姿勢です。
大手アパレルECで物流とクリエイティブの両方を経験し、EC写真の黎明期に立ち会った経験。EC家具メーカーでSNSを2年で68万フォロワーまで成長させた実績。これらは多田さんが常に「とりあえず走り出す」ことを選択してきた結果です。
特に印象的だったのは、地方転職における現実的な課題を率直に語ってくれたことです。「東京もんだからなんだ」という空気、決断の遅さ、リズムの違い。
しかし多田さんは「しょうがない」「普通はそうだと思います」と冷静に捉えます。この視点こそが、5ヶ月の転職活動を乗り越えられた理由なのかもしれません。
そして何より興味深いのが、奥様の占い師のエピソードです。「旦那さん転職する」「うまくいかない」という予言が、結果的に夫婦で移住を決断する後押しになった。一見非論理的に見えるこの選択が、実は最も人間らしい決断の仕方なのではないでしょうか。
多田さんの「迷ってるっていう時点で魅力を感じてるんでしょうね」という言葉は、多くの移住検討者への大きなメッセージです。
迷いは弱さではなく、新しい可能性への期待の表れ。YAMAPでの挑戦はまだ始まったばかり。「何者でもない」と語る多田さんが、福岡でどんな価値を生み出していくのか、期待したいと思います。
そして最後に——移住を検討している皆さん、多田さんのアドバイス通り、ぜひ占いに行ってみてはいかがでしょうか。案外、そこに答えがあるかもしれません。