「分からない方が面白い」 MRから飛び込んだ未知への挑戦
東京での安定したキャリアと高待遇を手放し、福岡のスタートアップ、株式会社beads(ビーズ)へ転職した岩橋さん。製薬会社のMRとして10年のキャリアを積み、熊本、長崎、そして東京と全国を転々してきた方が、なぜホスピス住宅という未知の領域に飛び込んだのか。
「5年後10年後を想像した時に、分からない方が面白いんじゃないかな」——そう語る岩橋さんの決断の背景には、家族との向き合い方、自分らしい働き方への追求、そして「困っている人を助けたい」という一貫した想いがありました。
東京異動からわずか1年での決断。国内の大手企業からのオファーを断り、不確実性の高いスタートアップを選んだ勇気ある意思決定の全貌に迫ります。
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MRを志した理由 -「困っている人を助けたい」という原点

——岩橋さんは佐賀県のご出身で、高校を卒業後、福岡の大学に進学されました。就職活動ではどのような軸で企業を選ばれたのですか?
僕の中では2つの軸がありました。世の中をもっと便利にする仕事なのか、それとも今困っている人、マイナスの状況にいる人を少しでも元の生活に近づけることができるような仕事。どっちがいいかなと思った時に、自分はその後者の方がやりたいなっていうのが1つ。
あとは働く中で、自分で考えて行動できるような仕事がいいなと思っていました。僕は文学部だったので、公務員や銀行などの選択肢もあったんですけど、あんまりそういったところに惹かれなくて。
——MRという仕事を選ばれた背景について教えてください。
結果的にですが、MRは自分が思っているような、どちらかというと困っている人にフォーカスできる仕事ということがありました。
あとは営業担当先を一人でまかせてもらい、そこに対してどうアプローチしていくかを自分自身で考えられる仕事という説明を聞き、仕事への理解が深かったわけではないのですが、いいかなと思って決めました。
——入社した後は、東京などの大都市で働くことは想定されていましたか?
あまり場所に対しての意識はなかったかもしれないです。全国転勤の仕事っていうことだったので、そこに関しては特に抵抗感はなかった。正直、生まれ育った場所なので九州にいたいなっていう気持ちはありつつ、そこは仕事であればしょうがないかなみたいな、その時は思ってました。
運よく配属先は熊本からスタートになりました。新卒のMRは18人で、九州で希望を出しているのが私だけだったので、それもよかったっていう感じですね。
九州を転々としたMR時代 - 地域に根ざす仕事の面白さ

——熊本でスタートした社会人生活はいかがでしたか?
まずは私自身が文学部出身だったので、医療や医薬に関するバックグラウンドの知識がなく、その知識をつける必要を感じました。加えて地域のことをよく知らないと、薬のことだけでは医師と話す際、なかなか話が盛り上がらなかったです。
「地方あるある」かもしれないですけど、医師同士のつながりや病院同士のつながり、地域課題の把握など自分も地域に馴染んでいって、地域のことを理解してっていうのに結構時間がかかったと思いますね。
あとは、先生にもよく怒られてましたね(笑)。厳しかったけど、すごく可愛がってくれた先生がいて、同じ高校の出身で、すごくうちの会社のことも気にかけてくれて。熊本を離れる時は「すごい大変だったけど、よく頑張ったな」という感じで褒めてくださって嬉しかった記憶があります。
——素朴な疑問で、「先生や地域を知ること」と、「薬を提供すること」はどう結びつくのでしょうか?
医師が診ている患者さんのタイプや特性を知り、地域でその病院がどういう役割を担っているのか、そんな情報から患者さんのイメージを作っていきます。それがわかってくると、先生方も私たちに対して患者さんのことを話してくださり、ようやく薬の話を聞いていただける土台ができるんです。
——熊本の後は長崎に異動されました。4、5年経過すると、ギャップや、やりがい/手応えも見えてきます。
私自身がやりたい仕事だったり、個人の仕事観としては「自分で考えて行動できる」というのがあります。
その意味で、入社直後からMRという仕事は比較的マッチはしてたのかなと感じていました。もちろん数字をしっかり作っていくというのも、やりがいとしていましたし、そんなにギャップはなかったかなとは思ってはいます。新しい経験や挑戦もでき、自身の成長を実感することができていました。
ただ、その時々の会社の状況による戦略にもとづいて私たちが現場で動くわけですから、「会社から与えられた裁量がどのくらいあるか」。それがタイミングによって変わることもあり、裁量が少ないなと感じた時には面白くないというか、ストレスを感じる部分はあったかなと思います。
それに加えて、製薬会社を取り巻く業界規制強化など環境の変化があり、与えられる裁量は年々少なくなっており、物足りなさを感じることも増えたかもしれません。
東京異動、そして2ヶ月後の決断 - 家族との向き合い方

——長崎を経て、いよいよ2024年7月に東京に異動されます。これはどういう経緯だったのですか?
異動の仕方としては、少しユニークだったと思いますね。私自身が、そもそも大阪とか東京とか大都市圏を全く希望していませんでしたから。大都市はどちらかというと異動の希望が多く人気のエリアなんです。
異動が決まる1、2ヶ月前ぐらいに九州の責任者と一緒に営業していた時に、「東京とか行きたくない?」と聞かれて、「別にそんなに、MRをするなら九州がいいです」みたいな感じで答えてたんです。
その時に、実は営業以外の部署も少し興味があるという話もしていて。「東京は本社にも近いし、働いているメンバーも九州とは全然タイプも違うから、一回出てみるっていうのはすごく大事だと思うよ」いうことをおっしゃっていて。
後々聞くと、人事異動の調整時に東京のポジションに私がアサインされるように動いてくれていたみたいなんです。直属のマネージャーも知らなかったみたいで、「私も東京異動って聞いてびっくりなんだけど」みたいな感じで言われて(笑)。
その時は驚きましたけど、キャリアにとってはプラスになるという判断もあり、すごく前向きなご提案という形でいただいていたので、ありがたいなと思いましたね。
——奥様とのご結婚はこのタイミングだったとお伺いしました。
そうなんです。異動が決まったタイミングで、東京に行くことになったんだけど...という感じで結婚することになりました。妻も仕事してたので、先に東京に自分だけ行って、半年間東京と長崎で別々に暮らしてました。
妻の会社もたまたま長崎と東京に関連部署があったので、異動の相談をしてもらって、少し時間差がありましたが、転職することなく東京で新婚生活をスタートできました。
——人生で初めての東京生活でした。九州と比べていかがでしたか?
「東京、人多いなー!」ってなりましたけど、楽しかったですよ。九州にはないものが東京にはあるので、飽きないなという感じはありました。不便もなかったですし、生活自体は楽しかったですね。
ただ、妻の様子を見ていると、東京に来て通勤の環境とか、仕事も同じ会社とはいえ長崎と比べると働くカルチャーや人が違うので会社の雰囲気もガラッと変わっていたようです。
東京に来てから、帰る時間がこれまでよりも遅くなったり、疲労はあったと思います。2人でご飯食べた後に、妻が食事後にソファーで寝てしまっている姿を見て、「家族としてもっといい過ごし方とか、形があるんじゃないかな」みたいなことは感じていましたね。
——東京への異動がきっかけとなって、本格的に転職を考え始められたんですね。
妻とも「今は大丈夫だけど、ずっとこの生活は厳しいかもしれないね」という話をしてました。仕事と家庭のバランスにおける理想のカタチをイメージした時に、率直に難しいだろうなと思ったところはありますね。
東京に来て、心配まではないですけど、漠然と「今後どうしたらいいかな」みたいな感じの思いがあって、いつかは九州に戻りたいなっていうのはありました。
もともと全国転勤ということで覚悟はありましたが、実際大都市で生活すると色々なことが見えてきます。では、どういう仕事だったら自分は九州で働けるのかなと。
MRって少し特殊だと思っていて、営業だけど他の業界からみると営業職に見えない。自分のこれまでの経験が製薬業界以外の企業で活かせるのかなとか。
——情報収集される中で、YOUTURNに登録されたのが、東京に異動された2ヶ月後でした。
最初は登録だけで、一度面談させてもらったんですけど。情報収集として、色々と話を聞かせてもらいました。その後しばらく経って、具体的に転職活動始めようかなと思って、企業の面接に行ったんです。
そうしたら、その面接官の方から「福岡への移住転職ならYOUTURNさんに相談してみたら?」と言われまして。そういえば、以前登録したなと思い出したんです(笑)。そして、代表の高尾さんと面談をさせてもらったという流れになります。
——YOUTURNとの面談で印象的だったことはありますか?
私の仕事や仕事観に対して、軸とか考え方とかを与えてもらった気がします。よくある「求人ベース」で会話することはなくて、求職者の目線に立って「こういう仕事が向いているかもしれない」という仮説をぶつけてくれたのがありがたかったですね。
なので、高尾さんとの初回面談は求人の話とか全然していなくて、2回目の面談を私からお願いしたくらいでした。営業っぽいガツガツした感じが全然なくて、逆に「もしかしたら私自身が移住への気持ちの整理ができてないと思われたのかな」と不安になってしまったほどです(笑)。
安定や待遇よりも「自分らしさ」を選ぶ - beadsへの入社を決めた理由

——具体的に企業との選考や転職活動自体はどのように進められたのですか?
YOUTURN経由ではbeadsを含めて、幾つかの企業をご紹介いただきました。他のエージェント経由で、東京本社の損保会社を受けていて、内定をもらっていたんです。
最終的に、beadsと損保の2社で迷ってた時に考えていたことは、「5年後/10年後に自分がどうなってるか」ということでした。それを想像した時に、beadsのほうが全然想像つかなかったんですよね。
「普通は」そっち選ばないと思うんですけど(笑)、想像つかないほうが人生って面白いんじゃないかなって思ったんです。
あと直感的に、beadsのミッションや事業内容をみて、これから大きくなるだろうなと感じたことも大きいですね。代表の山﨑とも話して、未経験だけどなんとかできそうだなって思えたことも重要でした。
最後に、「人生一度きり、限られた時間を使うんだったらどっちだろう」って考えた時に、beadsに使いたいと思ったんです。
——ご家族との話し合いはどのように進められたのですか?
転職活動を始めるタイミングからずっと、妻には全部話をしていました。妻も地元である九州に戻りたいということで、考えが2人とも一緒だったんで、あとはどのタイミングで動くかという話だけだったので。
私の場合は、「もう決めたんだったら早く動いた方がいいよね」というタイプです。一方、妻からすると、今年の1月に東京に異動して、来たと思ったら急に夫が転職活動を始めたみたいな感じで、「ちょっと待ってよ...」という感じではありました(笑)。
そこで妻とも時間をかけて、じっくり話をしました。今の生活をずっと続けるのは難しいよねっていう話もありましたし、「例えばこのまま東京で続けたとしても、全国転勤で次にどこに行くかもわからないよね」と。
——パートナーとどのような話をしていくべきか悩まれている移住検討者もすごく多いです。岩橋さんは、奥様も一緒に企業の会社説明なども聞いていたと。
そうです。YOUTURNが開催してくれたbeadsの座談会もオンラインだったので、隣で妻もほかのことをしながらなんとなく聞いてるんですよね。他の企業についてもオンラインで説明会があった場合には、大体横に座って一緒に聞いてました。
——最終的にbeadsへの転職を決断する後押しになったことは何だったのでしょうか?
妻から「beadsに転職する方が、あなたらしいんじゃない」みたいな感じで言ってくれて。「どこでやっても多分大丈夫だから、やりたい方にチャレンジしたら?」と。
「もし仕事や会社が難しい状況になったら、私も頑張って働くから」ということまで話してくれて、なんかこう、引っかかってたものを取ってくれた言葉だったので、本当にありがたいなと思いました。家族の理解がないとこの決断はできなかったと感じていますね。
——移住決断から転職、入社まで非常に早かったですね。長く勤められた現職へ後ろ髪を引かれる思いなどはなかったですか?
私の中では入社を決めたら、仕事のスタートは早ければ早い方がいいなという思いがあって、前職へのそういった気持ちはあまりなかったです。もちろん前職の上司や同僚は大好きな人がたくさんいて、すごく居心地も良かったんですけど。
退職を決めて報告した際には、ありがたいことに皆さんからすごく応援してもらいました。「決断できたことがすごいね」という感じで、キャリアに悩んでる人も多いのかなとも思いましたね。
九州支社の方々からは、九州に戻ってくるというので、そこでワントーン上がって、すぐに「また飲みに行こうよ!」みたいな感じでした。また再会できるのが楽しみです。
移住転職を検討する人へ - 一人で悩まず、周りと話すことの大切さ

——入社されて2ヶ月経ちますが、現在はbeadsでどのようなお仕事をされていますか?
基本的に毎日外回りをしていますね。当社のホスピス住宅への入居者を増やすための営業活動や地域医療機関との連携活動に従事しています。また入居希望者の見学対応や入居調整なども行っています。
朝と夕方は事務作業をして、お昼前からはずっと外出しています。この後も、医療機関や行政サービスをまわる予定です。
——最後に、これから移住転職を検討している方にメッセージをお願いします。
まずは話を聞いてくれる人がいるのであれば、友人でも同僚でも、家族でも。もちろんYOUTURNさんでも(笑)。まずは人に話してみるというのは意外と大事ではないかなと思います。
あとは言葉にするのは簡単ですが...「決断する」ということだと思います。移住するのも選択だし、大都市に残ることも選択で優劣はないはずです。でもそこに今の自分として納得感が持てるかとか、その辺りを深く自問自答してみるのはすごくいいのかなと思いました。
今回のU・Iターン転職においては、すごくご縁がつながっていって今の会社にたどり着いた気がしているんです。自ら行動していくことで、視野が広くなることもあると思うので、アクションした上で、最終的に転職や、移住する/しないは決めてもいいのかなと思いますね。
あとはパートナーや家族がいらっしゃるのであれば、勇気を出して話してみることは大事です。私の場合は、最終的な決断の後押しも妻の一言でしたから。一人で悩まず、まずは色々な人と話すことはすごく大事かなと思いますね。
編集後記
今回のインタビューを通して、最も印象的だったのは「人生は、『分からない』方が面白い」という言葉でした。
安定した大手企業と、beadsというスタートアップ。多くの人が前者を選ぶであろう状況で、岩橋さんは後者を選びました。その理由は「5年後10年後が想像できないから」。
この逆説的な選択基準こそが、ご本人のキャリア観を象徴しているように感じますし、一貫して「困っている人を助けたい」「自分で考えて行動したい」という軸がありました。
MRとして地域医療に貢献し、先生方や患者さんと向き合ってきた10年間。その経験は、ホスピス住宅という新たなフィールドでも必ず活きるはずです。
東京異動からわずか1年での決断。一見チャレンジングに見えるかもしれませんが、ご本人は冷静に状況を分析し、家族と向き合い、自分の価値観に忠実に選択しました。「自分で考えて行動する」という原理原則が、この決断にも表れています。
「一人で悩まず、いろんな人と話すことが大事」という岩橋さんの言葉は、多くの移住転職検討者への大きなメッセージです。
不確実性の高い選択を恐れず、むしろそこに面白さを見出す。岩橋さんの新たな挑戦は、まだ始まったばかりです。ホスピス住宅という社会的意義の高い事業で、どんな価値を生み出していくのか。これからの活躍に期待したいと思います。