「自分の武器をつくる」決意を胸に。大手総合電機メーカーを退職し、福岡で見つけた新たな道
大手総合電機メーカーで7年間、プロジェクトマネージャーとして働いてきた小林さん。大規模な社会インフラシステムに関わり、多くのステークホルダーと調整しながらプロジェクトを推進する日々。傍目には順調なキャリアに見えたかもしれません。
しかし、小林さんの胸の内には「確固たる武器がない」という焦燥感がありました。このままでは埋もれていく——そんな危機感が、福岡への移住という大きな決断へと背中を押しました。
2025年、東京での安定したキャリアを手放し、地元・福岡へ。FCCテクノという新しいフィールドで、PM/コンサルタントとしての挑戦が始まりました。
「直感でここだと思った」という小林さんが語る、転職と移住の決断、そして新しいキャリアへの挑戦に迫ります。
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大手総合電機メーカーでPMとして7年 - ステークホルダー調整の難しさ

——小林さんは大学院修了後、大手総合電機メーカーに入社されました。どのような経緯だったのですか?
大学の専攻が広い括りだと土木系だったので、就職活動では土木系や建設系、水処理関連の電機メーカーなど、割と幅広く受けていました。
最終的には学校推薦で大手総合電機メーカーから内定をいただき、そこに縁があるんだろうという思いで入社を決めました。
今思えば自身の専攻の延長線で会社を見ているだけで、あまり会社を選ぶ「軸」を持っていなかったなとも思います。
入社後は東京の技術営業部隊に配属されましたが、まず2年間は研修として茨城の工場の電気設計部隊に仮配属されました。
その後は東京の配属部署に戻り、本格的に社会インフラシステムのプロジェクトマネジメントに携わることになります。
——PM(プロジェクトマネージャー)としてのお仕事は、具体的にどのようなものでしたか?
私の所属部署は、防災情報や交通・港湾監視のような社会的に影響のある情報インフラシステムを受注していました。
主な役割はSEとお客様の間に入って橋渡しをするのはもちろん、規模が大きくなると様々なベンダーや他社を巻き込みながら、システム開発全体の旗振り役を担うことでした。
私自身はシステム開発の経験、知識は全くなかったのですが、プロジェクトの頭として全体を推進しつつ、途中のプロセスで必ず出現する沢山の障壁をなんとかしなければならない立場でした。
——仕事のやりがいを感じることはありましたか?
社会人のスタートとして、仕事の進め方や様々な立場の方とのコミュニケーション方法など学ぶことはたくさんありました。
ただ当時を思い出すと、やりがいというよりも人を動かすことの難しさや苦しさを感じることの方が多かったです。
当然ですが、色々な方と関わっているとそれぞれ思いがありますよね。それを一つの方向にまとめるというのは、なかなか骨が折れる。
しかも、それを入社して3、4年の20代が担うわけですから、まぁ...足元を見られることもありました(笑)。
——想像するだけでハードな環境に感じます。どのようなところが特に苦しかったのですか?
私はどちらかというと、人それぞれの思いを考えながら、なるべく思いに沿えるような形で会話するというコミュニケーションが好きなんです。お互いに気持ちよくやりたいという思いがあって。
でも実際の現場では、どこかのタイミングで割り切ってやらなきゃいけない仕事がやっぱり多くて。どちらかには何かを諦めてもらったり一方に全振りしたり、時には全く違う方向に持っていくという場面がほとんどでした。
いま考えれば当然の話なんですけど、経験が全くない当時の自分はそれが性格的に苦しかったんです。しかも、技術的な経験も浅いので何を話しているのか分からないことも多い。
だから「ある程度こうやったらうまくいくだろうな」とか「こうすればある程度の人の思いを何とか乗せてできるだろうな」といった勘どころも分からない。
PMってそういう判断ポイントをテンポよく掴んで、舵取りしていかないとできないと思うんですけど、当時の自分はそういった難しさと挫折を抱えながらやっていた記憶があります。
——年数が経つにつれて、変化はありましたか?
難しいとはいいながらも、当初の頃は仕事そのものの新鮮さもあって割と淡々とできていたんですが、年数が増えてくると、慣れるというよりは、それがかなり重くのしかかってくるというか、どんどん苦しくなってきた感覚もありました。
ちょうど5年目くらいのタイミングで、プロジェクト状況とか自分の体調面とかで色々な悪い条件が重なったことがありました。
それが、自分が今後どうしていくべきかとか、そもそも論で自分は仕事についてどういう考え方をしていて、どういう方向に向かいたいんだろう?を考える、一番最初のきっかけだったと思います。
「確固たる武器がない」という焦燥感 - 転職を決意した理由

——転職を考え始めたのは、いつ頃だったのですか?
本格的に転職を考えたのは、2025年の年明けくらいです。
ちょうどその時、建設工事が絡むプロジェクトを通年で担当していて、責任者として自分の裁量でシステム導入の段取りや現場工事のスケジュールを全部動かしているという感じでした。
おそらくそれまでの仕事の中で、自分がうまくプロジェクトを回してるなっていう充実感は一番あって、充実した時間だったと思います。
——充実感があったのに、なぜ転職を考えたのですか?
充実感はあった一方でその時ふと思ったんです。今後、自分がこの部署に居続けることはできるけど、自分の確固たる武器がないと。
もっと言うとシステム構築メンバーや工事メンバーそれぞれのプロフェッショナルな動きを見て、これなら自分に任せてくれって自信持って言えるものがないなと。
このままPMとして、全体の旗振りをして、これから経験を積んでいくというのはもちろん期待されていました。それは理解できたんですけど、あまりその時は自分の中で腹落ちしなかったんです。
別に人と比べているわけではないんですけど、このまま居続けることはできるけど、今後どうしていきたいのかちゃんと考えないと、どんどん埋もれていきそうだなっていう感覚がありました。
——「埋もれていく」というのは、どういう感覚だったのですか?
実は、私の同世代や少し上くらいの世代の人たちと、あまり関わる機会がなかったんです。入社して工場で研修していた時は、ほぼほぼ定年間際くらいのベテランの課長たちとしか業務をすることがなくて。
東京に戻ってきてからも、そういう年代の人たちとしか関わらない。近い年代の人たちが今どんな感じで動いているのか、そういったのがあまり見えなかったんです。
ただ同期は優秀な人が多かったので、直接何をやっているかは見ていませんが、それぞれ自分で路線引いて着実にステップアップしているんだろうな、と勝手な焦りもあったし。
自分は何を目的にこの仕事をやってるんだろう、みたいな、何物かわからないモヤモヤをずっと感じていたような気がします。
——閉塞感のようなものがあったんですね。
そうですね。それで、本当にやりたいこととかありたい姿、そしてそれを実現する武器を持っていることって大事だなと思いました。
そう思った時、学生時に興味で気象予報士を取得していたこともあり、当時から好きだった「天気」について考えることがあって、たくさんの気象データを元にデータ分析とかやってみようかなと。
ただ色々やってみたものの、これ自体を仕事にするっていうのは、ピンとこなかったです。この武器を持ちたいと思ってやったことが、果たして社会や誰かに響くんだろうかって。
ただ、分析という新たなチャレンジをやってみた中で、少なくとも今居る環境は変えたい、ぶっちゃけ仕事から一定期間離れてでも自分と対話する時間は必要だな、と直感で感じました。
——そこで転職を決意されたんですね。
はい。環境を変えようと思った時に、選択肢として東京に居続けることは考えられなかったです。いずれは帰りたいな...とぼんやり考えていた地元の福岡しかないなと思いました。
福岡移住を決めた理由 - 家族・両親への相談が最後の壁

——福岡に帰るという選択肢は、いつ頃から考えていたのですか?
私の場合は一人っ子ですし、いずれはどこかで福岡に帰るんだろうなと。でも具体的に何歳までにというイメージはありませんでした。
一方で、一回東京に行ってしまうと、そっちで生活基盤もできて、なんだかんだ帰れなくなるんだろうなとも思っていました。
実は半分はもう諦めていたというか、大学に行く時に九州を出た時点で、就職も関東の方になりそうだなって。「いずれ帰りたいけど、でも無理だろうな」っていう思いで東京に行ったんです。
——それが、実際に帰る決断をされたわけですね。
そうですね。当時抱えていたモヤモヤを何とか払拭したいという思いがあった時に、転職という選択肢は自然に受け入れられましたし、自分の仕事に対する考え方も変えないといけないのかなとも思いました。
実際、私はいろいろ物事を悲観的に考えてしまう傾向がある人で...それは自分でも分かっていたんです。
転職で環境を変えることと、自分の仕事に対する考え方とどのように向き合い、受け入れていくべきなのかをセットで考えないと、自分の場合はうまくいかないなと考えました。
話題を2つ言っちゃいましたが、まず環境を変えようと思った時の選択肢として、物理的には地元しかないなと思ったんです。
——もしその際に移住を「諦める」可能性があったとしたら、何を考えますか?
一般的なデメリットとして、東京と比べて経済規模が小さいので基本的に年収が下がるとか、いろいろ条件面が魅力的に映らなくて、移住に対する諦めがつくような要素はたくさんあると思うんです。
でも自分にとってそれらが移住を諦める要素かっていうと、あまりそういうのを感じなかった。そういうものとして受け入れられたんです。
——非常に珍しいように感じます。では、迷いはなかった?
いえ、実は一番迷ったというか緊張したのは、両親に相談する時ですね。
自分もある程度大人なので、別に親がどう言おうがっていうのはあるのですが、一方で私の親世代では基本的に転職はあまり経験していないと思うんです。
母はいつも冗談半分ぐらいで「きつかったら福岡に戻っておいで」みたいな感じで言ってくれていました。父は別にそこまで言わないんですけど、もともと鉄道系で働いていた人で、そういう大企業との付き合いもあって。
やっぱりせっかく入社した大企業を手放すっていうのは、感覚的にはイメージしづらかったと思います。
——ではご両親に相談された時の反応は?
私も不安な中で相談したんですけど、「決めたんだったら、それなりの理由があるんだろう。決めたら、実行しなさい」というような感じで背中を押してくれました。
反対されたわけでもないし、むしろ自分の気持ちを尊重してくれた。もう、迷う要素がないなって。これがタイミングだし、やるなら今しかないと思いました。
実は、妻も九州出身なんです。職場の先輩の紹介で知り合い、結婚したのが2022年なんですけど。
——奥様も帰りたいという気持ちはあったのですか?
帰りたかったかっていうと、元々は九州への強い思いはなかったようですが、福岡に帰るという話をした時に、全然いいよという感じでした。
実家に近くなるという意味では彼女も同じ九州ですし、妻のご両親からも反対もなく「よし、いこう!」という感じでした。
——それで、YOUTURNに登録されたのが2025年3月だったんですね。
はい。YOUTURNと面談させてもらった時に、率直に思ったのは、「自分がやることやれば、絶対転職はできる」という確信を持てたんです。
家族との相談が最後の壁だったので、それがなくなったら、もう行くしかないと。ちょうど仕事のタイミングも良かったので、思い切って転職活動をすぐに始めました。
データサイエンティストからの方向転換 - 3ヶ月の自己対話

——小林さんは転職活動当初、データサイエンティストを目指されていたんですよね。
はい。やはり自分で武器を持ちたいと思って、気象データの分析などを勉強していました。独学でPythonを学んだりもしていました。
——それが方向転換されたきっかけは?
2025年のゴールデンウィーク前後で福岡へ帰省した際に、YOUTURNコミュニティの近藤さん、和田さんに食事に連れて行ってもらったんです。2人ともパワフルで、その迫力に驚かされました(笑)。
話を聞いていると、データサイエンスという領域に焦点を当てて、キャリアを作っていくイメージが湧かなくなっていきました。
その時、様々な話を聞いて、今後AIを中心した世界になっていった時に、データサイエンスの知見があることは無駄ではない。
でも、だからと言って、どこの企業からも引く手あまたになるような状況でもなさそうだと思いました。
このタイミングで気づけたのはすごくありがたかった。わざわざお時間を作っていただいたお二人には本当に感謝しています。
——移住前からYOUTURNのコミュニティメンバーと接点を持っていらっしゃった。そこから方向転換されたんですね。
はい。データサイエンスは面白いし、もちろん大切な仕事や職域ではあるけど、私自身がそれをメインの職業にするという選択肢は捨てました。
じゃあ次の仕事をどうしようかと考えた時に、これまでやってきたように課題がたくさんある中で、それを「何らかの形で一つの方向性や解決策に導くこと」でした。
そういう仕事はやっぱりやりたいな、という気持ちが湧いてきたことに気づきました。
——プロジェクト管理にまた戻ってこられた。世間で言われている「PM」という言葉に対しては、どう思われていましたか?
その時までは、あまり「プロジェクトマネージャー」という言葉も好きではなかったんです。当事者として経験する中で、本当に大変な役回りだし、仕事の中でとにかく板挟みになることが多い。
新卒当時でPMの立ち回りをしていた時は、PMの目的や意味、続けた時の自分の展望を考えずにただやっていた感覚が強かったので、尚更ポジティブなイメージはあまり無かったです。
でも一旦仕事を離れて気づいたんですけど、最終的にいろんな物事を決めていくのってそういう人なんですよね。プロジェクトマネージャー的なことをやっている人が推進して、プロダクトはできている。
専門的な技術を知ることも好きなので、もちろんマネジメントに限らず色々なことを知りたいと思う中で、最終的に物事を決めるのは人だと。
時間が経ってから何となく理解できたこともありますし、今後もそういった力は高めていきたいと思いました。
——2025年6月末に退職されて、10月1日に入社されるまでの3ヶ月間は、どう過ごされていたのですか?
簡単にいうと、とにかく内省をしていました。自分を見つめる時間です。
新卒で入社してから退職に至るまで、どんな思いで過ごしてきて、今抱えているモヤモヤが何者で、どうしたら払拭できるのか。
そして今後は自分がどうありたいのか。このタイミングでしっかり振り返ろうと考えて、すごく大事な時間でした。
何の仕事をするのかを考えるのはもちろんですが、それとは別軸で自分がどういう気持ちで、どういう考え方をしていけば、もうちょっと気分よく、気楽に生きられるようになるのか——そういうこともいろいろ考えました。
——素晴らしい時間の使い方でしたね。きっと大切なものが見えたことでしょう。
はい、そのおかげで、今は結構気持ちが楽で楽しく過ごせています。とはいえ全く新しい環境、仕事を始めたところなので、やはり考え過ぎてしまう時も多少あるんですけど。
FCCテクノに転職して環境を変えたことで、自分にいい影響を与えているのは間違いないなと思います。
FCCテクノとの出会い、そしてコンサルへの挑戦

——FCCテクノとの出会いは、どのようなものでしたか?
仕事内容も大事ですが、転職活動の時に大切にしたのは、自分をちょっと顧みるというか、俯瞰して見るということだったんです。
西村さんたちとお話をした時に、会社のカラーとして、2021年に役員陣が変わって、働くメンバー1人1人が「自分自身を大切にする」ということも重視していると。
今後の人生のこと、キャリアのこと、いろいろ考えてる中で、「自分自身について考える時間も大切にしていこうね」っていうメッセージをちょっと受け取ったような感じがしました。
私が今抱いていること、考えていることに合致しているなっていうのは率直に思いました。だから直感的に合いそうだなという感覚はありました。
——選考はどのように進んだのですか?
面接っていうよりは面談でもなく、怒られちゃうかもしれないですが...雑談会みたいな感じでした(笑)。お互いのことをざっくばらんに話して、理解を深めようという感じで話が進んでいきました。
不思議だったのが、和やかな雰囲気とはいえど、多少いいように話したりしちゃうと思うんですけど、私自身本当にそういうの一切なくて。
思っていることをざっくばらんに話せたのがすごく印象的でしたね。
——他の企業も見られましたか?
何社か情報をいただいたり面談させていただいたところはあったのですが、もう直感的に「ここだな」と思いました。
もちろんもっとたくさんの企業を見て、いろいろ選択肢を作ることはできると思うのですが、最終的には直感でした。うーん...説明できないですよね、良いものは良かったという感じです(笑)。
——率直に、年収などの条件面はいかがでしたか?
もちろん、ある程度年収が下がることについては覚悟をしていました。一方で現実的には、これくらいもらえたら嬉しいなという気持ちは正直ありました。
実際に提示された時には、気持ちにも揺らぎはあったのですが、この金額をどうアップさせていくかはもう自分次第だなと腹を括りました。
やっぱり福岡のちょっとした地方感というか、それが自分の性に合っているんです。東京に住んでいると、建物も高いし、人も多いし、スペースがない。いろんなことに圧迫されている感覚がありました。
この感覚は自分が感じた印象でしかないし、実際は東京もいいところは多くあると思うんですけど、今はやっぱり環境を変えて正解だったと思います。
——入社されて、実際に働いてみていかがですか?
入社後間も無く、色々なプロジェクトに関わることができていて、前職では何とかいい感じに業務を処理しよう、という感じだったんですが、FCCテクノはすごく皆さんが私のことを見てくれているんです。
お互い大変かもしれないけど、一緒に頑張ろうという気持ちがすごく伝わる。入社して早速考え込んじゃうシーンもあったんですけど、本当に皆さんによく声をかけていただいて…中途で入社した私にとっては、とても助かっています。
——現在はどのようなプロジェクトに参画しているのですか?
今は建設資材レンタル業を営んでいる企業の営業支援プロジェクトで、営業活動の活性化支援など1からプランニングしています。
コンサルという仕事自体初めてで、キャッチアップが大変ですが、FCCの先輩である仲田さんと2人で、本当に生まれたばかりのプロジェクトを一緒に進めさせてもらっています。
——YOUTURNコミュニティの先輩がここでも一緒に。
本当にたくさんの方に助けていただいていますね。やっぱり仲田さんから出てくる答えを聞くと、「そういう考え方、確かにあるな。
自分はまだまだ全然考えられてないな」って、悔しい思いをしながらしがみついてやっています。
——悔しさをバネに、日々新しいチャレンジをされているんですね。
せっかく経営の一部に関わらせてもらっているので、お客様先の従業員になったつもりで、色々と学んでいきたいと思います。
でも今は、1個ずつレベル上がっていけばいいかな、ぐらいの感覚でやろうと思っています。あまり気を張らずに、目の前の課題をクリアしていくことに集中しています。
——最後に、これから移住転職を検討している方にメッセージをお願いします。
転職活動における最終意思決定の中で、「この会社なら後悔はしないだろうな」と思えたことが大きかったです。
移住に関しては、一般的なデメリットはたくさんあると思います。でも、それが本当に諦める要素なのかどうか、自分の中でしっかり考えることが大切だと思います。
私の場合は、家族・両親に相談することが一番の壁でした。でも、そこをクリアしたら、もう迷う要素はなかった。
人それぞれ壁は違うと思いますが、その壁が本当に越えられないものなのか、一度立ち止まって考えてみるといいかもしれません。
あとは、直感を信じることも大切だと思います。説明できないけど「これだな」と思える感覚——それを大事にしてほしいですね。
編集後記
今回の小林さんのインタビューで最も印象的だったのは、「確固たる武器がない」という言葉でした。
大手総合電機メーカーで7年間、PMとして社会インフラシステムに関わり、多くのステークホルダーを調整しながらプロジェクトを推進してきた小林さん。
傍目には順調なキャリアに見えたはずです。しかし本人の胸の内には、「このままでは埋もれていく」という焦燥感がありました。
興味深いのは、小林さんが「データサイエンティスト」という武器を手に入れようとしたものの、福岡で出会ったYOUTURNコミュニティのメンバーとの対話を通じて、「それをメインの仕事にする必要はない」と方向転換したことです。
この柔軟さ、トライアンドエラーを恐れない姿勢こそが、小林さんの最大の武器なのかもしれません。
もう一つ印象的だったのは、「両親への相談が最後の壁だった」というエピソードです。移住転職において、家族の理解を得ることがいかに重要か。
そして、その壁を越えた時の小林さんの行動の早さ——6月末退職、10月1日入社という決断の速さが、すべてを物語っています。
退職から入社までの3ヶ月間を、小林さんは「すごく大事な時間だった」と振り返ります。仕事のことだけでなく、自分自身のことを見つめ直し、「どうすればもっと気楽に生きられるか」を考えた時間。
この自己対話の時間が、FCCテクノでの新しい挑戦を支えているのでしょう。