「30代のうちに動けてよかった」——キャリアブレイクを経て、福岡で選び直したエンジニアの道
「中途半端になるくらいだったら、一回スパッと辞めよう」
関東で15年にわたりエンジニアとしてのキャリアを積んできた伊藤さんは、家族のこと、暮らしのこと、そして仕事のこと。抱えるものが積み重なる中で、中途半端に続けるより先に「手放す道」を選びました。
一つずつ整理してから踏み出すという決断が、福岡での再スタートをどう支えたのか。
YOUTURNとの出会い、Fusicを選んだ理由、そして仕事に集中できる状態を取り戻すまでの道のりについてお話を伺いました。
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30歳で外の世界へ。見えてきた自分の強み

——まず、これまでのキャリアについて教えてください。
もともと広島の大学で情報工学を専攻していました。
IT業界に進むなら一度は関東で働いてみたいという思いがあり、1社目は独立系のSIerに就職しました。
30歳くらいを境に、新しいことに挑戦したいという気持ちが出てきました。
大学時代にネットワークを専攻していたこともあって、通信系のサーバーインフラの仕事をしたいと思い、外資系の通信インフラベンダーへ転職したのが2社目です。
そこで3年ほどサーバー構築などに携わった後、今度は自社製品をつくる仕事に興味を持つようになりました。
大学の先輩のつながりで国内大手のITプラットフォーム企業を紹介してもらい、リファラルで入社したのが3社目です。
——エンジニアとして15年ほど経験を積まれてきた中で、ご自身の強みはどのように捉えていますか。
何か一つの専門性に特化するというより、幅広い領域に対応することが得意だと感じています。
強いていうのであれば、インフラ部分を強みとしてはいますが、専門性を深く追求するタイプというより、エンジニアとしての守備範囲を広く持ち、さまざまな課題に柔軟に対応できることを大切にしてきました。
15年間やってきて、そうしたスタイルが自分の強みになったと感じています。
——30歳で初めて転職された時は、やはり大きな節目だったのでしょうか。
そうですね。30歳の節目は大きかったと思います。
ずっと大手企業で働いていたのですが、このままでいいのかなという気持ちもありました。
転職した方の話を聞くと、「隣の芝生は青く見える」ではないですが、体力があるうちにチャレンジしてみようと思ったんです。
「いつか戻る」が、現実の選択肢になるまで

——福岡への移住転職を意識し始めたのはいつ頃ですか。
意識し始めたのは35歳くらいの頃です。その頃、家族が体調を崩しまして、会社にも迷惑をかけながら、2ヶ月に1回は山口へ帰る生活が、3年ほど続きました。
——当時はかなり大変な状況だったのではないでしょうか。
かなり大変でした。いろいろなことを考え続けてしまい、夜もなかなか眠れない日が続いていました。
その当時は部署異動も重なり、新しい業務を一から覚え直すタイミング。
一方で、地元に近い場所へ戻るという決意は固めつつあったものの、仕事と今後の人生とのバランスについて、なかなか気持ちの整理がつきませんでした。
自身の中でも限界が来てしまい、そこで一度仕事に区切りをつけ、山口へ戻ることを決めました。
その後は、家業を整理したり、両親の家計を整えたりと、実家のことに向き合う4ヶ月を過ごしました。
——仕事を辞めて、実家の整理をして、その後に転職活動をする。かなり意思を持って進めないと難しいことのように感じます。
自分で決断したというより、状況に背中を押されたという感覚ですね。
ただ、動き始めると結構スルスルと動いていき、目の前のことに自然と向き合えたように思います。
「一回スパッと辞めよう」手放すことで見えた次の一歩

——今回の移住転職で、一番迷ったことや怖かったことはありますか。
怖かったことは、あまり記憶にないですね。
おそらく、先に会社を辞めていたことが大きいと思います。
会社にい続けながら転職活動をして、内定が出たら今の仕事を手放すかどうか考える、という形だったら、もっと迷いはあったかもしれません。
私の場合は、先に手放していたので、「次はどこで頑張るか」という気持ちで移住転職に臨めました。
あとは、良いご縁があれば、その環境で新しく挑戦しようという感覚でした。
——移住転職は、働きながら進めるのが一般的には安全とされます。一方で、伊藤さんの場合は一度仕事を離れたことがよかったのですね。
そうですね。昨今、「キャリアブレイク」という言葉もありますよね。
仕事を休職したり辞めたりして、リフレッシュして、また就職するという考え方です。
仕事を続けながらだと、家業の整理もできず、悶々と働き続けることになっていたと思います。
Fusicを選んだ決め手は、人と成長環境。福岡でも挑戦を続けられる場所へ

——福岡で転職活動を進める中で、最終的にFusicを選ばれました。決め手は何だったのでしょうか。
一番は、人がいいなと思ったことです。面接の中で会社の雰囲気がすごく伝わってきました。
Fusicの選考は少しユニークで、現場の方、部門長の方、メンバーの方など、最終面接も6、7人くらいの方とお話しする機会がありました。
面接を通して、いろいろな立場の方と話すことができた分、入社後のギャップはあまりなかったです。
もう一つは、上場したばかりで成長し続けている会社だという点です。
その勢いにも、大きな魅力を感じていました。
——Fusicに入社されてからは、どのようなお仕事をされているかお聞かせください。
地域活性化のためのプラットフォームの開発と運用に携わっています。
地域経済を支えるアプリシステムで、福岡の企業に転職して地域に直接関われているのは、移住転職ならではの面白さです。
特に希望を出したわけではないのですが、スマートフォンアプリの知見があったのでそこに配属されたのかなと思っています。
——これまでの会社と比べて、Fusicの働き方や環境はいかがですか。
自立性は結構求められると思います。
自由で柔軟性は高いのですが、その分、自己管理が必要です。
上からの指示を待つというより、みんなで考えて動く。そういう会社ですね。
キャリアの中では2社目の外資系インフラベンダーに近い雰囲気だったので、大きなギャップはありませんでした。
新しい環境にもすぐに馴染めました。プロジェクト内で年齢が高い方ではあるのですが、分からないことがあれば気軽にチャットで聞けますし、皆さん親切に答えてくれます。
それにすごく感謝しています。
——福岡で、これからどんなエンジニアになっていきたいですか。
「誠実に仕事をする」、というところは大事にしたいです。
福岡はITが盛んな都市の一つだと思いますし、ここを拠点に全国に価値を提供できればと思います。
Fusicは九州や福岡だけに留まらず、全国規模でさまざまな仕事を手がけています。
それもFusicを選んだ理由の一つでしたし、この環境でこれからどんな仕事ができるか、楽しみにしています。
思いを言葉にすることで、現実が動き出した

——YOUTURNを最初に知ったきっかけは何でしたか。
Facebook広告だったか、検索だったかははっきり覚えていないのですが、
「福岡移住に強い転職エージェント」のように調べた時にYOUTURNが出てきました。
見た時に、いいなと思い登録しました。
——他の転職エージェントも利用されていたのでしょうか。
30代で転職した時に、転職エージェントを2つくらい使ったことがありました。
ただ、どっちつかずでうまくいかなかった経験もあったので、今回は一つのエージェントに絞って進めようと思いました。
やり取りをしながら、YOUTURNでやっていこうと落ち着いていった感じです。
——YOUTURNのサポートで印象に残っていることはありますか。
サポートをしてくださった津金さんには、大変感謝しております。
キャリアの棚卸しや職務経歴書の作成にあたって、「一緒に作業しませんか」とオンラインでつないで黙々と取り組む時間を作ってもらったり、会社を辞めた後も「今どうですか」と気軽にLINEで連絡をもらったり。
そうしたやり取りの中で、自分が今後何をしていきたいのかも見えてきました。
正直、無料でいいのかなと思うくらいの手厚さでした。
また、移住後のコミュニティがあることも、YOUTURNを選ぶ決め手の一つでした。
津金さんからも、「移住した後に孤独を感じることもある」とアドバイスをいただいており、福岡に知人がいないわけではないですが、移住者同士で話せる場があるのは心強いものがありました。
——福岡に来てよかったと感じる瞬間はありますか。
月並みですが、やっぱり食べ物はおいしいですね。
そして、街全体に活気があります。楽しそうにしている方も多い印象です。
また、東京にいた頃は通勤時間帯などに慌ただしさを感じることが多かったのですが、福岡では程よく都会でありながら、時間の流れに少し余裕がある気がします。
その雰囲気が自分には良いのかもしれません。
——最後に、移住転職を考えている方へアドバイスをお願いします。
まずは、自分の思いや考えを周りに話し始めることかなと思います。
言葉にしていくことで、自分の中でも少しずつ現実になっていった気がします。
あとは、区切りをつけること。私の場合は40歳を一つの目処にしていました。
おそらく40歳を超えて関東にいたら、ずっと関東にいたと思いますね。
30代のうちに持ち続けていた違和感が、動く力になったのでしょう。
移住転職は、日常の仕事をしながら進めるには、かなりパワーが必要なので、一つずつ心配事が消えていったことで、今は仕事に集中できています。
編集後記
手放すことは、立ち止まることではなかった
伊藤さんのお話を伺っていて印象的だったのは、移住転職が「働く場所を変える」だけの話ではなかったことです。
ご家族の体調、家業の整理、部署異動、そして関東での生活への違和感。
いくつもの出来事が重なり、関東で働き続けながら考え続けるには、あまりにも抱えるものが多かったのだと思います。
だからこそ、「中途半端になるくらいだったら、一回スパッと辞めようと思った」という言葉には、単なる退職ではなく、自分の人生を立て直すための決断としての重みがありました。
移住転職は、単に働く場所を変えるだけではありません。
家族のこと、暮らしのこと、そしてこれからの働き方を含めて、自分の人生としてキャリアを選び直すこと。
伊藤さんの歩みは、その大切さを静かに教えてくれます。