「納得」は全てに優先する――医薬品研究12年から新規事業開発へ。夫婦で走り抜けた、福岡へのUターン転職

私の移住転職ストーリー
10/16/2026 更新

「納得は全てに優先する」

仕事にも、大阪での暮らしにも、不満はない。

転機は、家族で福岡へ帰省した帰りの新幹線で訪れました。ご主人がふいにこぼした「帰ろうか」の一言から、清水さん一家の半年間が動き始めます。

自分のキャリアも大切にしながら、子育てと両立できる働き方はできないだろうか。

そう考えていた清水さんが福岡で出会ったのが、株式会社フォレストホールディングスです。

任されたのは、医療分野の新規事業開発。12年間の研究・臨床開発の経験が、思いがけない形でつながる仕事でした。

夫婦二人の転職、住まい、子どもたちの新生活。いくつもの決断をどのように重ね、納得できる移住へたどり着いたのか。お話を伺いました。

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「本当に体に良いものをつくりたい」――研究者としての原点

——まず、研究者を目指した原点から聞かせてください。

大学では生命科学を学び、大学院修了後に関西のメーカーへ研究職として入社しました。

昔から「本当に体に良いものって何だろう」という疑問があって。

生命科学を選んだのも、それが原点でした。化粧品や食品など、人の体に関わるものを、自分がつくる側に回ってみたいと思っていました。

——就職先を選ぶうえで、何が決め手になりましたか。

研究職としていくつかの会社を受けました。

最終的に残った会社を比べたとき、最も真剣に研究に向き合っている印象を受けたのが、その会社でした。「真面目な研究職の匂いがする」というか。

ここなら研究に真摯に取り組めそうだと思って、入社を決めました。

——入社後の歩みも教えてください。

最初の配属は医薬品の研究部門で、細胞を使った試験を担当しました。次は、医薬品の製造ラインで起きた不具合の原因を、研究の視点から突き止める仕事です。

その後、大学で微生物を研究していた経験から、4カ月ほどアメリカの大学の研究室へ行かせてもらいました。

帰国後は約5年間、微生物の基礎研究に取り組みました。評価方法を組み立て、有効な成分を探していく仕事です。研究を進めるなかで、テーマ設定から評価方法の構築まで、研究開発の基礎を幅広く経験することができました。

——基礎研究に約5年携わったあと、仕事はどう変わりましたか。

微生物の研究を後任に引き継げそうなタイミングで、再び医薬品の部門へ移りました。

そこで担当したのが、医療用医薬品の臨床開発です。治験に携わるのは、チームにとっても初めての取り組みだったので、みんなで必死に一つずつつくり上げていきました。

——研究対象も、仕事の進め方も大きく変わりました。ご自身の専門性については、どう捉えていましたか。

新しい仕事へのチャレンジにもためらいはなく、一つずつ覚えていくのは面白かったです。

ただ、何か課題を与えられたらなんとかする自信はあっても、「自分の専門は何だろう」と考えることはありました。

でも今振り返ると、一つの専門性を突き詰めたというより、微生物の研究と臨床開発の両方を経験したことで、それぞれの領域を理解する土台ができたのかなと思います。

仕事にも、大阪での暮らしにも不満はなかった。それでも福岡を選んだ理由

——それまでは、転職を考えたことは?

いいえ。

移住がなければ、転職はしていなかったかもしれません。それまで転職活動の経験もなく、仕事にはずっとやりがいを感じていましたし。

育休という、ほどよいインターバルもあり、担当する領域も少しずつ変わっていく。いつも新鮮な気持ちで仕事に向き合える環境でした。

——仕事にやりがいを感じながら、なぜ移住を考えたのでしょう。

夫は石川、私は福岡の出身です。

前職の同期として大阪で出会い、そのまま大阪で暮らしてきました。そこに住んでいた一番の理由は、仕事があるから。

でも2人とも、どこかで「このままずっと大阪なのかな」という疑問は持っていました。

——その思いが具体的な検討へ変わったきっかけは、何だったのでしょうか。

夫のほうに転勤の話がときどき出るようになり、「そろそろ本当にあるかもしれない」という状態が1年ほど続きました。

もし転勤が決まれば、夫が単身赴任するか、家族で転勤先についていくか、夫が大阪でもう一度転職するか。

でも、家族が離れて暮らす選択肢は私たちにはありませんでした。

知らない土地へ転勤で行くくらいなら、先に自分たちにゆかりのある土地を選ぼう、と考えるようになったんです。

——そこから、実際に動き始めるまでを聞かせてください。

私たちは30代後半で、上の子は小学1年生。動くなら今しかないと思っていました。

家族で福岡へ帰省したんです。ちょうど1年前のシルバーウィークでした。

実家のみんなと出かけた旅行が、本当に楽しくて。その余韻が残る帰りの新幹線で、夫がふいに「帰ろうか」と。

その一言で、移住が一気に現実味を帯びました。夫婦ともに転職しようと、そこから話が動き始めたんです。

——移住先は、どのように福岡へ絞ったのでしょう。

2人とも理系のメーカー出身なので、石川と福岡にどんな仕事があるかを調べました。

石川も福岡も候補として考えていましたが、仕事について調べるなかで、福岡のほうが私たち2人のキャリアとの接点を見つけやすそうだと感じていました。

そんなときに見つけたのがYOUTURNです。

福岡の企業との接点ができ、転職活動が具体的に進み始めたこともあり、最終的に福岡への移住を決めました。

夫婦で走り抜けた半年

——今回、ご夫婦ともにYOUTURNを通じて転職されました。活動はどのように進めたのでしょうか。

先に夫がインターネットでYOUTURNを見つけて面談を受け、「面白かったから、話してみたら」と勧められました。

私たちにとって、移住は家族の暮らしと夫婦2人の仕事を同時に動かす大プロジェクトです。

移住は家族のために決断したことだからこそ、子どもたちへの影響はできるだけ小さくしたい。環境が変わるなら進級のタイミングに合わせてあげようと考え、「次の春には移りたい」と期限を決めました。

本格的に転職活動を始めたのは11月末から12月。翌1月には最終の選考へ進み、2人とも2〜3カ月ほどで転職先を決めました。

選考の進行や企業への伝え方など、夫婦の状況に応じて担当の津金さんが陰で綿密に調整を重ねてくださいました。

担当者が別々だったら、ここまでのスピード感で駆け抜けることは難しかったと思います。

——ほかのエージェントとの違いは感じましたか。

ほかのエージェントでは、勤務地や職種などの条件を伝えて、当てはまる求人を紹介してもらう流れでした。

YOUTURNでは、条件の話より先に、新卒からのキャリアや「本当に体に良いものをつくりたい」という原点から聞いてもらえました。

気づいたら、これまでのキャリアや仕事への思いを、夢中で話していました。

——夫婦で走り抜けたこの期間を、今どう振り返りますか。

私の転職先が決まり、その後に夫の仕事、福岡での住まいと、一つずつ決まっていきました。

なかでも1月が一番しんどかったです...。最後は夫婦で「涙、涙の意思決定会議」です(笑)。

「もう後には引けない。でも、本当にこれでいいよね?」って。私は今の仕事にもやりがいを感じていたし、職場の人たちも、大阪での暮らしも好きでした。このままの生活を続けることもできたと思います。

ただ、夫の転勤がいつあってもおかしくない状況だったので、家族の将来を自分たちで主体的に決めるなら今しかないとも感じていました。30代後半というタイミングや子どもの進級のこと、そして夫婦ともに新しい環境への挑戦を前向きに捉えていることも含めて考え、「動くなら今だよね」という結論になりました。

あとで迷ったときにも、「全部考えた。そのうえで、これがベストだった」と言えるように。

とことん話し合って、最後に意識を合わせました。

働き方を優先して出会った、フォレストホールディングス

——清水さん自身は、転職先にどんなことを求めていましたか。

当時は、新しい職種に挑戦したいというよりも、直近で身につけた臨床開発の経験を使って、子育てと両立しやすい働き方ができれば、それもありだと思っていました。

最後まで軸として残ったのは、働き方の自由度でした。

——フォレストホールディングスを紹介されたとき、最初はどのような印象を持ちましたか。

最初は、自分との接点がどこにあるのかよく分かりませんでした。

グループ会社が約40社あり、事業領域も幅広いので、ホームページをくまなく見ても、具体的な仕事のイメージまでは持てませんでした。

一方で、人々の健康に関わる事業を幅広く手がけている会社で、「本当に良いものを人に届けたい」という自分の思いとは重なっていました。

そのため、具体的な業務内容についての理解はこれから深める段階であっても、まずは直接話を聞いてみたいと考えました。

——そこから興味が大きく動いたのは、どんな場面でしたか。

最初のカジュアル面談です。

経営戦略本部の経営企画部長が、スライドを使って、会社や部門が取り組んでいることを丁寧に説明してくださいました。ホームページだけでは輪郭をつかめなかった仕事が、一つずつ具体的に見えてきました。

「おお、できるかもしれない。面白そう」と、一気に視界が開けたような感覚でした。

その場で「この仕事をお願いします」と決められていたわけではありません。

「清水さんのこれまでのキャリアが、グループのどんな取り組みと重なるのか、一緒に考えていきたい」という形でした。経営戦略本部のなかにある部署や仕事を一通り紹介していただいたのですが、私にはどれも面白そうに見えました。

自分の経歴がどこで役立つかはまだ分からなくても、ここなら新しい接点を見つけられるかもしれないと思いました。

——希望する働き方は、選考でどのように伝えましたか。入社後の実感も聞かせてください。

面接では、「子どもがいるので、急な対応が必要になることもあります。その点はご理解いただいたうえで、責任を持って仕事に取り組みたいと思っています」と正直に伝えました。

会社からは、「フレックスも使えるので、相談しながらやりましょう」と。

入社後しばらくは、できるだけ出社しました。

まずは仕事を覚えたかったですし、周囲の方とも直接コミュニケーションを取りながら進めたいと思っていたので。

今は業務にも慣れてきて、自分で優先順位やスケジュールを考えながら仕事を進めています。必要に応じてテレワークやフレックスも活用できるので、子育てとの両立もしやすいと感じています。

新規事業開発で、研究と治験の経験がつながった

——ここからは、現在のお仕事について聞かせてください。

医療分野の新規事業開発です。グループ約40社が持つ強みを使い、10年後の医療に何ができるかを考えています。

クリニックや病院、先生、患者さんに、どんな価値を届けられるのか。医薬品卸の営業担当者が日々医療機関と接している強みを生かし、新しい事業につなげていく仕事です。

私自身もクリニックの先生にヒアリングをしたり、社内の営業担当者に話を聞いたりしています。

さまざまな立場の声を集め、実装に向けて計画を詰めているところです。

——初めての新規事業開発です。最初は戸惑いもあったんじゃないでしょうか。

かなりありました。

前職でも、研究テーマや商品テーマを提案することはありました。そのために市場や顧客ニーズを調べることもありましたが、事業そのものをつくるのは初めてです。

事業開発の経験がある夫に話を聞いたら、「マインドの問題だから!」と言われて。まさかの精神論でした(笑)。

新規事業の本をたくさん渡され、まずは「こういう形で進めるんだ」という型を勉強しました。あとは、やってみるしかないと思って取り組んでいます。

今あるテーマも、まだ生まれたばかりのものから、コンセプトが固まってきたものまで、進み具合はさまざまです。私が主に担当しているのは、骨子ができているもの。

実際に需要があるのか、現場の方にヒアリングしながら、実装するには何が必要かを考えています。

——入社から4カ月。少しずつ手応えも見えてきましたか。

実は、新規事業開発って、治験と少し似ているところがあるなと思ったんです。

治験では、どこの医療機関で行うか、いつ、どのように薬を使うかなど、多くのことを関係者と調整しながら決めていきます。

細かな手順を決め、承認を取り、記録として残していく。決めることも、用意する書類も本当にたくさんあります。

患者さんがその日に来て、困ることがないように。

そこまで準備するには長い時間がかかりますし、細かいところを詰めて、詰めて、つくり込んでいく。審査機関への説明や、指摘への対応も必要です。

一方で新規事業開発は、治験とはまったく違う仕事内容ですが、まだ何もないところから実現までの道筋をつくっていくことや、「これを達成するために何が必要か」を考えながら準備を積み重ねていくところには、共通する部分があると感じました。

もちろん、事業計画や収益性など、今まではあまり経験してこなかった領域はたくさんあります。でも、これまで積み重ねてきた経験が思った以上につながっていて、少し安心した部分もありました。

——研究者としての経験も、いまの仕事に生きていますか。

グループ会社から、技術的な観点について意見を求められることがあります。

特許や論文を調べて、「こういう方向で進めるとよいと思います」「ここは、こうしたほうがよいのでは」と、判断材料を出しています。

こういうところでは、これまでの研究の経験が直接生きています。

私一人ですべてを判断したり、決めたりするわけではありません。

ただ、研究の視点から、意思決定に必要な材料を出すことはできる。そういう役割を日々担っています。

——これから形にしていきたいことを聞かせてください。

今取り組んでいるテーマは、どれも面白いです。まずは、一つずつ実装まで持っていきたいと思っています。

もし今後、「本当に体に良いものではない」「研究の視点から腑に落ちない」と感じるものが出てきたら、私はきっと「違う」と言います。

今は、自分が大切にしてきたことと会社が目指す方向が重なっているから、前に進めているのだと思います。

子どもたちの笑顔と、迷ったときに戻れる「納得」

——仕事だけでなく、福岡での暮らしについても伺います。移ってみて、どんな変化がありましたか。

大阪で暮らしていた街も、本当に好きでした。そのうえで、福岡もよい。どちらもよいと思っています。

福岡は街がコンパクトで、とにかく移動が楽です。

先日石川へ帰省したときも、空港まで地下鉄で30分。大阪にいた頃は、関西空港に行くだけでひと苦労で、着く前からヘトヘトでした。

海にも気軽に行けるようになりました。糸島や百道浜まですぐなので、海に行く回数がぐっと増えています。

——お子さんたちは、新しい環境をどう受け止めていますか。

新しい環境にもなじんで、楽しそうに過ごしています。祖父母に会う機会が増えたことも、子どもたちは嬉しいようです。

実家は徒歩15分ほどです。日常的に子育てを手伝ってもらっているわけではありませんが、会う頻度は増えました。

帰り道に少し顔を見に寄ったり、子どもが「ハイタッチしたい」と言って、実家の前でハイタッチだけして帰ったり、暮らしのなかにそんな時間が入ってきました。

——ご家族での毎日はどうでしょう。

2人育児は、どこへ行っても忙しいです!

大阪でも福岡でも、フルタイムの共働きなら大変なのは変わりません。毎日サバイバルです(笑)。

ただ、夫の転勤の可能性を気にしながら暮らしていた頃と比べると、精神的な安心感は大きいです。忙しさは変わらなくても、腰を据えて暮らせている安心感はあります。

実家も近く、子どもたちも祖父母との時間を楽しんでいます。ようやく家族としての拠点を持てたのかなと思います。

——「毎日サバイバル」。大変さが伝わる一方で、どこか前向きでもある。まさに、清水さんのエネルギッシュな生き方そのものですね。では最後に、福岡への移住転職を考えている方へ、メッセージをお願いします。

「納得は全てに優先する」。

清水家の家訓なんです(笑)。好きな漫画のセリフから借りているのですが、今朝も夫に、「これ、インタビューで言うからね」と宣言してきました!

大きな決断なので、不安はいつまでも残ると思います。

でも、納得して決めておけば、あとで迷ったときにも、「こう思ったから、こうしたんだ」と立ち返れる。

私たちの場合は、家族で一緒に暮らすために、夫婦2人で考えて、これがベストだと確かめ合ったことですね。

何かアンカーをつけておくというか、自分たちが立ち返れるよりどころを持っておくことが大切だと思います。

編集後記

「経験をつなぎ、納得して選ぶ」

移住転職では、暮らしを優先すれば、これまでの仕事をどこかで諦めなければならないように感じることがあります。

希望する職種が、福岡にあるとは限りません。

清水さんの研究と臨床開発の経験は、福岡で新規事業開発という思いがけない仕事につながりました。

最初は仕事内容がよく見えなかった会社も、話を聞くことで、自分が大切にしてきたこととの接点が見えてきた。その歩みには、一つひとつ納得できるまで確かめる姿勢がありました。

暮らしを選ぶときも同じです。好きな仕事と大阪での生活を離れる決断を、ご夫婦でとことん話し合う。

「全部考えた。そのうえで、これがベストだった」と言えるように、「納得は全てに優先する」。

その言葉は、清水さんが仕事や暮らしに向き合う姿勢と重なります。

不安が残っていても、自分たちで確かめ、選んだ理由に立ち返れる。その納得が、福岡での日々を支えていくのだと思います。

著者 津金 大樹
YOUTURN代表取締役CEO。福島県生まれ。新卒で日立製作所に入社。その後、みんなのウェディングに入社し、マーケティング責任者としてIPOを経験。LITALICOで新規事業の立ち上げ後、独立。2022年より取締役、2024年に共同代表へ就任。大企業からスタートアップまで幅広い視点を持ったキャリア支援が強み。

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